「手放す生き方」
と言う文庫本が棚にあったので、数年ぶりにペラペラと読んでみた。
書いたのは、タイの森林派の名僧と呼ばれる人で、1992年に逝去されている。
あぁ悟ってるって言うのは、全く別もんだなぁと、読みながら思った。
仏教の話をちょくちょく挟んでしまってあれなのだが、
私が最初イメージしていた仏教は、仏壇に向かって正座で座り、足の痺れを我慢することくらいしかなかった。お経と忍耐のイメージ。
原始仏教を学び始めて一番最初にあれ?と思ったのは、
「生きることは苦しいですよ。」と言う教えがあることだった。
誰もそんな暗い世界観に引き込まれたくないよ、と最初は思った。
苦しいかもしれんけど、楽しいかもしれないじゃん人生、と。
でもそれは、いろいろ社会生活を送ってみたら納得できたんだけど。
二つ目は、ブッダはもともと王族の息子で、結婚して子が生まれたにも関わらず、家出してしまうというかなり無責任な行動をしていたこと。当時のインドには修行者はそれなりにいたようだが、生活の保証などない。奥さんからしたらとんでもない旦那だったに違いない。自分の息子に、ラーフラ(束縛する者)と言う名前をつけてもいるし、やってることだけ見たら正直言ってだいぶ酷い。。笑
そんな人が、ひたすら自分の思うように生きて、生まれたのが仏教である。
本人は宗教にはしたくなかったらしいが、弟子たちが祭りあげまくって、勝手に組織化されていった。
日本の仏教は、中国、ベトナム、カンボジアなどと仲間で、大乗仏教と言う。
逆に、タイ、スリランカ、ミャンマー、などの国の仏教は、上座部仏教という。
今日ペラ読みしたのは、上座部仏教のお坊さんの本である。
手放す生き方の、手放すとは、何を手放すのか。
それは執着である。
「真理はただあるがままのものであるにもかかわらず、執着はわしらに物事を区別することを引き起こす。」
「心の深奥には何もない。」
「実際のところ、私たちはただこの身体という家を借りているだけであって、所有してはいないのです。」(抜粋)
数年ぶりに読んで、やっぱ原始仏教はいいなぁと思った。誤魔化しがない感じ。
執着を手放せば、勝手に苦しさも減ってくる。
改めて部屋の整理をしていこうと思った。
