1988年12月の極寒の北京に行った時、なかよくなった人が10日に来日するから会おう、と25年前の朝だったか国際電話で話していた。そしてそのさなかに、天安門広場に戦車が地響きをたてて突入してきたんである。彼の職場の席は天安門広場が見渡せる窓のところにあり、「聞いて!今、戦車が入ってきたよ、北京はもうおしまいだ!」と私にむかって叫んだのです。受話器を窓からだしていたらしい。なんかとにかくすごい騒ぎになってる・・・・その後数日音信不通になっちゃって心配してたら、大丈夫だったよーだけど来日できなくなっちゃた、とやっと電話がつながったのでした。その後、五年くらい会えなかった。北京ではすごくよくしてくれた、日本語ぺらぺらな人だったので、当時はお返しができなくて非常にくやしかったのを今でも覚えてます。五年後の来日来日時にも私を忘れず訪問してくれましたが、当時の中国の人は、他の人もとても義理堅く礼儀正しかったです。北京を冬場にスカートで歩いてるのは、当時は日本人くらいだったので(すごい寒いのでみなズボン)、日本語はなしましょーと、よく街角で声をかけられました。日本語習得がキャリアアップの手段だったのです。
亡くなった人達に合掌。
先日、天津の19歳の女の子の日本語留学生をちょっとお世話しました。が、天安門事件って何?と問われてびっくりです。むこうじゃ授業でふれないからねーでも、本気で捏造だーといわれたのにはひいたな。もっとも、53歳の足利市の人が東京大空襲を大学生になって東京くるまで知らなかったというから、しかたないか。何事も教育なのねー
亡くなった人達に合掌。
先日、天津の19歳の女の子の日本語留学生をちょっとお世話しました。が、天安門事件って何?と問われてびっくりです。むこうじゃ授業でふれないからねーでも、本気で捏造だーといわれたのにはひいたな。もっとも、53歳の足利市の人が東京大空襲を大学生になって東京くるまで知らなかったというから、しかたないか。何事も教育なのねー