今日は私の父親について
戦後のベビーブーム、団塊世代と言われる時代に生まれた70半ばの
まさに『昭和の親父』って感じ
自営業の4人きょうだいの3番目、次男として生まれ
ただ1人大学まで出してもらい
当時としては高級車と言われる車も買ってもらえる
いわゆる田舎のボンボンでした
性格は真面目だけど遊び好き、キレイ好きでお酒好き、家では寡黙で難しい父親だと思ってたけど、社交的で顔は広いかな?
大学卒業後は県内の大手企業に入社、定年まで勤め上げた一途な人です
ま、昔は入社から定年までが当たり前だったんだろうね
定年後は系列会社の社長を任され、引退した今は
代々引き継がれた土地の管理と、庭と畑を趣味に気ままに過ごしています。
母とは学生時代に知り合い、買ってもらった車で母の専門学校に毎日迎えに行く(母にとっては迷惑な)ほど惚れていた様
母はと言うと、校門のところに父がいないか友達に確認してもらって、待っていたら裏から逃げ帰るほど嫌がっていたようだけど
根負けして結婚し、私と妹が生まれました
子どもの頃の私から見る父は
怒ると怖いし、あまり話をしない、気軽に絡めない、まさに『ラスボス』的な
キレイ好き⋯と言うか、自分のテリトリー(家)を汚されるのを嫌うので
玄関の靴は整理整頓当たり前、脱いだらいちいち靴棚に片付けて玄関には何もない状態じゃないと雷が落ちる
襖とかを開ける時、手垢や汗が付いて汚れるのは許されないので、指を入れる引手っていうの?あそこ以外を触ると、当然怒鳴られる
指紋が付くので窓ガラスは触れない
父親の帰宅時間前には、おもちゃ1つ出していてはいけない
外から遊んで帰って来ても、砂粒1つ家に入れることは許されない
ヨレヨレの服は来てはいけない、穴が空いている物は論外
鉛筆の持ち方、箸の使い方はもちろん
中学高校に上がっても門限も厳しかったな〜
まぁ、当たり前っちゃー当たり前の事かも知れんけど
怒り方が半端ない
手をあげる事はさすがになかったけど、今で言うモラハラに近い感じ
子ども相手やけどって
昭和の親父あるあるなんやろな
そんなもんだから、思春期に入ると当然反発しますわな
ほんの一部抜粋
門限はあったけど当然守らない
夜中、窓から抜け出す
中2でタバコ、中3でアルコール
万引きも常習(←もう時効ね)
高校入ってすぐバイト初めて
夜は遊んで午前様
高3の夏休みに免許取得して夜中に親の車乗り回す
元々会話は少なかったけど、中2辺りから完全に口聞かなくなりましたよね
就職してからも(もう大人やん)一人暮らしを反対されたので、勝手にアパート契約して夜逃げのように家を出たという
思春期にあんなに反発してひねくれていたのに、ちゃんと看護師になるってゆーねw
そこら辺はちゃんと考えて、資格がちゃんとしてて給料も高い看護師を選択するのが私らしい
何個か前のブログにも書いたけど、反発しつつ親の面倒を見るのは自分っていう自覚はあったよ
私、旦那と結婚する前に、結婚を約束した人がいたんです。
お互いの親に挨拶もして、結婚する時期まで決めて、職場にも報告してたんだけど。
相手に借金があることが判明して、
それがよりによってギャンブルで出来た借金
もう、あっという間に破談よね
借金以外にも、父親がいろいろ調べあげて猛反対
激怒っていうもんじゃないよ
さすがに私も、その反対を押し切ってまで一緒になりたいと思わなかった
悲しかったな〜
破談になったあと、しばらくメンタル崩壊して仕事行けなかったし、
文字通り この世の終わり って感じの日々を過ごしていたわ
散々な別れ方をしたけど、
あの後も旦那の前に何人かお付き合いしたけど、
今でもあの人より愛せる人はいない。
ジュディ・オングの魅せられて って分かります?
抱かれていても他の男の夢を見る
ってやつ。
あれ、ほんとにあるあるやなって体感した
当時はどん底に落ちたけど、あの時があるから今があるわけで
あの人と結婚しなくて良かったなって、今なら思えるようになったよ
もし、あの時に反対を押し切って一緒になろうとしてたら、今の私が全力で反対する
散々だったけど、一生に一度の恋愛してたなぁ〜っていい思い出です
次回は、今の父と私と母の関係について書きますね