次は何処の銭湯に行こうかとGoogleマップを見ていて偶然見つけたのが、東村山市にある国立ハンセン病資料館でした



ハンセン病と聞いて思い出すのが、昔の映画の「砂の器」、そして数年前に観た樹木希林さん最後の主演作でもある「あん」です




どちらの映画も人々のハンセン病に対する無知と恐れから、偏見と差別に苦しみ普通の小さな幸せさえ許されないハンセン病患者の、心揺さぶられるお話でした



ワタシもハンセン病については無知に等しいもの

だからこそ、正しく知るべきだと思い

行ってみることにしました



武蔵野線の秋津駅から徒歩20分程で、資料館のある敷地の入口に到着します



小さなフェンスを抜けて中に入った先は

国立療養所多磨全生園



ここは全国に13ヶ所ある国立ハンセン病療養所の一つで、今年で創立114年だそうです


ハンセン病後の方が暮らし、広大な敷地の中には後遺症や合併症などに対応する診療、看護、そして介護も行われています



そんな中にあるのが、国立ハンセン病資料館です



建物はとても綺麗で、展示はいくつかのパートに分かれています


先ずは入った一階の先にある導入展示

国立ハンセン病資料館のあゆみです


(館内写真はHPよりお借りしています)


設立前の活動から、館の目的・理念・機能などについての説明があり、いかに様々な人たちの強い思いの下で設立されたのかが分かります



2階に上がると、先ずあるのが歴史展示です


日本の政策を中心としたハンセン病をめぐる歴史の展示として、かつては穢れた病、家筋・血筋が原因だと言われた時代から、細菌学の発展とともに患者の隔離が国の対策として行われてきたことなどの展示がありました



1931(昭和6)年には「らい予防ニ関スル件」が改正され、全ての患者を強制的に全国の療養所へ隔離することが合法化されました


その後1996年に廃止されるまで隔離政策が続き、2009年にはハンセン病問題の解決の促進に関する法律(「ハンセン病問題基本法」)が施行され、回復者らの福祉の増進や名誉の回復のための取り組みが行われています


そして2016年には、回復者の家族が国の隔離政策による被害への謝罪と補償を求めて提訴したハンセン病家族国家賠償請求訴訟も、一審判決で勝利し、国は控訴を断念して判決が確定しました



遥か昔から、病の大きな苦しみとともに差別と偏見にも深く苦しみ、戦前からの隔離政策による断種や中絶などを含めて人権を無視された過酷な暮らしの苦しみは続き、その名誉回復と差別や偏見との戦いは今も続いているのだと知りました




ハンセン病は、戦後プロミンという初の治療薬が出来て以降治る病気となり、今ではたった一つの注意 …多菌型ハンセン病で未治療の患者さんが乳幼児をくりかえし抱いたりしないこと、それさえ守れば病気がうつるようなことはないということです


そんな時代を経て、展示室3は「生き抜いた証」です



苛酷な状況にあってなお、生きる意味を求め、生き抜いてきた患者・回復者の方の姿を紹介しており、ビデオで生の声も聞くことが出来ます



結局、閉館ギリギリまでの1時間半、

じっくりと展示に見入ってしまいました



日本にはこうした差別と偏見の歴史があり

今も差別や偏見のために故郷に帰ることが出来ず

療養所に残って暮らしている人たちが多くいる

ということも知りました




当たり前のこととして日常を過ごせることが

なんて幸せなことなのか



今、世界で起きている戦争で苦しむ人たちはもちろん、一見穏やかに見える日本の中にも、今も差別と偏見に苦しむ人たちがいる



そういうことをあらためて知り

自分の暮らしの幸せの有り難さを思いながら

銭湯へと向かったのでした…




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