はろはろ。みなさん、猫天使修行中、黒猫ようたろうです。ようたろう

新年、明けましておめでとうございます!

どこに初詣行こうかな~っていろいろ考えたあげくやっぱり大好きな江ノ島にまず新年のご挨拶!と思い早速行ってきました。

ホントは、朝早く行って、初日の出も一緒に拝みたかったのですが、朝はちょっと曇ってたので諦めまして、それでも元日の富士山が何故かどうしても見たくって夕方から行ってきたんです。

いやいや、さすがに元旦だけありまして、江ノ島は今まで行った中で一番混んでまして、江島神社の最初の辺津宮(へつみや)へ着くまで、鳥居をくぐってから、ゆうに3、40分はかかったと思います。あんまりにも行列進むのが遅いから、もう少しで「今日来るんじゃなかった。。。」って思いそうになりましたよ。

それでは、元旦の江ノ島の様子です。どうぞ~


江島神社の鳥居。提灯がたくさん灯っててお祭り気分



お参りの後、おみくじ引きました。 結果は内緒。



元旦のライトアップはまた他のイベントの日とはまた一味違ってて、またよかったです。
冬なのに花もパンジーもきれーに咲いてて、ライトアップされてました。




シーキャンドルもいつもより華やかです。



そして、最後が元旦の江ノ島弁天橋から望む富士山です。弁天橋から綺麗に富士山が見えたの、初めてだったので感動です!大好きなピンクの富士山。。。コノハナサクヤビメも喜んでらっしゃる~って感じでした。

無事元旦に、大好きな江ノ島の神様や富士山にもご挨拶でき、とても素敵な2014年のスタートとなりました。

みなさんもすてきなお正月をすごされてること祈ってます。

今年もみなさんにとって、楽しい事うれしい事いっぱいの素敵な一年になりますように。。。
 
           

それではまたね。

ようたろうようたろう

はろはろ。みなさん、こんにちは。猫天使修行中、黒猫ようたろうです。ようたろう

またちょっぴりご無沙汰しておりましたが、みなさん、この気忙しい時期いかがお過ごしですか?『エネルギーの動き:『太陽と北風』に学ぶ その5”の更新をしようしようと思いながら、クリスマスもあっという間に過ぎ、すっかりお正月気分になってしまいました。今年は大型連休もあるから、いろいろ楽しい計画がある方も多いんじゃないでしょうか。

と、いう訳で今日は 前回の、“エネルギーの動き:『太陽と北風』に学ぶ その5”をお休みして、年末を過ごしながら徒然なるままに浮かぶ思いを皆さんとシェアさせていただきながら、年末のご挨拶をさせていただこうと思います。

僕は今年日本に帰ってきてから、初めて関東のクリスマスの様子を横目で観察してたんですが、(昨年は関東にいなかったしそういうことする余裕のない状態だったので)やっぱりアメリカとは随分違うな~としみじみ改めて思いました。

まず祝日じゃないんですよね。日本の人にとっては、これって当たり前なんでしょうけど、僕にとってはまだやっぱり変な感じでした。あれだけ沢山イベント的なものを用意して盛り上がってても、当日はお休みじゃなくて、電車では相変わらずサラリーマンの方とかが満員電車に揺られながら会社に通勤してるんですものね。クリスマスの日はどこの町もし~んと静まりかえるアメリカとはやっぱり違ってます。キリスト様の誕生日を静かに家族で祝う習慣、僕はとっても好きだったから日本のクリスマスはやっぱり物足りないかな。。。

でも!
や~っぱり、年末年始は日本がいいですよね~。
星影さんも、アメリカにいる間中、ず~っとそう思ってましたよ。 一年を振り返りながら、大掃除をしたり、年賀状を書いたり、お歳暮を贈ったり。。。 大晦日には除夜の鐘を聞きながら年越し蕎麦を食べ、お正月には初日の出を拝み、初詣をして、お雑煮食べて、御節も食べて。。。などなどなどなど。。。素敵な習慣がた~っくさんありますものね。日本人として生まれてよかったな~っとしみじみ感じる時期なんじゃないかと思います。 こういう日本の良さってこれからもずっと大切にしていきたいものですよね。

さてさて、今年は一年、みなさんにとってどういった年になりましたでしょうか。。。

この時期になると、「一年を振り返って。。。」って言葉、よく耳にします。
僕は猫天使修行中の身、という立場からではありますが、やっぱり、“生きる意味”みたいなこと考えさせられる一年になったような気がします。このブログでも少し触れましたが、一緒にいる星影さんは、今年星影さんにとって、とても大切な人を失いました。その人は僕にも星影さんにも大きな課題を残してこの世を去っていったような気がします。

実は、最近書いている、“エネルギーの動き:『太陽と北風』に学ぶ”も、その人の影響もあるんですよ。本当に優しい人達に、本当の優しさ、っていうのに気づいて、自分らしく生きてほしいから。。。このことはまた、続きを書いた時、お話しするかもしれません。

おもしろいもんで、星影さんが時々その人のこと思い出して無性に寂しくなっってしまったりすると、その夜その人は夢に現れて、万遍の笑顔で笑ってて、生前その人が好きだった場所とかにいたり、遊園地で遊んでたりしてるんです。「大丈夫だから」って言ってるようで、そのたびに、星影さんも我に返って、「そうだった。。。大丈夫なんだ」って思ってるんですけどね。。。

みんな誰でも生きてれば、悲しい事やつらい事ありますよね。でも、やーっぱり、それ以上に、素敵な事、心が温まる事、美しいもの、いろいろと、たーっくさんあるから、やっぱり生きてるってすばらしいことだと思います。いろいろあるからこそ、当たり前のようなことは本当はいつもいつも当たり前なんかじゃないんだ、ってこと、毎日のように気づかされるんです。 そういった意味でも、今年は“生きる”ってことについてまた色々勉強できた年になったような気がします。

みなさんにとっても、いろんな意味で成長できた、良い年であったことを僕、心から願っています。

また、来年もみなさんにとって素敵な年でありますように。。。
どうかよいお年を。。。

それではまた来年!

ようたろうようたろう

はろはろ。みなさん、こんにちは。猫天使修行中、黒猫ようたろうです。ようたろう

今日は『太陽と北風』のお話に比喩的に表現されているエネルギーの動きについてのお話、その4です。

『与えることと受け取ること』についてお話しているわけですが、前回は主にお金、生活援助など、“物質的に”与える事が出来る側の人達に焦点をあてて考えてみました。
今回は、前回の終わりにも言ったように、今度は“受け取る側の人”に焦点をあてて考えていきますね。

では、まず、みなさんにお聞きしたいのですが、“受け取る準備が出来ている状態”というのはどういうことでしょうか。僕がまずこのことをみなさんに聞いている理由として、これから僕がお話しすることも、やはりある意味ではそのアドバイスなりなんなりを聞ける準備ができているか、ってことも大切な要素だからです。

“受け取る準備が出来ている状態”。それは、その受け取る側の人がお金や何かしらの援助を受け取るに値する価値を自分が持っていることを知っていてそれを受け取って活用し、望まれる結果に導くことができるだろう状態、ということだと思います。 難しいのは、自分には受け取る価値がある、と理論的に頭で思っているだけで、心の奥底では自分には価値が無い、と信じ込んでいる場合があったりすることも多いので、その場合は、やっぱり“受け取る準備はできていない”ということになりますので、自分に当てはめて考える場合は、そのこともきちんと頭の隅には置いておいてくださいね。

それから本題に入る前に、もう少し僕が今回ここで言わんとしている意図をみなさんにお伝えしておこうと思います。

前回は、僕がドラマの“リーガルハイ”を見て、いろいろ物質的世界の面で見える形で与えることができる側についていろいろ言いましたよね。 世の中、日々『与えることと受け取ること』というのはいろいろな形、規模、場所で起こっていますから、もちろんそれらすべてに文句言ってるわけではないんですよ。何の形でそれが行われるにしろ、その中から得られること、とくに人生のレッスン、という意味ではいろんな意味で、それにかかわるすべての人達は何かしらを得ることができるはずです。しかし!!前にも言ったとおり、頭で考えると理にかなった援助、支援などが、結果につながっていなかったり、大変な思いをしている人達が時にはお金を払いながらも助けを求め、それを実行してもそれでもたいへんな状態は変わらない、などどいう状態があるのも事実ですよね。

実際、ビジネスの世界でも、“ビジネス”という名目で契約の下、法の下に理にかなっているように見えていても、エネルギーの動きで見たとき、全く公平ではない、ということは多々あります。
ビジネスという世界は、契約、そしてそれを両者が同意しているか、ということが前提になりますから、例えば真面目に誠意をもって仕事をしている人が結果損をしてしまう、ってことは起こりうること、というのは“契約をする相手が自分と同じビジネスの知識を持っている状態でなければ契約は交わしてはならない”とか、絶対無理でしょ、って思われるような法律でもできないかぎり、起こりうる事実としてつきまとうのは仕方のないこと、とも言えるのではないでしょうか。

でもだからと言って、真面目に働きがんばっている人達が、“正直者は損をする”とか、思ってしまうような状態に陥るのは、やっぱり僕としても悲しいことです。

でもでも、だからと言って、今回僕がお話ししようとしていることが、その人達を救える訳では決してありません。自分を救えるのは他の誰でもなく、自分自身、ただ一人なのです。
確か聖書の中にも、

『神は自ら救うものを救う』

ってあるでしょ?同じ事です。
僕がもうこのブログで何度も言っている、
“Thoughts create reality.” (思考は現実をつくる。)
にも繋がるものがありますよね。もしあなたが、真面目で心やさしく誠意にあふれる人で、才能もあり一生懸命がんばっているのに結果がなかなか伴わない人だとして、いやな経験を通じて、“正直者は損をする”って思ってしまっているとしたら、あなたは、これからもあなたからエネルギーを取っていく人ばかりを引き寄せる事になります。そして、まずはその観念を自分から取り除くことが最初にしなければいけないこと、になってしまいます。

ですから、これから僕がお話しすることは、とりあえず、人の良いところを信じ、その中で建設的に人間関係を築いていこうとしている人に対してのアドバイスです。ある意味、これが今回の僕にとっては、“受け取る準備ができている人”の定義ってことにもなります。

ではでは、本題に移りますね。今回、何か物質的、もしくは目に見える援助を受け取る際に、望まれる結果に導くことを考えた時、特に大切になってくるのが僕がもう何度か言っている、

1.自分の感情に目をむけること。
2.第三者の目で客観的に物事を見れること。
3.自分の中のエゴを見つめること。

ってことです。前回にも言ったように、これは与える側にとってももちろん大切なことなのですが、もちろんどの部分を特に気をつけたらよいか、というのはその時その時、人と場合によってもちろん変わってきます。
そしてこの時、与えられるものが、金銭的な援助、ビジネスオファー、必要なトレーニングなどなど。。。それが何だとしても、この3つはとっても大切になってきます。
受け取る側で特に大切になってくるのが、まず1です。何かを受け取る機会があった時、そのお話をくわしく聞き与える側とお話しした後、自分が“どう感じるか”ということに目を向けるということがても大切なのです。

例えば、とてもよいお話と思われるオファーを受け取れる機会があったとします。それが話の上で、すべての面で理にかなっているようなお話だった時、その時は“いいお話だな”と頭では思うのですが、少したってみると、どうも気が乗りません。もちろんその気持ちがどこから来ているのか考えてもわからないのですが、しっくりこない、何かもやもやとしたものが続いたりする場合、そのオファーについては、やはり1から考え直した方がいいと思われます。

多くの場合、その後、自分が知りえるはずも無いところで不公平な契約が交わされていたとわかったり、相手側が逆に金銭的にあったとわかったり、何かの見返りを求めていたことがわかったり。。。などなど、何かしらの理由が見つかったりするものです。

今回のように、すべて頭で考えるとすべて良い事のように思えるのに、心は別のことを言っている。。。という場合、英語では、

『Follow your heart.』 あなたの心に従いなさい。

という言葉があるんですが、心に従う、ということを心がけてください。スピリチュアル的には、この部分を、ハートチャクラ、とか、ハートセンターとか言いますが、人間はこの部分を含め、体のいろんな部分の感覚で様々な事を感じ取ることができるんです。

例えば、日本のすばらしい言葉の中に、
腑に落ちる、とか 五臓六腑にしみわたる、とかあるでしょ?

これらの表現も、物事がしっくりくる時など、人間の体がそれにじゅんじて反応しているということ、ある意味、体の感覚からそれらが自分にとって良い事かどうかまでわかるということを表しているんです。昔の人ってすごいですよね。

もちろん、これらの感覚は、その人その人のエネルギーに対する敏感さも関係してきますし、体質、だと言い切る人もいるかもしれません。ただ、ここではっきり言えることは、それくらい感覚的な部分に重きを置く事も、自分のエネルギーを維持するには大切になってくるということですね。前回お話しした、アメリカのアパラチア山脈の貧しい集落の人々は、貧しかったにもかかわらず、最初から援助を受ける事は自分達のためにならない、と察した為、援助を断った訳です。

2番目の、“第三者の目で客観的に物事を見れること”っていうのは、何かを決断したりするときになどいろんな意味で大切なことですよね。自分が受け取る側にある場合は、それが公平なものなのか、自分に見合ったものなのか、ということを自覚できているか、てことなどがあると言えるでしょう。ビジネスの場合、特にこれは大切ですよね。 そして、他の場合の理由としては、通常、与える側、何かをしてあげる側っていうのは、それだけで “いい人”、“良いこと”と判断付けられるやすい傾向があるため、受け取る側になる、というだけで、 エネルギー交換が既に起こってしまう場合があるからです。残念ながら、“チャリティー”もこの例に含まれます。 もちろん、すべてのチャリティーとはいいません。しかし、現在の、“チャリティー”の概念を考えた時、エネルギーの動きからすると助けようとしている相手の状態の改善のために長い目で見た時なっていないかもしれない場合が起こりやすい、と言えると思います。 そのために、受け取る側もキチンと意思表示できる環境づくりというのが大切なのです。

3番目の “自分の中のエゴを見つめること”っていうのは、どちらかと言えば与える側に対して、特に大切な事、と言えると思いますが、受け取る側で大切なのは、2番の、“第三者の目で客観的に物事を見れること”にも通じる、自分の価値を自分で認める、というところにあると思います。 自分のエゴを見つめる事ができれば、自分がしようとしていることの根底に何があるかが見えてきます。受け取る側から言えば、エゴを見つめる事によって、与える側に対しての思いやり、COMPASSION、も持て、『与えることと受け取ること』のエネルギーの交換はうまく起こりやすくなるのです。

でも、十人十色、人生いろいろですから、その時その時で、何かは少しずつ違いますものね。もちろん一概には言えませんが、僕のアドバイスで一番受け取る側の人達に言いたいのはやっぱり、自分の気持ちに目をむけ、どう感じているかってことで、その後の決断、言動を決める、ってことだと思います。

そうすることによって、回避できるトラブルはすごく多いと思います。多くの場合、自分が受け取るだけの価値があると知っている、受け取る側の人々は物質的に支援、援助ができる側の立場を察することができるだけのCOMPASSIONはもともと持っている場合が多いんです。 この辺が
物質的に与えることができる側にいる人々が気づいてあげるべき部分だと、僕は思います。

チャリティーにおいて言えば、こういうことです。どこかで誰か金銭的に困っている人達を支援する募金をしているとします。あなたは、そこにいくらかのお小遣いを募金をして、「いいことをしたな」と思い、それを知ったあなたの周りの人は、あなたのことをやさしい人ね、と言ってくれます。 あなたの生活は少しばかりのお小遣いでは変化はありませんよね。でもあなたは募金をしたことによって、いい気持ちになり、まわりからも愛情を受け取ることができました。それはどうしてだと思いますか?それは、お金を受け取る“はず”になっている側の誰かが存在するからなのです。お小遣いを募金にあてたあなたはとても優しい人です。それは間違いないですよ。でも、あなたが募金をしたその場で、いいことをした、って思った時、同時に受け取る側の人々に対して、エネルギーをもらったという感謝の気持ちが持てたでしょうか?ボランティアなどに参加した人々が助けてもらう側の人達からいっぱい元気をもらったとか、そういう話聞きますよね。ボランティアに参加した人は、相手に対して感謝の気持ちを持ちますよね。 エネルギー的には同じ事が募金などの場合でも起きているのです。ですから、私たち、ひとりひとりが、そういった小さなエネルギーの交換にももっと気づき、困っている人々に”感謝”というエネルギーを送ることができたら、うまくいくチャリティーももっともっと増えると思います。

“ありがとう”の一言で誰かが元気になることだっていっぱいあるでしょう?
ホント、ほんの少しの感謝の気持ちも、あるのとないのとでは全然違う、と思いませんか? 

そうやって、ちょっとずづでも一人一人が変わってけば、いろんな事が自然にいい方向に変わっていくもんだと思うんです。

。。。。って、なんだか最後はまた与える側の話になってきた気がしますが。。。
ま、いっか。

いろいろと、一見外から見ただけではわかんないことについてお話ししてますから、いろんな例を一度に、っていうのは難しいんです。僕の頭では。 その辺ご了承ください。(今更ながら)

ということで、受け取る側のみなさん、意思表示はしっかりと。そして、客観的に理論的に考えてもしっくりきて、気持ちの上でもしっくりきてから、自分にも相手にも愛情を持てる状態で受け取ってくださいね。
(って、これだけでよかったかも。。。)

次は、“助けるプロ”の人達との間に起こりうるエネルギーの動きについて考えてみたいと思います。 たぶんですが、その前にクリスマス来ちゃうと思いますが。

クリスマスのご挨拶が万が一出来ない場合に備えまして、

みなさん、素敵なクリスマスを~
ジーザスクライスト様のこと忘れないでね~

それではまたね。

ようたろうようたろう
はろはろ。みなさん、こんにちは。猫天使修行中、黒猫ようたろうです。ようたろう

今日は、家から近い、日帰り温泉に行ってきました。
数日続いた雨も上がり、またさっぶいさっぶい日だった上、金曜日で夜の10時以降ちょっとお安くなってたので行ったんですが、人がいっぱいで驚きましたよ。

こんなに寒い日に露天風呂に入ったのは初めてだったんですが、湯気がもくもくと立ち昇る夜の露天風呂って、味があっていいですね~。おまけに今日は雨上がりで空気は澄みきってるし、きれいなお月様は上ってるし、星も日本に帰ってきてからこの辺で見た中では一番、っていうくらい沢山見えてて、露天風呂から仰ぐ空はホント~にきれ~でした!

おまけに帰り道の途中ではまた流れ星。。。

これで幸せな気分にならない訳はないですよね。

と~っても風流な気分になった僕はここで一句詠ませていただきます!

白い息 湯気とからまる 露天風呂

。。。お粗末さまでした。(#⌒∇⌒#)ゞ

ってことで眠くなったので、みなさんおやすみなさい。

次はまた『ステップアップ自己啓発』にたぶん戻ります。
それではまたね。

ようたろうようたろう
はろはろ。みなさん、こんにちは。猫天使修行中、黒猫ようたろうです。ようたろう

今日は『太陽と北風』のお話に比喩的に表現されているエネルギーの動きについてのお話、その3です。

前回は、『与えることと受け取ること』について考えてきました。
。。って、そのお話に移る前に、昨日のドラマ、『リーガルハイ』の最終回、おもしろかったですね~!
実は僕、飛び飛びで3,4話ぐらいしか見てないんですが、あのドラマ、すっごい面白いところをついていて、それが僕がこの『太陽と北風』のお話を通してお話ししようとしてることにも通じてるところがあるんです。

昨日の最終回では、一般に社会の中で成功し、うまく行っている助ける側のいわゆる“いい人”が陥りやすい落とし穴、みたいなところをうま~くついていながら、がはがはと笑わせてもらえて、ホントおもしろかったです~。僕ね、思うんですよ。何年か前に、アメリカで、金融機関のシステムがリッチな人をもっとリッチに、お金の無い人からもっとお金を取る、っていうシステムだってことで、大きなデモがあったんですけど、昔から、社会的に弱い立場の者達は、声を大にして、大勢集まって怒りをあらわに不満をぶつける、ってことをして社会的に権力がある側に気づいてもらう、社会の中で当たり前とされている曲がった観念を変えていく、っていうのがあるでしょう? 
昔はね、それくらいモラル的に正されるべきことも多かったですし、その動きも仕方なかったと思うんですけど、今の時代は、それらも随分と正されてきてるわけで、いわゆる、社会的に成功し地位も持っている、“いい人”も多い訳です。でも、その中で、“与える事と受け取ること”っていうのがイコールでない事、理論的には正しいことをしているように聞こえても、実は“助け、援助を本当に必要としている側”からエネルギーをとってしまっていることってまだまだ沢山あると思うんです。

で、前回の終わりに僕が言った、

1.自分の感情に目をむけること。
2.第三者の目で客観的に物事を見れること。
3.自分の中のエゴを見つめること。

っていうのが与える側にも受け取る側にも大切になってくる訳なんですけど、ぶっちゃけ、幼い頃から“自分には力が無い、生きる事は難しい”などと教え込まれていたり、十分な愛情を与えられる機会もあまりなく育ち、人間関係に苦しみ、生きる事に試行錯誤しているような人達にしてみれば、その人達がデモとか最悪何かバイオレンス的な行動などをしなければ伝えられないと感じるより先に、与えることが出来る側の人達の観念が変わってくれたら、もっと世の中スムーズに物事が進むのではないかなと思う訳です。 もちろん、『与えることと受け取ること』のエネルギー交換がうまくいかないことの大きな理由のひとつにCOMPASSIONの欠如というのがある限り、与える側の観念が変わるだけでは不十分なんですけどね。COMPASSION,って、僕が前回でも言った、相手の立場に立って考えてあげられる思いやり、やさしさ、です。この、COMPASSIONは、学校などで教えられる勉強から学ぶのは難しい、というところがあります。それでも!与える側、プラス、助けは必要ない(って思っている)人達の観念が変われば、それだけ自分らしい生き方ができていない人達にとって、変わりやすい状態を提供してあげられる、ってことなのです。

ってことで、『リーガルハイ』のドラマそういう意味でもとっても素敵!って思いました~。

で、長くなりましたが、また前回からの続きに戻ります。

ここでひとつ僕がアメリカにいた時に読んだお話をみなさんにもご紹介しましょう。大分前で少し忘れてしまった部分もあるんですけどこんな感じのお話だったと思います。

一人の女性がアメリカのアパラチア山脈を偶然訪れた時の事。その地方に住む、とても貧しい集落を見つけて、その貧しさに驚いてしまったそうです。そこで、その女性、その集落の生活水準を上げてあげたいと、チャリティーを行う事にしました。そして、その集落に赴きその旨をその集落の人々に伝えたわけです。すると、その女性が驚いた事に、その集落の人々は腹を立て、援助を断りました。そしてその後、何が起こったと思いますか?その後、そこに住んでいる人々は自分達でどうにかしようと立ち上がっていたのです。その後、その女性がそれを助ける援助をしたかどうかはちょっと覚えていませんが、たぶんしてあげてたと思います。で、その後、結果として彼らは生活水準を上げる事ができ、より豊かに暮らせるようになったそうです。めでたしめでたし。。。。

。。。って、このお話は、最初エネルギーの交換がうまくは行っていなかったけれど、よい結果につなげることができたというハッピーエンドの例ですね。 チャリティーで難しいのは、貧しい人々に物やお金を与える事、=(イコール)良い事、と簡潔に思いがちなところがあるところだと思います。この女性はシンプルに、金銭的な援助をして彼らを助けてあげたい、と思ったのでしょう。そう思って、それを行動に起こす事のできるとてもやさしい人だと思います。でも、その集落の人は腹を立て援助を断った、ってことはどうしてだと思いますか?

援助をしようとしたその女性は、アパラチア山脈に住むその人々の生活水準の向上、幸せを望んでいたのは事実ですよね。でも、その状態へ導く方法として、最初は彼らの中の“欠如”の部分に焦点が当てられていたのかもしれません。アパラチア山脈の人々は自分達が援助を受けなければいけないような存在だと思われた事がイヤだったのかもしれません。どちらにしても、援助の話を持ちかけた時のコミュニケーションがうまくいかなかったのは事実ですよね。結果、アパラチア山脈に住む人々は自分達の強さ、能力を、援助を与える側に表明したのです。その女性はアパラチアの人々の強さを知る事で、きっとそれだけで学んだ事はいっぱいあったと思います。そして、同時に、アパラチア山脈のその集落の人々も、最終的にはその女性にも感謝したんじゃないかと思うんですよ。 少なくとも、その女性が来てくれたから、自分達が変わるきっかけがもらえたわけですから。

ひとつ、このお話のように、問題が貧困などすでに目に見える世界に反映されている場合、その状態の改善に力になりたい、と思う人は沢山いるんじゃないかと思うので、その場合の、『与えることと受け取ること』のエネルギー交換が、うまくいかなくなるだろう目安になるものをお伝えしますね。

もしある人が貧困に苦しんでいる人々を見て、「この人達はもっとすばらしい状態に値する人達だ!」って思って、何かをしてあげたい、と思うとします。ある人は募金を思いつくかもしれません。ある人はボランティアを思いつくかもしれません。ある人は、仕事を与えようと思うかもしれません。ある人は奨学金を用意しようと思うかもしれません。。。。しかし、もしその人が、援助が必要のように見える人々に、その人々の意見、何が必要か、どうしたいのか、など、まず聞くことができる立場や状態にいない場合、そして本人に聞けるだけの心や金銭面などの余裕が無い場合、相手の感情や意思を無視した状態で何かをしたり、お金を与えたりしたとしても、与える側受け取る側両方にとって、望む結果を得ることは難しくなります。 

機会があるごとに募金などをせっせとしてきた心やさしいあなた。。。「何言ってんの?そんなわけない。こっちは心の底からその人達のためを思ってやってきたのに。」と思うかもしれません。それは僕もよ~くわかります。本当にやさしい人だと思います。星影さんだって長~い間そうやってきてたんですから。今回はエネルギーの動き、そして長い目で見た時、引き起こされる結果を考えながら話している、って思ってくださいね。

もしあなたが、今の生活の中でこの人の力になってあげたい、でも、今、その人の必要としていることを聞いてあげる余裕はない、そしてそれはたぶんしてあげられないと感じるなら、その人を助けてあげられるのは、今の時点では、あなたではないでしょう。それでもあなたの心のなかに“何かをしてあげたい”という衝動が強いなら、それはその相手の人が、あなたが必要としている“何か”、(愛情、エネルギー、など)を持っていると言えると思います。そして、あなた自身の中にもその人を助ける前に何か改善すべき状態や問題がある場合が多いです。多くの場合、本人はそのことには気づいてない事が多いので、難しいかもしれませんが、もしこういうエネルギーの動きを知っておけば、自分の状態を落ち着いてみる事ができ、知らずに誰かを傷つける、ということが世の中から減る、と言っても過言ではないと僕は思ってます。

つまりはこういうことです。僕、このブログのどこかでもすでに言ったと思いますけど、誰かの足りない部分に焦点をあてていると、自分が大丈夫な人に思えたりするもんなんです。そして、人はその自分の足りない部分を見たくなから、本能的に“出来る範囲で”誰かを助けたい、という衝動に駆られたりします。“出来る範囲”つまり、自分の足りない部分を見なくていい範囲で誰かに何かをしてあげるとそれは言い換えれば自分の状態を保つためにしていること、っていうふうにも言える訳です。 そしてこういうことを繰り返していると、知らずに誰かを傷つけているかもしれない状態にもなりうる、ってことなんです。

ここまでわかっていれば、何かしたり、言ったりする前に、一歩立ち止まって、これは自分のため?それともホントに相手のため?って考えてから行動できるようになるでしょう?何より、自分に謙虚になれます。

実るほど頭を垂れる稲穂かな

この格言の中の謙虚さを、まず自分に対して持てるかって事、“与えることが出来る側”の状態にいる人にはいつも持っていて欲しいものですよね。

今回は、主に、与える側の人に焦点を置いて、より素敵な状態を作り出すために知っておいてほしいなと思ったことをお話ししてみました。今度は受け取る側の人に焦点を当て、さらにプロとして与える側として働いている人とのエネルギーの動きについても考えてみたいと思います。

。。。それにしても、昨日の『リーガルハイ』、笑ったな~

ってことで、まだ僕の中では愉快な気分続いてます。

それではまたね。

ようたろうようたろう