さぁ、どこまで生き延びれるか、分からないなぁとぼんやり思いながら、

表情は淡々と、言動は冷静に、相対するものに対峙している。

 

生まれた後からずっと、何かに対峙して生きている。

自分の性格や能力も勝手に差し出されてきたものを生きている。

ずーっとエスカレーターに乗せられているようだ。

 

予定調和が違和感でしかなかったから、自由とはどういう意味かを自分なりに模索してきた。

 

自由になるには、親という存在、いや、親が言ったことや家族という絆としがらみを生むものから一度でる必要があると思う。

なので、全ての人間は親元を離れて自分の力で生きていく生活を、人生のうち一度はしてみるべきと思う。

もしそれが難しいなら、親元で生きていくより他ないのかもしれないが、守られた生活は期間限定でしかない。

守ってくれるものも、いつかは守ってはくれなくなる。



世の中には自分と合わない人間がごまんといる。

そこから学んだのは、「世はあまり完璧にできていない。設計図自体に矛盾がある。」というようなことか。

みんな自分のためにしか生きていない。だから愛とか慈悲という言葉を軽々しく使えない。

自分を満たした者が他者に渡す愛や慈悲は純度が高いが、多くの人の優しさや愛は自己犠牲のように見える。

 

動物的本能を認めつつ、あくまで人間らしく理性的に、愛や慈悲といった観念を私は信じていきたい。

 

信じるものがない人は、本能や、勝手に降りかかる偶然に振り回されている。

そう思ってから、信を持つようにした。

孤独感や、疲弊感を「もういいよ。」というくらい感じてきてから、最初に立てていた信念のようなものの外面が、ずいぶん剥がれていっていることを自覚した。

今残っているのは、「この人生は、どっかの誰かから勝手に与えられているもの。成せば成るが、成るようにしか成らない。」くらいか。

私を救ったのは宗教だけではない。今まで会ってきた人、見てきた景色、感じてきた流れ、

そういうものが、「意味がない、ということに立ち返れば何も怖くない」という事実に気づかせてくれた。

 

本当に苦しさを取り除きたければ、家にあるものを殆ど売ってしまうだろう。

苦しさを取り除くことは、そこまで難しくない。手放す勇気や覚悟があるかどうかだ。


生まれたばかりの赤ちゃんは何も持たず世界を眺めているが、その状態に戻るだけだ。

もし困ったことがあれば、立ち返れば良いのだ。

元々何の意味もない自分(世界)を生きているのだから、世界は自由に作れるのだということ。

当たり前だけど、これが原点かもしれない。



どれだけ苦しいことがあったとしても、

逃げれば良いし、手放せば良いし、

成るように成る、とマントラのように唱えても良い。

みんなと一緒のやり方が出来なくて良いじゃないか。

そういうものは、初めから決まっていたのではなく、成るように成っていることを証明しているだけだから。

 

晴れた空、木々の葉も減ってきて、枝の繊細さにアート的な要素を感じる。

風は冷たくても、あの暑さや混沌を思い出せば、このくらい肌寒い方が、感情の輪郭を際立たせてくれるように思った。