9日の投稿に間に合わなかった・・・台風の影響で甲子園開会式が延びたとか。黙祷の全国放送もなしですね。。。ニュースも台風で占められ、長崎原爆の扱いが広島より少なく感じてしまいますが、天然にかなうわけがないので仕方ない。
2014年には、原爆投下チームの最後の一人セオドア・バンカークが亡くなり、これで投下側の直接携わった証人は全員死亡、いなくなってしまいました。原爆投下チーム(直接投下した組と、目視等のため爆撃機の前方を飛んでく組)の乗員は、一人を除き、原爆投下は正しい、後悔してない、原爆が米国の兵士の命を救った、と述べてます。
ただ一人、原爆投下が間違いだったと述べていたのは、クロード・イーザリー(エザリーとも読む)。広島長崎両方の作戦に参加していました。原爆投下チームは、英雄として勲章もらってますから、間違いと発言する事がどれほど大変なことだったか、彼の苦悩がうかがえます。
腕利きの軍人で、かつ功名心も強く、絶対皇居を銃撃するな命令でてたのに、模擬爆弾を落とす(狙いはそれて呉服橋へ)等、やっちまえ的な性格でもあったようです。日本が降伏しなかったら、17日に東京へ原爆投下するチームにもなっていたらしい。なお、原爆投下で苛まされるようになったのは、投下後数年たってからだったみたい。
戦後もしばらく軍人として活躍していたようですが、核実験参加中に被爆。どうもこのあたりから、原爆は間違いと深刻に思ったようで、だんだん酒浸り(元々酒豪)となり、退役後は強盗したりとハチャメチャに。精神錯乱とされて入院しますが、1978年に60歳に満たずに死亡します。同じチームの同僚で将官へ昇進した人物(スミソニアンのエノラゲイの展示に文句つけて訂正させた人)は、イーザリーが原爆間違い云々いうのは、強盗事件の裁判で心神耗弱(原爆投下への罪の意識のせいによる)というためだ、と批判したりしてました。
イーザリーの哲学者と交わした書簡集等からは、刑事罰逃れのための一時的な理由で言ってたとは思えません。かなり悪夢に苛まれ、酒に逃げるしかなかったたように思われます。だまってりゃ英雄のままだったのに、それが出来ず破滅していったイーザリー。そういう人物もいたのでした。
2014年には、原爆投下チームの最後の一人セオドア・バンカークが亡くなり、これで投下側の直接携わった証人は全員死亡、いなくなってしまいました。原爆投下チーム(直接投下した組と、目視等のため爆撃機の前方を飛んでく組)の乗員は、一人を除き、原爆投下は正しい、後悔してない、原爆が米国の兵士の命を救った、と述べてます。
ただ一人、原爆投下が間違いだったと述べていたのは、クロード・イーザリー(エザリーとも読む)。広島長崎両方の作戦に参加していました。原爆投下チームは、英雄として勲章もらってますから、間違いと発言する事がどれほど大変なことだったか、彼の苦悩がうかがえます。
腕利きの軍人で、かつ功名心も強く、絶対皇居を銃撃するな命令でてたのに、模擬爆弾を落とす(狙いはそれて呉服橋へ)等、やっちまえ的な性格でもあったようです。日本が降伏しなかったら、17日に東京へ原爆投下するチームにもなっていたらしい。なお、原爆投下で苛まされるようになったのは、投下後数年たってからだったみたい。
戦後もしばらく軍人として活躍していたようですが、核実験参加中に被爆。どうもこのあたりから、原爆は間違いと深刻に思ったようで、だんだん酒浸り(元々酒豪)となり、退役後は強盗したりとハチャメチャに。精神錯乱とされて入院しますが、1978年に60歳に満たずに死亡します。同じチームの同僚で将官へ昇進した人物(スミソニアンのエノラゲイの展示に文句つけて訂正させた人)は、イーザリーが原爆間違い云々いうのは、強盗事件の裁判で心神耗弱(原爆投下への罪の意識のせいによる)というためだ、と批判したりしてました。
イーザリーの哲学者と交わした書簡集等からは、刑事罰逃れのための一時的な理由で言ってたとは思えません。かなり悪夢に苛まれ、酒に逃げるしかなかったたように思われます。だまってりゃ英雄のままだったのに、それが出来ず破滅していったイーザリー。そういう人物もいたのでした。