ちょっと前の話ですが、6月29日は、第268回尼崎落語勉強会に行ってきました。
今回の尼崎落語勉強会は、45周年記念の特別な会でした。
ワタシたちは、2ヶ月に1回の恒例の参加で、スタッフさんの開演前のお話で、知りました。
当日の出演者の中で、尼崎落語勉強会の発足当時の事を御存じの方は、米二さんだけだそうで、
当の米二さんがその歴史を詳しく語ってくださいました。
まだ尼崎にアルカイックホールがまだ無い頃、文化会館の中の一部屋から始まったとのことでした。
その歴史を聴きながら、ワタシは、自分の歴史に繋げて、
色々思い出していました。
何がきっかけで、桂米朝さんの落語のカセットテープを買ったのか、思い出せないのだけれど、
中学生の頃、たぶん、家族4人で落語会に行ったのかな?
それとも、テレビかラジオで聴いたのかな?
何故かわからないけれど、ワタシは、「青菜」とか「狸の賽」とかが入ってたカセットテープを、お小遣いで買ったんだよね。
深夜ラジオも聴いてた。
一番聴いてたのは、「ABCヤングリクエスト」。
クリスマスプレゼントで、父にもらったラジカセに、色々な気に入った流行歌を録音したりもしてたけど、
落語の番組を聴いた覚えがない。
自分がラジオから録音した「ヒット曲」のカセットテープはいっぱいためてました。
さだまさしさんのカセットテープのアルバムだけは、市販のを中高時代に買ってたけど、
その中に、ひとつだけ、「桂米朝 落語」のカセットテープが混じってた。
いつどこで何かビビっときたんだろうか。思い出せないけど。
結婚してすぐの頃、桂米朝さんの生落語を1回だけ聴きに行った記憶はあります。
ワタシの両親とダンナっちと、尼崎の文化会館かピッコロシアターにでも行ったのではないかと思います。
ワタシの、お笑い視聴・聴取歴は、
結婚してコドモっちがまあまあ大きくなってから、
「NHKオンエアバトル」
松本人志さんと高須さんのラジオ番組「放送室」
「M1」
「すべらない話」
「IPPONグランプリ」等々・・・
コドモっち2人と一緒に楽しんでました。
ダンナっちは、興味なしでした。
ダンナっちと一緒に観るお笑い系のTVは、
「笑点」だけだったなあ。
兵庫県
三重県
東京
と移り住んで、
SMAPコンサートに行き始めた、「ウラスマ」の8月頃から、
SMAPを心の支えにして、生きてました。
そして、コロナの始まる少し前に、
尼崎に引っ越して、
数カ月後の「尼崎落語勉強会」のお知らせを市報で見つけて、ダンナっちを誘ってみたのが、
今思えば、
喧嘩ばかりしてたワタシたち夫婦の歴史の中で、開運の兆しでした。
何故か、こんなことを考えてると、ゆずの名曲のオリンピックソングの歌詞の一部が、ワタシの頭の中に浮かんでくるんですが、・・・
こんなお気楽なワタシでも、
涙の時代があって、
今があるんです。
今は、落語に、ありがとう。
落語会に足を運ぶこと、
並んで座って、一緒に笑うこと、
その後でまた思い出しては、一緒に笑えること、
笑いは、何もかもを水に流して、明るい今のワタシたちを作ってくれてるような気さえします。
同じ演目を聴いて、同じ方向で笑えるからいいのかな。
(とは言え、まだまだこの先は何が起こるかわからないけどね。
大喧嘩が勃発しないという保証は何もないから。
でも、落語会に行く前と比べたら、
平和が壊れる可能性が少しだけ減っている気がするんだよね。)
・・・
落語会の歴史から、隣の席のダンナっちをチラチラ見ながら、あらぬ方向に、思考が飛んでしまってたものです。
何周年~って、話になると、ついつい、自分の来し方を振り返っちゃうワタシ。
この日の落語の話に戻ります。
この日の桂米二さんの「はてなの茶碗」は、最高でした。
今まで、何度も、色々な落語家さんのでこの演目を聴かせてもらいましたが、この日の米二さんのが、マイベストワンになりました。
何か味がある語り方、それぞれの人物それぞれの語り方と仕草が、自然で、上品な感じで、心から笑えて、感動しちゃいました。
皆さんの演目が全て終了してから、
桂米二さんが、 チケットの半券が入った抽選箱を持って、 再登場。
抽選会が始まりました。
偶然にも、45周年の「45」が一人目の方の当選番号で、何か桂米朝さんの思いが降臨してたような気がしたのでした。
手ぬぐいとかその日の出演者全員のサイン入り色紙とか、・・・・。
24と25の半券を持っていたワタシたちは、かすりもしませんでした。![]()



