行きも帰りも二時間かかるので、その間に何をするか考えなくてはいけないのも、日々のタスクになっています。


見たい景色が分からないまま歩き出したけれど、見るべき景色らしきものに一応出会えてるならそれは素晴らしいことかもしれません。主観的に納得はいかずとも、まぁいいかと思う今日このごろです。


あまり自分を責めることが減りました。

多分これは、自分の持つものが分かってきたからかもしれません。自分を責めることは非生産的なことだと気づき始めたのでしょうか。

三島由紀夫も「自己嫌悪は非生産的な感情」と言っていましたが、生産性で語られると分かるような分からないような気になります。



この前実家に帰ったときに、父から結構衝撃的な事実を聞いて、私の今までは何だったんだという気持ちが少し湧きました。

父も私に言うタイミングを見計らっていたのかもしれません。

父は私に対して家業を強要したことはなく、しかし祖父は私に家業を勧めていました。祖父は言ってみれば自らの保身の為に私を僧侶にさせたかったような感じで、祖父から私への諸々のやり取りは、父が知らなかったことだったようです。

祖父が私をコントロールしようとしたのを、私は家族全体の総意だと勘違いしていたようです。


17歳から37歳までの20年間。頭から離れず自分を縛り続けていたことの発端は、そういういきさつにあったようです。



別に悲しくもなんとも思わない。またこれから少しだけ新しい気持ちで目の前のことをやっていけば良いだけの話なので、父には感謝したいと思いました。もう少し早く言って欲しかったけれど。🙂

私は恵まれた環境で、もがいているフリをしているだけかもしれません。
だとしてもまあ自分なりにはよくやってるなぁと、帰りの電車の中、ドアにもたれて外を見ながら考えていました。