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自殺について考える
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高校生の頃、小学校6年間クラスが同じだった男の子が自殺しました。
また、叔父が事故死か自殺かはっきりしない亡くなり方をしています。
男の子の葬儀に参加した日のことを覚えています。
葬儀はとても静かに、本当に静かに進みました。
出棺のとき、なんでだよ!なんでだよ!って周りなんか目に入らない様子でぼろぼろ泣きながら棺に取りすがった友人らしき男の子。
"なんでだよ!"
その様子が今でも記憶に焼付いています。
叔父に最後に会ったのは、私の母の葬儀の日でした。
人の輪から離れて、部屋の柱にもたれかかって、ちびちびとビールを飲んでいた姿を覚えています。
誰とも話さず、ひっそりビールを飲んでいました。
その日、叔父と話した記憶はありません。
その日から2週間ほど過ぎた日、叔父は行方不明に。そして川底からみつかりました。
私の覚えている叔父の姿は最後のさびしそうな様子です。
そして叔父の奥さんは心の病の中に居ます。
私の相方は私が知っているだけで1度死にかけています。
ODによるもので、たまたま人の居る場で倒れてくれたおかげで今生きています。
相方が見つかるまでの間、警察に行き、心当たりに片っ端から電話し、なんで気づかなかった、と泣きながら探し回りました。
自殺は周りに大きな衝撃を与えます。
そんなことを考える余裕すらないときに人は自殺をするのでしょうか。
そもそも”考える”という余裕が一切無くなった場合に自殺しやすいのかな、とか考えたりします。
相方も、普段は私のことを考えてくれて、死を選ぼうとする人では無いです。
そんな相方でも死の淵を見る。
それだけ強い衝動ということなのでしょうか。
そんなことを書いている私も自殺衝動と戦う一人です。
遺書はとっくに書きあがっているし。
自殺衝動のある人に向けて最近進められている硫化水素。
正直私も気になって方法を調べてみたりしました。
そこで感じた違和感。
流行の硫化水素自殺、ネット上では簡単、苦しくないとうたっていますが、本当に苦しまず一瞬でいけるならわざわざ部屋に充満させずに袋から一口吸えば、ということで十分なはず。
ある程度以上の濃度のものを何度か吸い込まなければ死ねないからそういうことが必要なわけで、その呼吸している間、濃度が上がっていくのを待つ間、絶対どう考えても苦しいと思います。
苦しむ間も無いほど一瞬で意識が無くなれるなら、人を巻き込むほど大量に発生させなくても済むよう、意識を消すための一呼吸+別な自殺方法との併用が示唆されるはず。
それが示唆されないということは、一呼吸では意識は消えないということなんだと思います。
意識が消える間、呼吸器官が壊れていく苦しさ、最後の最後にそんな苦しい方法を選ばないでほしいと思いました。
自殺衝動。
自殺は自分で選んだ死ではない。病死だ。
そんな文章をネット上で見かけました。
生きていれば治せたかもしれない自殺衝動という病気。
病気だから死にます、と考えるとなんだか少しもったいないような気もしてきます。
できれば衝動にまけないでおばあちゃんになりたいところです。
私も、相方も、一緒に今は生きる道を歩く日々に必死です。
一人でも多くの人が同じように生きる道を歩いてくれるといい、と自分勝手で我侭な思いを持っていたりします。