古事記p.77曰、「麗しき美人曰、

「大山津見神女、名は、神阿多津比賣、亦名は、木花佐久夜毘賣と謂ふ」

-

注曰、薩摩阿多(鹿児島県日置郡)

-

a氏曰、「イクメ〔垂仁〕大王の母は阿多津姫である」

 

すると、古事記は、<みまき>姫とするpre-textes(諸家の持たる帝王日継)と<阿多津姫>とするpre-textes(諸家の持たる帝王日継)の混同か??

 

古事記曰(p.111)、「亦、大毘古命女、御眞津比賣を娶して、生みませる御子、伊玖米入日子伊沙知命(漢風諡號:垂仁天皇)」

-

a氏曰、「

任那が古くから和国の領土であるように、記紀は見せかけたかったらしい

そのために、都万(つま)国の王だった物部イニエ〔崇神〕の記事を書き換えた

すなわちイクメ王が都万からヤマト入りしたのに因んで、任那からヤマト入りしたような「ミマキ入り彦」の名を、父君のイニエ大王の名に加えた

御真木入彦〔崇神〕王をオオヒビ大王の御子と偽り、磯城王朝の大王に当てはめた

御真木入彦王は筑紫国で生まれ、日向国で亡くなった

長生きでなく、また、ヤマトには1回も来たことのない人であった

-

とすると、古事記日本書紀古語拾遺ほつまつたゑ神皇正統記等に載る所謂漢風諡號崇神天皇の話は一体だうなるのか??

一曰、「神武は架空の天皇」「年紀は、辛酉革命説」

a氏曰、「倭建命/日本武尊の話は、フイクシオン」

-

古事記(p.118)曰、「大筒木垂根王女、迦具夜比賣を娶して、生みませる御子、をざべ王」

「大筒木垂根王」とは誰か?

-

神武や、やまとたけが創作としても、九州関係が頻出する

 

伊邪那岐の禊、「日向の小戸の河あはき原」「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」

天孫降臨、「筑紫日向高千穂槵觸(くしふる)峯」

神日本磐余彦天皇(漢風諡號:神武天皇)、「筑紫日向宮崎宮」

亦一書曰、「

應神天皇、欽明天皇御代に始て神とあらはれて、筑紫肥後國菱形國と云所にあらはれ給、”われは人皇十六代譽田八幡丸(まろ)なり”

「後に豊前國宇佐宮に鎮まり給しかば、聖武天皇東大寺建立後、巡礼し給べきよし宣託ありき

「(中略)一代一度宇佐へも勅使奉らる」

-

又、やまとたけも、フイクシオンにしても、im方式で見ると、

尾張熱田社家に婿入りした

結婚相手は、熱田社巫女媛(宮簀媛)

-

亦このim方式は、素戔嗚にも当て嵌まる

出雲○○家に婿入り

結婚相手は、櫛稲田媛

-

-素戔嗚の場合-

出て来た剣が、<天叢雲>

素戔嗚其の剣(乃至名)は自分で持つて置く事が出来ず、天の天照大神が持つべき剣(乃至名)と天照大神に献上する

(im方式で云ふと、「叢雲素戔嗚」と名乗る/呼ばれる資格が自分にはない)

(「叢雲」と名乗る/呼ばれる事が出来るのは、天照大神しかゐない)

一書曰、「初代大王は、天叢雲命」

-

ほつまつたゑでは、

山辺に大和國魂神を、おはり(尾治/尾張)氏女、おおあま大海姫に祀らせる

御神体は、三種神寶の剣やゑかき(剣名<八重垣>)

-

尾張熱田社に置かれた剣は、<草薙>(<天叢雲>?)

此方も大和國魂神<八重垣>同様、祀るのは、尾張氏女(宮簀媛)

-

この似た図式を視るに、

霊威頗る神剣を置き祀れる程の家柄は、尾張氏のみと謂ふ事か

又、逆に云へば、尾張氏が大王乃至天皇に神剣神事をうちに全部任せて下さいと??

又、物部が蘇我に敗れ、其処に尾張氏が勢力を、と云ふ事か?

-

又、神武が架空の天皇としても、何故、「筑紫日向宮崎宮」なのか?

一書曰、「其剣を豊布都神と號す

「始めやまと石上にましましき

「後には常陸鹿嶋神宮にまします」

橿原宮

何故、橿原なのか?

神日本磐余彦

何故、いはれ磐余なのか?

-

亦、架空の天皇と云はれる神武天皇にも、im方式が当て嵌る

-

#薩摩#阿多#鹿児島県#日置郡#生目#都萬#筑紫#日向#宮崎宮#肥後國#菱形國#豊前國#宇佐宮

#九州#筑後#福岡、と来れば、久留米市出身のスーパースター☆蒲池法子さん