どこで仕入れた言葉か忘れたが、聞いたことがある。

罪悪感なく人を殺すことは誰にでもできる。



初めて婚外恋愛をしたときに思った。

罪悪感なく不倫することなんて誰にでもできる。



そして決めた。

私は罪悪感なく不倫できることを絶対に得意げに思ったりしない。



他者の感情に想像力を持たず、自己の欲求に支配されることに身を任せるのは、とても簡単な生き方だ。

それは、本を読んで自分と違う考え方や新しい世界に触れることを拒み、お気に入りのSNSを脳に垂れ流し続ける気楽さに似ている。

不倫だって、いじめだって、殺人だって、自分が考えることをやめてしまえば、ハードルなんていくらでも下げられる。







さとうすさんと2回目に会ったときだった。



本当は、不倫する人は嫌いなんです。



と私は言った。そして、苦しんで不倫して、という重苦しいタイトルの記事をアップした。



不倫をしているくせに、良い人ぶってウンチク垂れる人。それが、私の自分への評価である。

だけど、アメブロで仲良くしてくれる人は皆、本当に優しい。きっと私の文章の中でこれは違うだろうという部分はたくさんあると思うが、それでも一旦は私を受け入れてくれる。

そういう人たちだからこそ、日常生活で自分が与え続けたものを返してもらえず、苦しんでいるのではないかと思ったりしている。

さとうすさんもそのうちの一人で、私の拙い文章をブログで取り上げてくださるのは、さとうすさんの頭の良さと感性で、私の言葉足らずな部分も当然のように汲み取ってくれているからだと、いつも感謝している。



さとうすさんには今度会ったときに聞いてみよう。

さとうすさんの罪悪感は、パートナーさん以外の女性に心を許したからですか?

罪悪感を薄めるためにお金は役に立ちましたか?

って。



同じ後ろめたさを共有できる私たちなら、また深い会話を交わせるのではないかと勝手に思っている。