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画像は7/30日経朝刊の記事。バンコク・ポストというタイの有力新聞の21日の社説らしい。内容は、中国の南シナ海での活動について米国に干渉するな、と警告した事は、中国がアジアでの力の誇示、中国は東南アジアに不和や分裂を産み、他国を脅している、というもので、中国へのかなりはっきりした厳しい批判です。「中国ほど地域のリーダーとしての資質に欠ける国はない。中国は自国の利益にしか念頭になく、すべての行動は自国政府と国民を利するのが目的」と厳しいです。最後は、東南アジアはほかの国からの支援(多分米国)に頼るのはやめ、結束して声を上げなくてはならない、と強い調子で結んでます。

タイのここ十数年は、各政党の争いに軍部が絡み、最後は国王の仲裁でなんとかおさまる、不安定と安定の微妙な間で動いてます。現在も混迷中でどうなるのか・・・・・この社説は、中国があからさまに危険な存在になりつつあるのに、国内争いしてる場合じゃないぞ、という警鐘なのでしょう。タイ人の中国というか華僑の人へのマイナス感情は、かなーり古くから根深く続いてる、と改めて感じました。

私が初めて外国人に接したのは、高校の同級生だったタイの人でした。観光客やビジネスマン等見かける程度はあれど、話さないし、知ってる在日の韓国や台湾の人は3世だったし、まったくの外国人と親交したのは高校の時が初めて。公立高校でしたが、なぜかタイの国費留学生を毎年数名ずつ受け入れてました。私の時は女子1名に男子4名。みな、高校入学前に日本語集中教育のため、2年間特訓していたので、2歳年上。最初は敬語使ってたんですが、そのうちタメ口に。その時に身をもって知ったのが、タイ人による華僑(国籍はタイなんだけど)への感情でした。

1年生の時に同級だったのは女の子Sさん。小柄だけどガッチリした体格、敬謙な仏教徒で、いつも大きな純銀の仏様のペンダントをつけてました。4cm×3cm、厚みも3cmくらいあって重かった。高校は割と自由というか不干渉というか、パーマや靴下、学ラン下のシャツ、セーラー服のちょっとした改造には目をつむってたので、彼女のペンダントも宗教的アイテムとしてOK。大層頭の良い人でした。学校の何かの講演時に、隣席に座ってた時、ふとみるとメモ紙に何やら細かい見慣れない文字の羅列が。「それ何語?」と聞くと「タイ語。忘れないよう練習してるの、私苦手で」というではありませんか。その時は???でしたが2年生になって理由がわかりました。

2年の時のタイ人同級生は男子C君。とっても細くて、足が早い人でした。彼の苗字は、ラワンみたいな、3音くらいのごく短い苗字でした。Sさんの苗字は、ニャガニャガニーみたいな長いもの。なにげに私は「Sさんの苗字長いけどC君のは短いのね」と言ってしまいました。すると彼は急に険しい顔になり(それまでおちゃらけてた)、「あいつは華僑だからな!」と吐き捨てたのでした。基本、C君はおどけた表情をして、人を笑わせてくれる楽しい人。それだけにびっくりでした。

後で社会科の先生に聞いて、タイ経済界では華僑が幅をきかしているので(チャロンポカパン財閥とか)、もとからのタイ人とは相容れないものがあると判明。それまで、タイ人の同級生同士のなかでSさんはいつも一人でしたが、単に女子1名だからだと思ってたんですが、実はハブられてたようなんです。タイ語の練習をしてたのも、あまり使わないから。国費留学生の試験は英語だったみたいで・・・・・タイ人のC君はどうやらフェアに試験を勝ち抜いてきたのではない、という疑惑を持ってもいたようです。Sさんはクラスの試験では平均点以上という、優秀な方でしたけどね(古文で彼女より下の点数は赤点追試、としたら半分以上が赤点になった)。

というわけで、タイは中国に対して複雑というよりも厳しい感情をいまも持っているようです。これはマレーシアではさらに顕著で。華僑や印僑が圧倒しないよう、マレー人優遇を政策に取り入れてます(ブミプトラ)。

画像の新聞読んでC君やSさんを思い出したら、高校生活が走馬灯のように思い出されて懐かしい・・・・・私の通った高校は、公立なのに、必修授業に夏休みに2000m級の登山や、2月にスキー教室があったりと、変なカリキュラムでした。C君は「日本の夏はたまら~ん」とばててしまい、タイのほうが暑くじゃんと聞くと「タイの夏は湿気がないんだー日本の湿気は重い」ということでした。教室にクーラーついたの7年前だったかな?オンボロ校舎で、窓ガラス割れるとガムテで貼ってたもんね(予算ないからガラスが買えない)。私の成績は3年時で400人中370番とか散々でしたが、色々な知恵や教養を得た貴重な時期でした。