
本日、私は素敵な本を買い求め、新しい本を開くトキメキを胸に、お会計をしようとしていました。
お釣りを待つ暫しのあいだ、ふとカウンターのすぐ手前の人気新書を見やると、文藝春秋の新刊と並んで、真っ白な本がありました。
何だろうと目を凝らすと、約20年前の凄惨な連続殺人事件の加害者による手記本であることがわかりました。
その時の気持ちが、ああ、どんなものかと、筆舌に尽くしがたいものでありました。
お会計した本へのワクワク感はどこへやら、一瞬にして吐き気がこみ上げてきました。
何これ、どーゆーことこれ、気持ち悪い、というか、なんというか、ちょっと、こんなもの私に見せないでよー!!!
と、叫びたい気持ち、が一番近いかと存じます。
実を申しますと、私、この手記本について噂はきいたことがあっても、どうでもいいわー所詮は本屋も営利事業、売れると思ったら置くよね、でも被害者や遺族のことは無関心なのねーとしか、思っておりませんでした。
ですが!
否応なしに目に飛び込む煽りの帯!こみ上げる吐き気!
きっと私は今日買った本を手にする度に、この吐き気を思いだし、あんな店で買うんじゃなかった~と思う事でしょう。
本屋さんは確かに営利事業です、でもお客はお金を払うと同時に、並んでいる本からイメージも受けとる、リアルコンテンツ産業とも考えられないでしょうか?
幼き日に、なけなしのお小遣いを握りしめて、ワクワクどきどきしながら、本屋さんへ向かった記憶はありませんか?
そういうものが手記本見たとたんに、一瞬にして霧散したのであります。
こんなことなら、amazonで最初から買っておけばよかった ーamazonだって売ってますけど、 少なくとも 検索しなければ目に触れません。
丸善さんは目先の利益を取った代わりに、本屋にくる人が店頭で本をあれこれ選ぶ楽しみを削ってしまったんじゃないか、と思います。
私の本屋で本を買うワクワク感を返せ!という心の叫びと共に、この拙い文章を結ばせて頂きます。
かしこ