遠行雑記-345



 駿河湾が見渡せるサービスエリアでひと休み。最近は小マメに休みを取らないと取り返しがつかないことになる恐れがあるんです。な~に、皆さんもね、そのうち分かりますって、年とりゃネ。トイレ
 

 


 平日朝の下りSAは人が少なくいい気持ち。ニコニコ

 

 


 ゆっくりコーヒーでも飲んでいたいところですが先を急ぎます。なんと言っても今回は趨(はし)り旅。短時間でいろいろな所を観て回りたいのです。走る人

 

 


 静岡県の中央部で大井川の東側の地域は駿河の国《駿河国》と呼ばれていましたが、この別名が駿州(すんしゅう)なのだそうです。つまり本記事のタイトルは早く言えば『静岡県中央部を走ってまわる旅』という意味です。そう、わざわざ面倒くさい文字を使って厭らしいタイトルを付けたわけで、これこそG爺の性格が現れているところなのです。人によってはタイトルを見るだけで嫌気がさして本記事を読まないかとも思いますが、ここまで読んでいただいたあなたには心より感謝申し上げます。ホントお願い


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 やって来たのは『日本平夢テラス』。ここは入場無料で三階の展望室や回廊となっている展望テラスから眺める富士山の姿が素晴らしいということで訪れました。美しい造形の建物です。富士山

 

 


 建築家の隈研吾さんの事務所によるものだそうです。

 

 


 静岡県産の木材をたっぷり使っていて優しさがありますね。ウインク

 

 


 敷地内の庭園に童謡『赤い靴』の銅像がありました。
 「あれ、赤い靴は横浜の話じゃないのなんでここに???びっくり
 不思議に思ってググってみました…。

 



以下、出典:『ニッポン旅マガジン』『ウィキペディア』

 主人公の女の子は『岩崎きみ』。実在した人物で、母親『岩崎かよ』より明治35年に静岡県清水市に誕生しました。
 明治36年に
かよは北海道に渡り夫と共に開拓農場に入植しましたが、開墾生活は厳しく、明治38年にきみちゃんをアメリカ人宣教師チャールス・ヒュエット夫妻の養女として託します。その後、明治40年にヒュエット夫妻はアメリカに帰国することになりましたが、きみちゃんは不運にも結核に罹ってしまい渡米できず、6歳の時に孤児院『永坂孤女院』に預けられました。そして、可哀想なことに9歳の時に他界してしまったのです。
 
野口雨情は当時知り合いとなっていた岩崎かよからきみちゃんヒュエット夫妻の話を聞き、赤い靴の詩を書いたのです。母かよはヒュエット夫妻に託したきみちゃんがアメリカで暮らしていると思い込み、最後まできみちゃんの死を知らなかったそうです。

 ・・・つまり
『横浜の波止場』は何も関係ない、雨情の創作だったことになりますね。この歌の三番の歌詞に、
 
今では青い目になっちゃって
 異人さんのお国にいるんだろう
 
 
 とありますが、実際は孤児院で亡くなっていたというわけです。こんな悲しい話を不覚にも全く知りませんでした…。ショボーン

 一方、きみちゃん生誕の地である静岡では別れ別れになった母娘を再会させようという機運が盛り上がり、昭和61年3月31日に日本平山頂の一角に母子像が建立されされたそうです。
(本内容の真偽は未確認ですので悪しからずご了承ください)


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 さて、展望テラスからの富士山はというと…こりゃダメですナ。えーん

 

 


 晴れていればこの辺に見えるということで、ギャラリーに飾られた写真をパチリカメラ
 (著作権侵害をさけるためにモザイク処理をしております)

 

 


 「バイバイ富士山また来るヨ 」バイバイ

 

 


悲しい話には弱いんじゃ…(/_;)
 

 

 

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