先日、JR西日本に残っていた381系国鉄型特急やくも号がラストランを迎えた。

 

JR西日本が引退を告知してから、あっという間だったのか長かったのかよくわからない2年間が過ぎた。

 

告知されたとき、私は内心「余計な告知しやがって」と思っていた。しかし、特急列車の置き換えであり、普通列車よりも大幅にサービス内容が変わるため、一般利用者にも告知せざるを得なかったのだろう。

 

告知されるやいなや、撮り鉄が殺到し、色々と良くないニュースの原因となった。私が撮り鉄を始めたのは2019年であるが、年を重ねるごとに迷惑行為がエスカレートしているように思える。10年後はいったいどうなっているのだろうか。

 

私もそうだが、鉄道を好きになる人間には、何かしらのハンディキャップを抱えていることが多い。幸い私は、文章や会話の本質を理解できないだけで、物事の良し悪しの分別はつく。しかし、そうではない人もおり、そういった人間が野放しにされていることであちこちで撮り鉄トラブルが発生しているのだ。そういった人間に言葉を掛けても、通じるはずがない。言葉が通じないなら暴力!というわけにはいかないのが今の時代の面倒なところだが、暴力の代わりに実力行使をすれば良い。鉄道会社は何年も撮り鉄トラブルに巻き込まれていながら、何の実力行使もしてこなかった。やくも号関連の撮り鉄不祥事のニュースに目を通して、そろそろ実力行使をしないと犠牲者が出かねないと感じた。実力行使ができるのは、鉄道会社と行政など権力を持っている者のみだ。権力者こそ、撮り鉄問題をもっと深刻に捉えないといけない。現状では、マスゴミとネット民が撮り鉄問題を深刻に捉えているが、彼らには実力行使を行うだけの権力が無いから無意味である。

 

鉄道会社が行うべき実力行使について考えてみた。

 

鉄道博物館に保存されている国鉄型特急。付近の駅弁屋で購入した弁当を中で食べることができる。

とっても美味しかった

 

 路線を維持するなら安全柵を設置。維持しないなら即廃止

やくも号が走っているのは主にJR伯備線と山陰線であるが、どちらも田舎の路線であるため、都市部よりもセキュリティーが甘い。線路内侵入を防止するための安全柵が低かったり、なかったりする。公共交通機関であるなら、撮り鉄ごときに侵入されていては情けないと思わないだろうか。今後も問題なく維持される路線については、高めの安全柵を設置すべきだ。

昨年の6月に、カシオペア紀行目当ての撮り鉄が線路内に侵入した現場も、安全柵は設置されていなかった。安全柵は撮り鉄のみならず、勝手踏切対策にもなる。

 

 

都市部から離れた鉄道は、安全柵が無いことが多い。ひたちなか海浜鉄道の車内から撮影。

 

 ドクターイエローのような検測車を廃止せよ

 

先日、ドクターイエローの廃止が発表された。実はN700S新幹線には、客を載せながら線路・架線の状態をチェックできる機能があり、それのおかげでドクターイエローを維持する必要が無くなったのである。検測車の運行時も、殺到した撮り鉄による危険行為が散見されるため、それを無くすだけでも十分な撮り鉄対策となる。最近のJR東日本では、客を載せた電車が線路モニタリング装置を光らせている様子を見ることが出来る。JR東日本にはぜひEast iの廃止を目指してほしい。

 

偶然我孫子駅で撮れたEast i。

 

 行楽臨時列車を走らせるな

行楽臨時列車は、旅行客が楽に観光地へ行けるようにするという理由の下、運行されている。しかし実態は、ほぼ鉄道マニア向けの列車となっている。鉄道の運転士も人手不足となっている今、そういった列車を動かす人は休日返上で働いているのではないだろうか。そんな撮り鉄の餌食のために、運転士を酷使しないでほしい。

 

行楽臨時列車に使用される185系。

 

 エキセンの封鎖

エキセンとは、駅のホームの先端にある、列車が停まらないスペースのことである。エキセンは、撮り鉄が好む写真を撮りやすい場所だが、はみ出し撮影が常態化している。

 

これは、JR北千住駅の上野寄りのエキセンだ。形式的には封鎖されてはいるが、実際にはもう突破されている。床にテープを貼り付けただけでは、物事の良し悪しのわからない撮り鉄は侵入してしまうのは、当然だ。

 

 

 

この動画は、京成線の四ツ木駅の車内から撮影したものだ。安全柵でエキセンが封鎖されているのがおわかりいただけただろうか。理想的なエキセン封鎖はこれである。

 

 

 撮影そのものを禁止にするのは難しいが、機材制限はできる

鉄道撮影そのものを禁止にするのは、わが国においては困難だ。バラエティー番組では鉄道関係のものも多いし、なんと私が愛用している化学の教科書にも鉄道写真が載っている。また、撮り鉄ではなくても、旅行記念に乗った電車を撮影するという光景はよくあることだ。鉄道会社としても、鉄道を楽しんでもらった方が不定期の売り上げになるため、鉄道撮影を完全には禁止にしたくないはずだ。しかし、一般人が旅行記念に電車を撮影するときは、だいたいスマホ撮影である。一眼レフで撮っているのは撮り鉄くらいだ。しかも、マスゴミに報道されるほどの不祥事の当事者は、概ね一眼レフを使っている。夢中になると周りが見えなくなるのは人間の欠点だが、一眼レフの場合はファインダー撮影が主流であるため、物理的にも周りが見えなくなってしまう。数年前、虫虫探険隊氏が国立駅で三脚で殴られた際、警備員なのか警察官なのか駅員なのかはわからないが、列車が来ているときはファインダーを覗かないでください!ついつい前に出てしまいがちです!と叫んでいた。これはもう撮り鉄が完全に図星を指された形である。ファインダーの使用を禁止にするのもありかもしれない。もちろん、有料の撮影イベントでは好きにさせれば良い。有料イベントは、駅よりも安全性が保障されている。

新幹線で熱海に行ったときに、記念撮影。撮り鉄歴4年(当時)が一般人を体験?

 

 

 撮り鉄の本質を見直せ

撮り鉄問題は、撮り鉄が撮り鉄の本質から逸脱したことにより起こる。私は基本的に物事の本質がわからないが、撮り鉄という趣味の本質だけは理解している。撮り鉄というのは、鉄道を撮る趣味であって、被写体は珍しいものや引退間際のものに限定されない。私は生粋の日常鉄だが、それが本質である。日常鉄をしていたときに一般人から話しかけられたことがあり、その際に珍しいのが来るのかどうか聞かれた。私はいいえと答えたが、とても悲しかった。何故珍しいものに限定されてしまうのだろうか。毎日当たり前のように走っている電車も、毎日違う表情をしている。それを記録するのが撮り鉄ではないのか?

何より、心から鉄道を愛し、鉄道の善き理解者となることが重要である。批判してくる人たちに応戦するのではなく、何故批判されるのか、どうすれば批判されないのかを考えてみてほしい。

 

私はほぼ毎日京成の日常を記録している