覚悟がない、と言われはしたけど、覚悟を自らの意思だけで持った人はどれくらい居るのだろう。逃げられなかったり、避けられなかったり、守るものがあったりして段階を踏んで覚悟ができてくるだけだろう。

そういう事情がない今の私は、本心では何も必要なものはない。生きていてもそうでなくても大して変わらないような、そんな日々を送っている。それが良い状態なのか良くない状態なのかも分からない。

ただ、それは私自身が望んでいたことだ。


仕事がある今が幸せだろうかと考えたとき、深呼吸しながらよく思い馳せてみても、そんな風にあまり思わない。仕事がないときも何度もあったが、誰にも干渉されず家で引きこもっていると、世界自体がなくなっていく。世の中にあるのは私と部屋と近くのスーパーで会う人くらいだ。それは別に寂しい景色でなく、見える世界の照準が少し狭くなっただけだと思う。

その時々で自分のできることをしてるだけだ。筆が進む時もあれば、止まる時だってあるだろう。


このために働く、とかこのために今は生きている、と言えるものがある人を羨ましく思う。言葉にできなくても、何か楽しみがある人は多い。何にもないですよ、寝ることくらいです、という人にも支えはある。自覚しているか否かより、その人の眼を見れば分かることが多い。


今までもこれからも、定年退職後の人生を考えるような人生ではない。今日話した人は一回り上の人で、定年後の未来について話していたが、そんな先のことを考えれる楽観性を羨ましく思った。楽観的な人は時々バカに見えるが、それくらいが生きるには丁度良いのだろう。年上に失礼なことを言うようだが、思ったことを言うのは悪い気はしない。


覚悟がない、と私に言っていたその人は、何の覚悟のことを言っていたのだろう。税金や保険、物価が上がっているのに、給与水準が上がっていないこの国で、当然のように今少子化が激しくなっている。未婚率も高い。

小学校教育から今に至るまでずっと激しい争いの中に生きてきて、大した褒美もないのに馬車馬のように今も生きている。そんな人は周りにも多い。

今の若者の出会いの場はマッチングアプリが多いようだが、品定めされる陳列棚のようなこの出会いの場で、何をアピールすれば自分らしいのかさっぱり分からない。


周りをみれば、意に反して周囲の流れと合わせて生きている人か、それに乗り遅れまいとイライラしている人か、少数の無関心な人がいるだけだ。輝いているひとは少ない。うまく合わせられる人間だけが輝けるなら、適応力や順応力ばかりが幸福に関係することになる。合わせる力ばかりあっても、それはただ生き延びるために半強制的に最適化されたものであって、その人らしさとは言えない気がする。



覚悟を持ってないのではなく、まだ覚悟を持つ状況にいないだけだ。

覚悟というのは大抵、大きな事柄がきっかけになる。

知人の死や、大きな苦しみ、または守りたいものの出現などか。


吐き捨てたくなる感情をぐっと我慢してみよう。


今週は12時間近い労働と、1万5千歩近い毎日の歩数でくたびれすぎた。なんでこんな働かなきゃいかんのか分からないし、心から会話できる人は当然いない。


上司から言われたことを守って、関わりづらい先輩にある件を相談したが、はっ?という態度で無下にされ、私は1日イライラしていた。しかし上司は能天気で、またその人に相談しろと言う。

楽観的な人間か、高圧的な人間ばかりが生き残れて、人の心の動きに敏感な人間は損ばかりする、そんな社会や組織の仕組みになっている。


ちなみに「覚悟がない」と言った先述の先輩は、人生でやり残したことや、子どもが成人後にどうしたら良いか、などのことを話していた。一回り年上のその人より、「人生に後悔がない」というところまで疾走してきた私のほうが、悔いのない人生を送れていることを知った。

当たり前のことだが、漠然と生きていると漠然とした未来が現実化するだけだ。他者の築いた価値観で生きる人の言葉はいつも軽い。

そうでなく、自分の言葉で説明できる人生が良い。

私はそうできているから、望んだ通りの生き方がきっとできているのだと思う。