トンネル内にコンクリ片、JR横須賀線が一部で始発から運転見合わせ 再開めど立たず (msn.com)

 

今年の2月22日、世間が猫の日で盛り上がっているなか、とんでもないアクシデントが発生した。横須賀線のトンネルの一部が崩れたのだ。このトラブルにより、私はとある懸念を抱いた。

 

 

 日本の鉄路はこれ以上増やせない、むしろ減らすべき

という考えに至った。今回崩れたトンネルは、横須賀線の品川~新橋にあり、厳密に言えば東海道線の別線となる区間である。この区間の利用者数が多いというのは言うまでもなく、メンテナンスにおいては最優先で手を付けるべき場所である。しかし、トンネルの一部が崩れたということは、そのメンテナンスが疎かになっていたのだろう。

ではなぜ、利用者の多い区間のメンテナンスが疎かになってしまっていたのだろうか。考えられるのは、メンテナンスを行う現場は人手不足により疲弊していることである。そしてJR東日本は、国鉄分割民営化以降、北は青森県、南は静岡県の熱海までの鉄路を維持してきた。鉄路というのは実に繊細で、定期的なメンテナンスが必要となる。メンテナンスの現場が人手不足となる中、JR東日本は発足以降、言うほど路線の廃止を行っていない。最近だと、2014年に岩泉線が廃止、2015年の北陸新幹線開業に伴い、長野以北の並行在来線が第三セクターに移管された程度で、大赤字路線でも大災害が発生しない限りは維持されている。つまり、年々作業員の負担が大きくなっているのだ。それにより、横須賀線のトンネルにまで手が回らなくなった結果、今回のようなトラブルが発生したのではないだろうか。赤字路線を野放しにしたことにより、黒字路線にまで悪影響が及んでしまった。

 

 

 赤字でも残すべき路線

営業係数が大きい路線=大赤字というわけでもない。営業係数というのは、売上に対して費用がどれほどかかったのかを示すものであり、利用者が少なければ赤字額が少なくても営業係数は大きくなる。逆に、ある程度利用者が多ければ赤字額が多くても営業係数は小さくなることもある。羽越本線の一部区間は、営業係数が1万を超えている久留里線よりも赤字額が大きかった。しかしそれでも、羽越本線は残し久留里線は廃止すべきなのである。何故なのだろうか。

羽越本線にあって久留里線に無い物と言われて、すぐに思いつくだろうか。答えは貨物列車である。羽越本線は貨物列車が走る路線であり、線路を高規格にしたり頻繁な保線を必要とするために、利用者が多いのに赤字額が大きくなってしまったのである。しかし、貨物列車の通り道を無くしてしまうことは、これからの日本の市民生活において大きな打撃となる。トラックのドライバーが不足しているため、貨物列車が無くなったら、地方で生産された物を消費地まで運ぶことが難しくなる。しかし、前述のとおり現在ある鉄路を今後も維持することなど不可能であるから、貨物列車が通らない赤字路線を廃止あるいは第三セクターに移管するしか解決策が無いのである。

 

木更津駅に停車中の久留里線。

 

どんなに赤字でも残すべき東北本線。

 

 おわりに

少子高齢化による人口減少と、都市部への人口集中による地方都市の衰退が問題となっているが、果たしてそれのどこが問題なのだろうと私は思ってしまう。人々が去れば、その土地は野生の動植物のすみかとなる。産業革命以降、人類は散々野生の動植物からすみかを奪ってきた。いい加減そろそろ返してやるべきではないか。貨物列車の通り道沿いに、農林水産物の生産に支障が出ない程度の都市を残しておけば良い。というのも、全員が大都市の喧騒に馴染めるとは思えないためだからである。そういった人が農林水産物を生産し、その生産物を貨物列車に載せて都市部に運べば良い。貨物列車が走る赤字路線だけ残った場合、都市部は貨物列車の通り道とその沿線の住民の移動手段を確保するためのパワーを生産し、地方は都市部に対して自然の恵み(美味しい食、環境にやさしい原料など)を分けるという相利共生のような関係が成り立つ。現状のような、都市部の人間が地方路線の赤字をカバーするだけの片利共生のような関係よりもずっと良い。