都営新宿線の大島にある

銭湯藤の湯に行こうと思い


Googleマップを見ていた時に偶然見つけたのが

東京大空襲・戦災資料センターです





ここは国立でも都立でも、江東区立でもなく、

民立・民営の施設です



東京では77年前の1945年310日、

東京23区の3分の1が戦火で焼き尽くされました


そしてウクライナではロシアの侵攻から3ヶ月が

経ちますが、一向に出口が見えない状態が

続いています。だからこそ戦争の愚かさを

あらためて知ろう、感じよう、

そして考えようと思い、藤の湯訪湯前に

この施設を訪れることにしました


入口には平和の祈りのモニュメントがあります



早速中に入ります



中に入って受付前は図書コーナー



そこから常設展示の2階へ上がります


大空襲翌日、1945年3月11日の朝日新聞




戦時下では、室内には黒いカーテンと

電気にも黒い布を掛け、外に明かりが漏れて

空襲の標的にならないようにしていたそうです



子どもたちも、空襲の火災に備えて

バケツリレーの消化訓練をしていました



これが空襲の凶器、焼夷弾です



焼夷弾が落とされた建物



溶けてしまった硬貨や陶器、洋服




東京23区がこれだけ燃えてしまいました

(ピンクの箇所が戦火の場所)


焼けた浅草松屋(左のビルは神谷バー)



今の浅草松屋



そして隅田公園の仮埋葬の様子



映像による、実際に大空襲を経験した方々の

証言の映像も見ることが出来ます



医師の日野原重明さんの証言もありました



1階にも展示があります


江東区はほぼ壊滅的




浅草も燃え尽きてしまっています



まるで今のウクライナのようです…


戦争は、何もかも破壊します

街も、人も、人の心までも


(上野駅不忍口前に座る戦災孤児)


77年前、沖縄、長崎、広島を始め

日本各地で空襲の災禍に襲われ、

東京も火の海に見舞われました


戦争は決して対岸の火事ではなく

今も東京にはその爪痕や痕跡を

見ることが出来ます


ワタシの家のお墓は浅草にあるのですが

今も残る多くの戦前からの墓石は

戦火のため赤茶けて部分的に剥落しています

それを見る度に戦争の爪痕を感じてきました



今回、東京大空襲・戦災資料センターを訪れて

あらためて戦争の恐ろしさと愚かさを

感じ考えることが出来ました


ウクライナの人たちの苦しさを想う時、

一分一秒でも早くこの戦争が終わって欲しい

そう思うと共に、あらためて反戦の思いと

平和を願わずにはいられませんでした…