両親が離婚した子供の気持ち by 中年のオバちゃん

両親が離婚した子供の気持ち by 中年のオバちゃん

両親が離婚した子供の気持ちが少なくとも日本ではあまり語られていないなぁと思い続けて数十年。だったら自分で書いてみようと思い立ったものの、どこまで続くのかはわかりません。ゆるゆると続けていけたらと思います。私の性格上、話はイロイロと脱線するかもしれませんが。

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またまた時間が空いてしまいました。色々とね、忙しかったんですよ。世の中も毎日目まぐるしくニュースがありますね。ニュースを追いかけるだけで疲れてしまいますよ。

話は私の母に戻ります。結婚してから別居するまでのあいだ、ずっと妊娠中、もしくは授乳中だった、ということは、身体も感情もずっと上がったり、下がったり、ジェットコースター状態だったのでは、と想像するのです。

私が産まれて数ヶ月後には近所に住んでいた大叔母に私を預けて若者の引率でキャンプに出かけた、ということも聞いているので、ある意味はっちゃけていたりもしたけれど、それだけでは無かったと思うのです。戸惑いも孤独感もきっとあった。父は転勤族だったらしいので、結婚直後に、東京の母の実家からは遠く離れた大阪に住むことになりました。時代だったのでしょうが、見合いで良く知りもしない相手と結婚することは私の想像を遥かに超えます。しかし、その上いきなり知らない土地で暮らすことになり、友達を作る暇も無いまま妊娠、出産するってどういうことなのでしょう?

前にも書いたかと思うのですが、妊娠中の感情の起伏って自分ではどうにもコントロールできなかったりするのです。ある意味、ホルモン最強ですよ。私が産まれた時には祖母も手伝いに来てくれたけれど、2週間ほどで東京に帰ってしまったそうです。そうなると、近くに親戚はいたけれど、友人などは皆無の土地で、父は普通の日本のサラリーマンでしたから定時に帰宅することなどほぼ無くて、赤ん坊である私と母と社宅に二人。だってさ、繰り返しますけれどハネムーンベビーですよ。友人作る暇なんて無かったよね。それはね、孤独だっただろうな、と思うのです。70年代、今以上に公的にも民間にも子育てサポートなんて充実していなかったでしょうから。サポートどころか、まだまだ女は結婚して子供を産むのが当たり前だし、それこそが幸せというものだ、という時代だったと思うのです。家族以外の子育てサポートなんて誰も考えていなかったのではないか、と思うのです。実際のところは知りませんが。

そして以前にも書いたように妹と弟を次々に妊娠します。そして弟が1歳になる前に家を出たのですから、夫婦水入らずの時間なんてほぼ無かったのでは、と想像するわけです。どんな結婚生活だったんだろう。しつこく繰り返しますけれど、私がハネムーンベビーであるのならば、二人だけの時間は九ヶ月そこそこですよ。大阪での新しい生活、日々目まぐるしく変化し続ける自身の身体と感情、ゆっくり相手を知ろうとする余裕なんてあったのでしょうか。赤ん坊が産まれれば、特に第一子はもう、それだけで毎日精一杯ですよ。もう、ビックリするくらいそれしか出来ない。

そして、これは邪推かもしれませんが、私が知る父親の言葉の端々から想像するに、私の父は「妻とはこういうものである。」という先入観が邪魔をして、私の母のことを一人の人間として知ろうともしなかったのではないか、と思うのです。ある意味彼も時代の犠牲というか、「あるべき病」に侵されていて、男はこうあるべき、女はこうあるべき、家族はこうあるべき、父親はこうあるべき、母親はこうあるべき、そんなもので雁字搦めになっていて、母と結婚するまでそれに全く疑問を持つ機会を得ないままでいることのできてしまった人なのでしょうね。そして、それはそれまでの彼の人生の中では当たり前だったので、彼の「あるべき」に全く収まらない母を理解するのは中々に難しいことではあったのでしょう。要は家父長制的な考え方が当たり前過ぎて、それに準じた生き方の出来ない人間の存在は想像すら出来なかったのではないかと思います。

「あるべき病」「家父長制」って、現代でもあると思うのです。そして、70年代なんてもう、今とは比べものにならないくらいに、それは日本の世間というものに蔓延していたのではないか、と想像するのです。でもね、母もその時代の、日本、という国に生きていて、いわゆる「普通のサラリーマン」と結婚する、という選択をしたのなら、その時代を覆っていたであろう、「あるべき病」もしくは揺らぎない存在感を持って日本社会のど真ん中にがっつり腰を落ち着けていたはずの家父長制の存在を自分ごととして捉えていて然るべきなのでは、とも思うのですが、どうなのでしょう。あまりそういう感じを母から受けないのです。家父長制的なものはどこか他人事と思っている感じを受けるのです。もしかしたら見て見ないふり、気づいていないふりをすることで必死に自分を保とうとしていたのかもしれません。

結局、父も母も、自分のことを見て、相手を見ることをしなかったのでは、と感じてしまうのです。自分勝手なのよね。でもね、人間って基本的には自分勝手なものだと思うのです。ただ、そうであったとしても、それを自覚するか、そうでないか、の違いは大きいです。

 

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本日のみみみみず

 

坂本冬美 と 東京スカパラダイスオーケストラ - お祭りマンボ

 

元旦の朝、6歳息子が前日真夜中まで起きていたためになかなか起きられず、みんなでお雑煮を食べるのを待っていた時に、夫が、「紅白が観れるか見てみよう」と言い出し、YouTubeでダイジェストみたいなものを見てみたのですが、全然わからない人が多い中、これはわかる。というか、最高すぎる。冬美ちゃん大好き。ひばりちゃんも大好き。スカパラも大好き。ちょっと舞台がうるさすぎる、というか、私としては冬美ちゃんとスカパラだけの方が良いのではないか、と。でも、この組み合わせを考えた人は天才。