リーマンショックの年、駅前に一棟だけ取り残された古い木造アパートがあった。
金融機関が処分に困っていた物件で、一般に出る前に、いわゆる買取権利の打診が水面下で回ってきたらしい。まだ20代だった夫は、大きなお金を動かす立場ではなかったが、数字を見る目は早かった。
来週には公募になる。すぐに自己資金を集めろ。
そう言われた私は、祖母の遺産を含めた定期預金を差し出した。夫から私にリスクの説明はなかった。私は私で、子育てで一日が分断されていた頃で、判断というものをしていた自覚がない。
数年後、賃料でローンを完済した頃、夫はそのアパートの隣地を取得した。今回の帰国時、2つの土地は更地に解体され、まとめてデベロッパーに売られた。取得価格の3倍近い金額だったと、事後的に知らされた。
増えて戻ってくると思われた祖母の遺産だが、3倍になることはなかった。夫からは、利益は別件に回した、とだけ伝えられた。
その別件というのは、AIを使ったシステムだった。自社で一から開発したものではなく、既存の技術を組み合わせ、企業に導入し、成果に応じてインセンティブが継続的に入る契約形態を作ったらしい。その権利を私名義で渡された。
先週、夫は日本を出た。
夫から私への誕生日プレゼントは、いつからか小さな金の延べ棒になっている。夫は私の感情には無頓着だが、資産を増やすことには一貫して成功している。夫からの圧力や罵声に私が心をすり減らしていた時間の裏で、彼はそういう判断を積み重ねていた。
私がもらってきたプレゼント🎁
4年前、私は婚外恋愛を始めた。アプリで知り合った男たちと会い、食事をする。何人かとは深い関係になり、失恋もした。
私が屋上で黄昏れていた同じ時刻に、夫は数字を見ていた。彼は家庭の金を増やし、私は家庭の外に感情を逃がした。結果だけを見れば、夫は成功者で、私は裏切り者かもしれない。
けれど、誰かの人生を黙って使うことと、誰かの人生から黙って抜け出すことの、どちらが本当に悪いのか。
私たち夫婦は、自分たちが壊したものをまだ正確な言葉で呼べていない。
