横浜は、象の鼻地区が開港場となり、その周辺(現在の山下公園の背後)に街が形成されたため、関内・伊勢佐木町地区が長い間、横浜の都心機能を担っていました。
一方、高度経済成長期から横浜駅周辺地区に商業・業務機能が集積したことにより、横浜の都心部は2つの地区に分断され、まさに二極化していました。
その間には、埠頭や造船所が立地していたのですが、そのことが、後に横浜の大きなアドバンテージになりました。つまり、その地区を再開発することにより、みなとみらい21地区が形成され、横浜の都心部が一体化され、飛躍的に強化されたわけです。
勿論、再開発にあたっては紆余曲折があり、なかなか事業化には至りませんでしたが、先人たちの努力により、何とか街づくりが進展し、今では世界のどこの街にも引けを取らない魅力的な都心部に生まれ変わりました。
これが世にいう、横浜市の六大事業の一つの都心部強化事業ですが、まさに天の時、地の利、人の和が奏功した結果ではないかと思います。
