これまでのブログは

毎回 私の日常日記のような記事ばかりを書いてきました。

拙いブログをお読みくださり感謝しています。

息子の証を残すためにスタートしたブログでしたが

特に闘病中の事は記憶が飛んでいて
思い出せず

生前の事は思い出すと辛すぎて

あまり 息子自身に関する事を書けずにいました

ですが…

今日は なんだか…

急に 治療前の私と息子の事を

書いてみようという気になりました。




三回忌を前に、また タラレバの渦の中で

身動きが出来なくなっている中

ふと 闘病中の事を思い出しました

2年前の四月末

息子の抗がん剤治療が始まりました

肝機能の状態が良くなく

抗がん剤治療が出来るか出来ないかの状態でした

治療が厳しいかと思われる中

生きるためには 抗がん剤を投与するしか道はなく…

息子に生きる道を与えてください

と号泣しながら頭を下げた事でした


主治医の方から 厳しい治療になるという宣告を受け

でも、薬物療法で 数パーセントでも将来

の希望があるのならばと 息子も私も 生き

ること 生かされることを信じたあの日

息子と私は 笑っていた


今日から世間はゴールデンウィークやね


病室の窓から 晴天の外を眺めながらの
会話…

きっと来年は トラックで走っている!

と心の中で呟きながらも

悔しさと 歯痒さで 泣き出してしまいそうだったが

泣きたいのは息子の方だと…

私は笑っとかんと いかんと

自分に言い聞かせ踏ん張りました

闘病期間 2ヶ月

フルタイムでの仕事の後

1時間かけて病院に通い

入院して間もなく 仕事と看病の両立が難しくなり
休職しその後 泊まり込みでの看病


身も心も余裕がなく

自宅での 車庫入れの時に車をぶつけたり

かすったりで車体はボコボコ状態

お願いだから

夢であって欲しいと

何度も思ったことでした


毎晩のようにかかってくる主治医の電話

話しに気持ちがついていけなくて…

夜も眠ることが出来ず

携帯片手に同じ病名の方の治療方法などを

検索する毎日でした

今だに  記憶が飛んでしまっていて

思い出せないことが多々あるけれど

2年前の私は 

息子を守るために 情報収集に動き回って

いたことだけは しっかりと覚えています


あの時の私は …

息子の母親として何が出来ていたのだろう

息子はどう思っていたかな…


毎日 ため息ばかり…

また不安の波にのみ込まれ

おかしくなりそうです。

この2年間 自宅に引きこもり
お参りに来て下さる方々以外は
ほとんど 人と接することがありませんでした。
会話をする時、言いたい事は頭に浮かんでいるのに 上手く言葉が出てこなかったり
頭が回らず ブログも 文になってなかったり…
こんな私ではありますが これからもよろしくお願い致します。