遠行雑記-343
昨日の時化の荒波のせいか、はたまた寄る年波のせいか、旅の三日目ともなると疲れがドッと押し寄せて参ります。こんな時、普段の生活ではTVのニュースでも聞きながらソファーの上で日がな一日ゴロゴロしているところでありますが、せっかくの旅の真っ最中、一分たりとも無駄にするのは惜しいもの。老骨に鞭打って今日も早々に観光に出かけましょう。
「次に来られるのは《千の風》になってからかも知れんからネ…」
*************************************
昨日入港した『厳原港』から西へ20分程歩いたところにいかにも由緒ありそうなお寺『万松院(ばんしょういん)』が建っています。元和元年(1615年)に宗家二十代の宋義成が建立し、宗家代々の墓所をかかえています。今回やって来るまで全く知りませんでしたが、ここには貴重な文化財が沢山あり重要な史跡となっているそうです。
※ 今回はお寺の許可を得て写真撮影し当ブログに掲載しております。ご許可いただきありがとうございます。
境内にちょっと変わった形の何かが立っています。
これは『諫鼓(かんこ)』で、君主の施政に物申したい庶民がこれを打ち鳴らして悪政であることを伝えるという、中国の古事に倣ったものです。施政に誤りがなければこれを打つ者はおらず、次第に苔が付き《諫鼓苔むす》、鳥がとまって遊ぶだけ《諫鼓鳥が鳴く》ということになるそうです。
本堂の中まで撮らせていただきました。
この額は『萬松精舎』と記されており、第108代後水尾天皇の第三皇女『鏡の宮』直筆の書だそうです。松の字が《木の下に公》という変わった文字になっていますが、これは宗家の繁栄を願ってのことだそうです。
本堂に飾られている『三具足(みつぐそく)』は朝鮮国王から贈られた燭台、香炉、花瓶の三点が揃った仏具です。宗氏は鎌倉中期から対馬を支配し、室町・江戸時代を通して朝鮮貿易の特権を握っていたそうです。
境内からここを通って御霊屋(おたまや)という宗家歴代の墓所に行くことができますが・・・
そのためには階段を上る必要があります。
むー。これはG爺の難敵ですな。
あっさり墓所はあきらめて『山門』のほうに回りましょ。
万松院は1691年(元禄4年)と1726年(享保11年)に放火などで多くが焼失し、現在の建物は再建後のものですが、この山門と仁王像だけは焼けずに残った貴重なものだそうです。
口を大きく開けた金剛力士像阿形(あぎょう)と、
口を結んだ金剛力士像吽形(うんぎょう)。二体そろって阿吽の仲ですね。
貴重なものを拝見しました。
****************************************
駆け足で巡った壱岐対馬の旅でしたが、またひとつ大切な思い出ができました。
この年になってもいろいろな経験ができたことに感謝して、この旅を終わります。
「ありがとう。サヨナラ…」
*****************************************
今回の旅のお土産です。
まずは《壱岐の塩》と対馬の《藻塩》。両方とも美味しいに決まってますよネ。
そして《たべるいりこ》と《あおさ》。これも楽しみ…。
餡をカステラで巻いた《かすまき》も良いですネ~。コイツから喰うかナ~。
○○病を悪化させるでないゾ。(-_-;)
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜