こんにちは。 

 

 

超名作の

「ハリーポッター」シリーズは

原作も映画も

皆さま

よくご存知ですよね?

 

文学史だけでなく

エンタメの歴史にも

永遠に残っていくでしょう。

 

 

 

豊島区じゃなくて

練馬区にあったのに

「としまえん」という

遊園地の跡に

ハリポタのアミューズメント施設が

オープンするので

話題になってます。

(周囲はふつーの

住宅地なのよ。マジで。)

 

 

都内では舞台も上演されてます。

(ああ、観たいなあ。

経済的に余裕が出るまで

ロングランになりますように。)

 

 

 

下の写真は

フリー画像で見つけました。

 

 

 

 

 

 

今日の話題は

そんなハリーポッターの

ワンシーンから。

 

 

 

 

 

ハリーは、敵に囲まれて

絶体絶命の窮地に陥ります。

そのとき

森の向こうに

光に包まれた大きな鹿が

現れて彼を救います。

 

目が覚めたハリーは

自分を助けてくれたあの

神々しい鹿は

亡くなった父だと思います。

 

 

 

 

 

・・・しかし

 

 

 

 

物語の後半で

彼は気づくのです。

 

 

あ・・あれは

未来の(つまり今の)

「自分」だったんだ。

(映画をご覧になってない

あるいは原作のこの部分が

未読の方、ネタバレですね。

ごめんなさい・・)

 

 

 

 

 

私は当時マジで

人生で追い詰められてたので

途方に暮れてましたが

唯一の身内である妹にも

愛する友たちにも

誰にも言わず苦しんでいました。

 

 

 

 

 

そう、頼り下手なの。

甘え下手なの。

「助けて」が言えないの。

 

 

 

 

そんなとき

「ハリーポッター」の映画を観て

上記のシーンは

本当にココロ救われました。

 

 

 

 

 

 

とことん苦しんでいるとき

絶望したとき

神も仏も

あるものかと

思うことないですか?

 

 

 

私は思いました。

 

 

 

 

私なんて

ココロが超真っ黒だから

神も仏もきっと

助けてなんかくれないだろう。

 

今までだって

お願いなんて叶ったことないし。

 

 

 

 

しかし

映画のこのシーンは

ハリーを救ったのは

神でも仏でも守護霊でも

他界した父でもなく

 

 

 

なんと自分自身だったのです。

はい、未来のね。

 

 

 

 

 

 

そうか。

 

 

神や仏はこんな私を

救ってなんてくれなくたって

「私」だけは

「私」を何としても

助けにくるだろう。

(神仏はそんな小さな狭い

慈悲ではないと思うけど

当時の私はそう思った。)

 

 

 

 

 

 

自分だけは自分の味方だ。

 

 

自分がココロから

味方してくれなかったら

いったいどこの誰が

一番に助けに来るだろうか。

 

 

 

こんな器の小さい

ココロ真っ黒な自分でも

未来の自分は

過去の自分を

真っ先に助けに行くだろう。

 

 

 

 

 

 

この頃から私は

自分を愛おしく大切に

するようになりました。

 

 

 

 

 

過去に傷ついた自分

過去に誰かを傷つけた自分

情けないチカラない自分

そんな自分を

自分だけは

許して愛して助けてあげよう。

 

 

 

それが今に繋がっています。

 

 

ですから

ハリーポッターは

私の人生において恩人です。

(ええ、原作者がね)

 

 

 

 

 

何でこんな話しを

書いているのかというと

今日、ほぼ絶望してる

ある同僚に

この話しをしたから。

(事情は書きません。)

 

 

いや、彼女は劇的に元気に

なったわけじゃないけど

話しは聞いてくれました。

 

 

 

 

 

 

自分が思うより

自分て実は強いし

物凄いチカラあるよ。

by経験者

 

 

 

 

 

ほんと人生は魔法だ。

魔法だらけの人生。

辻褄が後で合ってくるような

そんな体験もしたりするよ。

 

 

 

そんな土曜日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分なんて信じられない。

そう思いますよね?

でも、それは自分が可哀そう。

こんなに健気に日々生きてるのに。

大切に大切にしてあげましょ。


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