今回の郷土史は時代劇の時代考証をされている先生の講演でした。


今まで欧米モデルで追いつけ追い越せと発展してきたけど、ここにきてうまくいかなくなってきている。世界的に。その先に幸せがあると思われたけど欧米自体が幸せそうではない。

パクス・トクガワーナとも言われるようになってきたけど、世界的に見てもとても稀な250年もの長い間戦争がなかった江戸時代を見直すことで世界に発信で来るのではないか。

と言う講演でした。

例えば植林にしても、取り尽くさないよう、何年間かけてもとに戻るような仕組みを考えて行っていたと。それも長い間平和だったから。今日食べるものがない戦時下では何年も先のことは考えられないから。

それから時代劇では侍がバンバン人を切るけど、本当の江戸ではそんなことしたらお白砂行きになってしまうのでめったに刀を抜くことはなかったと。その当時外国人は何で侍たちは腰に刀を下げているのにそれを使わないかと思ったらしい。


さてそもそもの始まり。

豊臣に関東への引っ越しを迫られたとき、家康は小田原や鎌倉に行ってもよかったのに、そこは寺院や山や海に囲まれ地形的な制限があったため、あえてなにもない江戸の地を選び自分の好きなようにまちづくりをした。

そして初めはそれこそ京都のコピー、京都に有るお寺の分院を沢山作った。

例えば上野寛永寺。東の比叡山として鬼門に置かれている。上野にはその他、清水の舞台もあるし、不忍池は琵琶湖だとか。


でも京都にもないものとして富士山が江戸からは見える。

そして自身が神となって江戸を首都として特別な場所に昇華していったと。

さらに鷹狩りは単なる狩ではなく、関東の農民たちの民意を取り上げる機会でもあり、また地方の大名と会う政治の場という意味合いを持っていた。

さらに自分が訪れることで、そこを特別な場所にしていった。



全部正しく先生の意図を聞き取れてないと思うんだけど、こんな面白い内容でした






あー今日も素晴らしい