今日の話は、NHKニュースみてて思い出した、戦争と空襲の悲しい話なので、苦手な方はみないでくださいー

NHKニュースでやってた、敗戦間際の秋田県での空襲の時の話。85歳の老婦人Aさんが語った話です。

空襲の時、Aさんの家は焼けなかったけど軒先に縁台みたいのがあって、焼け出された人達が通り掛かりに水を求めたそうです。何もあげられないから、水だけあげたと。その中に、赤ちゃんをおんぶした若い母親がいて背中をゆすってあやしているのをみていたそう。赤ちゃんが泣かないようにゆすってるんだな、と思って見てみると、赤ちゃんには首がなかった・・・・・若い母親は知らないまま、あやしている・・・・Aさんの母親が「ここは暑いから、その先の林のところが涼しいから、そこで赤ちゃんにお乳をあげたら」と、うながしたそうです。赤ちゃんが既に亡くなってるのを教えて、嘆き悲しむ姿を見るのはつらかったので、そういって余所へ行かせたらしい。

Aさんはその事が忘れられない。赤ちゃんの死を教えず行かせてしまったのが、悔やまれてならない。そして毎年その日がくると、「覚えてるからね」とお墓にみたてた石に手をあわせるのです。

私、このニュース見た時、思い出したんです。東京の空襲の時にも似た話がいくつもあるんですよ!あんなに色々聞いてたのに・・・なんで忘れてたのか・・・忘れててごめんなさい!

赤ちゃんが死んでるのは、若い母親は薄々気づいてたんじゃないか、って私は思います。でも生きてるって思いたい。だから生きてる時とおなじようにあやしてた。Aさんに、そう伝えたいけど、直接言えないからblogに書きました。ただの自己満足でしかないけど、書いておきたい。

空襲で焼い弾がアメアラレと降ってくる中、お姑さんと幼子を防空濠に避難させて、家を火の粉から守り通しやっと安全になったよ、と防空濠あけたら、中でお姑さんと子供が蒸し焼きになって亡くなってた話。火勢が強くて息がつけず、隅田川に飛び込んだけど火で窒息死して(火で酸欠になった)、川面は死体で埋めつくされてた話。

これはTVや授業で聞いた話ですが、直接見た人の色々な話を私は聞いてたんです。時々思い出してたはずなのに、今年はなんであまり思い出してなかったのか。

焼い弾がとびちった(幾つにも分かれるんです)のが、肩から胸にかけて突き刺さって、でも生きてて意識もあってうなってて、発火した弾に生きながら焼かれた人の話。忘れててごめんなさい。

父のいとこ一家は3月10日の空襲で全滅。母のおじさんは南方で亡くなり、渡された箱に紙が一枚はいってただけ。親戚のおじさんは自宅に飛び込んできた焼い弾をつかんで(すぐ発火しないタイプのがあった)窓からなげすてたとか。

家族も親戚も、めったに戦争の時の話はしません。でもたしかにあった話。いつもは、ドレスだ、映画だ、スイーツだ、と浮かれていますが、年に何回か思い出して、忘れないように、覚えていこうと思います。