いやいや、久しぶりです。
約3週間の間、まあ色んなことがあり、色んなことを考えもしましたが、
特別皆さんにお知らせするようなことでもなく、
ある日はめまぐるしく過ぎてゆき、ある日はただぼんやりと過ぎてゆきました。
そうそう、ここ数年、毎年2月も危険な月。
いわゆる季節の変わり目ですよね。身体が悲鳴を上げます。
昨年は、ぎっくり腰。
一昨年は、背中から腰にかけての激痛。
結局、ただ休んでいたら3日くらいで治ったのですが、
そんなときに限ってどうしても休めない仕事や用事が入るもので、
ヨロヨロしながら仕事していたのを思い出します。
今年はそんなことがないようにと、日頃から背中や腰を柔らかくしておいたのですが、
敵はさるもの(敵って誰だ?)
今年はノロウィルスにやられました。
その日は、私が幹事役をつとめて準備をした送別会があったのですが、仲間にすべておまかせ。
自宅でトイレと寝床を行ったり来たりして過ごしました。
ふう、今年はこれかぁ~~。
その後はひたすら体力回復に努めましたよ。
なぜかって?
それは、これからご紹介する表題の「神楽」見物するためです。
3月3日~4日、岩手の三陸海岸沿いに伝承される「神楽」を見るツアーが開催されました。
三陸地方のたくさんの神楽や民俗芸能の中から、今回は「黒森神楽」と「鵜鳥(うのとり)神楽」という
陸中沿岸を巡行する廻り神楽が披露されました。
岩手は日本の古い民俗文化が多種多様に伝承されている地域として知られる所。
従来は農閑期、そして正月から3月にかけて、村や集落を巡行して神楽を演じていたそうです。
それぞれの村や集落には「神楽宿」があって、そこで神楽を夜通し上演。
村の人々は皆でそれを楽しんだと言います。
ところが、その三陸沿岸は、先の津波で壊滅的な被害を受けた地域。
先の津波で神楽宿が流され、この1年はほとんど上演することができなかったとのこと。
そうです。集落(コミュニティー)が崩壊してしまったら、神楽を演じる場所と機会もなくなってしまう。
そこで、「いわて民俗観光プロジェクト」という団体がホテルを神楽宿とし、
神楽の公演とシンポジウムを企画したというので、
この機会に是非見てみたいと、私も初めて宮古市田老へと向かいました。
田老の町は、、、、、、すべてが流されていました。
さすがに1年が経とうとしているので、「がれき」はきれいに取り払われていましたが、
町は家の土台が残るのみ。
何もないんです。町に人が暮らしていないのです。
テレビのニュースで大方のことは「知っているつもり」でした。
でも、目のあたりにすると、もはや言葉はありません。
そして、茫然としているうちに高台のホテルに到着。
ホテルの敷地内には仮設住宅が建ち並んでいましたが、神楽公演があると聞いて
そこに住む人々も続々とホテルのロビーに集まってきました。
では、この日上演された演目紹介
(1)「田代念仏剣舞」:
お盆などに際して先祖や死者を供養するための踊り。
そもそもは民家の庭や寺の境内などで念仏を唱えながら踊られるもの
(2)「摂待七ツ物」:
災厄を祓い清めて五穀豊穣、大漁祈願するための芸能。舞い手が七種類の道具を持って舞う。
念仏剣舞や神楽は男衆だけが演じていましたが、
この摂待七ツ物では若い女性も舞に加わっていましたよ。
その凛々しいこと!どうやら、高校生らしいです。
そのうちに、「ひょっとこ」のような仮面をかぶった道化が出てきて、
見物客たちを大笑いさせていました。
どんな芸能にも、道化が出てきて笑わせたり皮肉を言ったりするものですね。
ここでも同じ。そして、見物客はそれが楽しみ。
おそらく仮設住宅からやってきたと思われるおばあちゃんたちの笑顔が見られたのが、
こんな場面でした。
そしていよいよ神楽のはじまりはじまり。。。。。。
(3)黒森神楽「舞い込み」:
舞の輪の真ん中には台が置かれてなぜか台所の料理用ボウルが。。。。。。
ボウルの中には、どうやら米の粉が入っていて、それを酒でトロトロに溶いてあるみたいです。
剣や杵をもった神楽衆がひとしきり舞った後、
米粉の汁を神楽衆たちは観客一人一人のおでこになすり付けてゆきます。
会場の人は皆お揃い、おでこに白いマーク。
私も、よそ者なのに、仲間に入れてもらえたみたいな気分。嬉しい!
* ちなみにこれ、バリ島の習俗とすごく似ています。
バリでは、寺院祭が行われる時、お坊さんから聖水をいただいたあとに米粒をおでこ、こめかみ、
胸元などに押し付けるんです。だから、祭りに参加した人は、皆お揃いで米粒を顔につけてます~。
(4)黒森神楽「夜神楽」:
夜になって、いよいよ神楽が始まりました。
場所は、ホテルの大座敷に移動です。
見物客はみな座布団に座って、それぞれ飲み食いしながら寛いで神楽見物。
演目は「清め祓い」「榊葉」「おろち退治」「松迎」「山の神」「恵比寿舞」「仕組み」
本当は、もっとたくさんの演目があるみたいです。
一つ一つ、内容を紹介したいところだけれど、、、、
どんなに言葉を尽くしても、私の興奮は伝わりそうにありません。
だって、舞といい、太鼓との絡みといい、とにかくカッコよかったんです~~。
ある人の話によると、黒森神楽は神楽界のエリート集団なのだとか。
この三陸沿岸には多様な伝統芸能が息づいていて、
それぞれの地域独自の芸能をその地域の住民自ら演じてきました。
もちろん、皆いわゆる「素人」というか、それで食べている専業の芸能者はいないので、
芸の上手い人もいればへたくそな人もいるでしょう。
でも、子どもの頃から魅力的な芸を披露できるカッコいい兄さんや叔父さんを見てきた人たちの目は
確実に肥えています。
そして、才能がほの見える子どもを見つけると、黒森神楽はすかさずスカウトしてきたのだそうです。
そして、おそらく厳しく躾けてきたのでしょう、たぶん。
今回も、大学生や20代30代の青年が見事に舞いを、太鼓を披露してくれました。
まあ、なんと、カッコいいこと。惚れましたよ、ワタシ。
本来、廻り神楽は村から村へと、宿から宿へと、芸を披露して巡行していくものです。
たぶん、カッコいい神楽衆を見てポーッと舞い上がってしまう若い娘は、ずっと昔から、
後を絶たなかったのではないでしょうか。
私はさすがにもう50歳を超えているので自制心が働きますけど。。。。。。
20代だったら、すっかり熱に浮かされていたんだろうなあ。。。。
(たぶん、江戸時代の若衆歌舞伎もこんな風だったのじゃないかしら?)
最初のうちは「塩」「米」が撒かれ「酒」を飲み回すなど、清め祓いの儀式的な内容の演目が続きましたが、
そのうちに立ち回りあり道化の笑いありの大衆演劇的などんちゃん騒ぎとなり、会場は大いに沸きました。
そしてこの晩最期に登場したのは、獅子頭の権現様。
会場にいたすべての人々が、この権現様の開いた口で頭から背中にかけてを清めていただき、この日の神楽は終わりました。

権現様
翌朝も9時から神楽の上演です
(5)黒森神楽衆による「念仏神楽」
(6)黒森神楽「舞立ち」
そして、10時からはシンポジウムでちょっとお勉強。
その後、午後にはもう一つの「鵜鳥神楽」の公演がありました。
二種類の神楽を比較してみると:
黒森神楽は洗練され、きれいにまとまってショーアップされているという印象。
鵜鳥神楽は少し規模が小さいけれど、土臭さがあって野趣あふれる力強さが強く感じられました。
そして、ふたつの神楽衆を見ていて興味深かったのは:
どちらも若いメンバーがお互いに競い合っているらしいということ。
黒森神楽の公演の時には鵜鳥神楽のメンバーが、
そして、鵜鳥神楽の公演の時には黒森神楽の若いメンバーが、
会場の片隅で鋭い視線でライバルの芸を見つめているのです。
まるで敵の陣地にもぐりこんで様子を偵察する若い兵士みたい。
ああ、いいなあ。こんな感じ。
こうやって、お互いに技を高め合っているんですよね。
三陸の伝統芸能。しっかり生きています。
実は、この公演の企画を聞いた時、最初に私の心に浮かんだのはこんなことでした。
↓
公演の機会がなくなってしまえば、神楽の伝承も廃れてしまうのだろう。
だから、少しでも公演の機会を作り、シンポジウムで人々の関心を高めなくてはいけないのだろうな。
うっかりしたら、大震災の被害で大切な郷土芸能が長い歴史を閉じてしまうだろうから。
ところが、会場で実際に神楽や念仏剣舞などの公演を目の当たりにして痛感したのは:
↓
貴重な芸能の保存のために、遠くに住む私が何らかの手助けをする?
何と言う思い上がりでしょう!
一体何ができるというのでしょう。
だって、ここの地域の人たちにとって神楽は日常生活の一部としてこれまで存在してきて、
人々は今でもそれを楽しみに待っているのです。
神楽を見る生活が戻って来るということ = 日常が戻って来るということ
これらの芸能は、地域の信仰や社会生活に根付いて生きている芸能だということを、
今回あらためて確認することができました。
日本の多くの地域では、そして世界の多くの地域でも、
伝統民俗芸能は消滅の危機にさらされているために「保護」され、「保存」されようとしているのですが、
三陸地方では、社会がそれを必要とし、その結果若い世代が自ら積極的に関わろうとしている。
見る人たちは厳しくも優しいまなざしで見守り、
演じる人たちはライバルよりも少しでも良いものを演じようと真剣になっている。
そして何より、その根底には生活と社会を守ってくれる権現様の存在を信じる謙虚な気持ちや、
亡くなった人々を弔ってくれる権現様の力を尊ぶ心が脈々と受け継がれているようです。
恥ずかしながら、私はインドネシアの芸能には結構詳しいと自負していたのですが、
自分の生まれ故郷であるニッポンの伝統民俗芸能にはあまり関心を払ってきませんでした。
これまで、ジャワやバリの社会には「目に見えない大いなる力」を信じる清らかで謙虚な心があって、
それが伝統芸能と密接な関係をもって受け継がれてきたということを盛んにアピールしてきたのですが、
実は自分の足元のニッポンにもそれが当たり前に存在してきた社会があるじゃありませんか。
この「大いなる力」と共に日常を暮らす社会と、そこに密接に関わってきた芸能、
震災を機に綿々と続いてきた日常が損なわれてしまわないことを切に祈ります。
宮古の人たちの日常が一日でも早く回復されますように。
そして、その日常のなかで、ますますカッコいい神楽を是非、また見てみたいと思います。
**黒森神楽や鵜鳥神楽は、You Tubeでも見ることができます**
約3週間の間、まあ色んなことがあり、色んなことを考えもしましたが、
特別皆さんにお知らせするようなことでもなく、
ある日はめまぐるしく過ぎてゆき、ある日はただぼんやりと過ぎてゆきました。
そうそう、ここ数年、毎年2月も危険な月。
いわゆる季節の変わり目ですよね。身体が悲鳴を上げます。
昨年は、ぎっくり腰。
一昨年は、背中から腰にかけての激痛。
結局、ただ休んでいたら3日くらいで治ったのですが、
そんなときに限ってどうしても休めない仕事や用事が入るもので、
ヨロヨロしながら仕事していたのを思い出します。
今年はそんなことがないようにと、日頃から背中や腰を柔らかくしておいたのですが、
敵はさるもの(敵って誰だ?)
今年はノロウィルスにやられました。
その日は、私が幹事役をつとめて準備をした送別会があったのですが、仲間にすべておまかせ。
自宅でトイレと寝床を行ったり来たりして過ごしました。
ふう、今年はこれかぁ~~。
その後はひたすら体力回復に努めましたよ。
なぜかって?
それは、これからご紹介する表題の「神楽」見物するためです。
3月3日~4日、岩手の三陸海岸沿いに伝承される「神楽」を見るツアーが開催されました。
三陸地方のたくさんの神楽や民俗芸能の中から、今回は「黒森神楽」と「鵜鳥(うのとり)神楽」という
陸中沿岸を巡行する廻り神楽が披露されました。
岩手は日本の古い民俗文化が多種多様に伝承されている地域として知られる所。
従来は農閑期、そして正月から3月にかけて、村や集落を巡行して神楽を演じていたそうです。
それぞれの村や集落には「神楽宿」があって、そこで神楽を夜通し上演。
村の人々は皆でそれを楽しんだと言います。
ところが、その三陸沿岸は、先の津波で壊滅的な被害を受けた地域。
先の津波で神楽宿が流され、この1年はほとんど上演することができなかったとのこと。
そうです。集落(コミュニティー)が崩壊してしまったら、神楽を演じる場所と機会もなくなってしまう。
そこで、「いわて民俗観光プロジェクト」という団体がホテルを神楽宿とし、
神楽の公演とシンポジウムを企画したというので、
この機会に是非見てみたいと、私も初めて宮古市田老へと向かいました。
田老の町は、、、、、、すべてが流されていました。
さすがに1年が経とうとしているので、「がれき」はきれいに取り払われていましたが、
町は家の土台が残るのみ。
何もないんです。町に人が暮らしていないのです。
テレビのニュースで大方のことは「知っているつもり」でした。
でも、目のあたりにすると、もはや言葉はありません。
そして、茫然としているうちに高台のホテルに到着。
ホテルの敷地内には仮設住宅が建ち並んでいましたが、神楽公演があると聞いて
そこに住む人々も続々とホテルのロビーに集まってきました。
では、この日上演された演目紹介
(1)「田代念仏剣舞」:
お盆などに際して先祖や死者を供養するための踊り。
そもそもは民家の庭や寺の境内などで念仏を唱えながら踊られるもの
(2)「摂待七ツ物」:
災厄を祓い清めて五穀豊穣、大漁祈願するための芸能。舞い手が七種類の道具を持って舞う。
念仏剣舞や神楽は男衆だけが演じていましたが、
この摂待七ツ物では若い女性も舞に加わっていましたよ。
その凛々しいこと!どうやら、高校生らしいです。
そのうちに、「ひょっとこ」のような仮面をかぶった道化が出てきて、
見物客たちを大笑いさせていました。
どんな芸能にも、道化が出てきて笑わせたり皮肉を言ったりするものですね。
ここでも同じ。そして、見物客はそれが楽しみ。
おそらく仮設住宅からやってきたと思われるおばあちゃんたちの笑顔が見られたのが、
こんな場面でした。
そしていよいよ神楽のはじまりはじまり。。。。。。
(3)黒森神楽「舞い込み」:
舞の輪の真ん中には台が置かれてなぜか台所の料理用ボウルが。。。。。。
ボウルの中には、どうやら米の粉が入っていて、それを酒でトロトロに溶いてあるみたいです。
剣や杵をもった神楽衆がひとしきり舞った後、
米粉の汁を神楽衆たちは観客一人一人のおでこになすり付けてゆきます。
会場の人は皆お揃い、おでこに白いマーク。
私も、よそ者なのに、仲間に入れてもらえたみたいな気分。嬉しい!
* ちなみにこれ、バリ島の習俗とすごく似ています。
バリでは、寺院祭が行われる時、お坊さんから聖水をいただいたあとに米粒をおでこ、こめかみ、
胸元などに押し付けるんです。だから、祭りに参加した人は、皆お揃いで米粒を顔につけてます~。
(4)黒森神楽「夜神楽」:
夜になって、いよいよ神楽が始まりました。
場所は、ホテルの大座敷に移動です。
見物客はみな座布団に座って、それぞれ飲み食いしながら寛いで神楽見物。
演目は「清め祓い」「榊葉」「おろち退治」「松迎」「山の神」「恵比寿舞」「仕組み」
本当は、もっとたくさんの演目があるみたいです。
一つ一つ、内容を紹介したいところだけれど、、、、
どんなに言葉を尽くしても、私の興奮は伝わりそうにありません。
だって、舞といい、太鼓との絡みといい、とにかくカッコよかったんです~~。
ある人の話によると、黒森神楽は神楽界のエリート集団なのだとか。
この三陸沿岸には多様な伝統芸能が息づいていて、
それぞれの地域独自の芸能をその地域の住民自ら演じてきました。
もちろん、皆いわゆる「素人」というか、それで食べている専業の芸能者はいないので、
芸の上手い人もいればへたくそな人もいるでしょう。
でも、子どもの頃から魅力的な芸を披露できるカッコいい兄さんや叔父さんを見てきた人たちの目は
確実に肥えています。
そして、才能がほの見える子どもを見つけると、黒森神楽はすかさずスカウトしてきたのだそうです。
そして、おそらく厳しく躾けてきたのでしょう、たぶん。
今回も、大学生や20代30代の青年が見事に舞いを、太鼓を披露してくれました。
まあ、なんと、カッコいいこと。惚れましたよ、ワタシ。
本来、廻り神楽は村から村へと、宿から宿へと、芸を披露して巡行していくものです。
たぶん、カッコいい神楽衆を見てポーッと舞い上がってしまう若い娘は、ずっと昔から、
後を絶たなかったのではないでしょうか。
私はさすがにもう50歳を超えているので自制心が働きますけど。。。。。。
20代だったら、すっかり熱に浮かされていたんだろうなあ。。。。
(たぶん、江戸時代の若衆歌舞伎もこんな風だったのじゃないかしら?)
最初のうちは「塩」「米」が撒かれ「酒」を飲み回すなど、清め祓いの儀式的な内容の演目が続きましたが、
そのうちに立ち回りあり道化の笑いありの大衆演劇的などんちゃん騒ぎとなり、会場は大いに沸きました。
そしてこの晩最期に登場したのは、獅子頭の権現様。
会場にいたすべての人々が、この権現様の開いた口で頭から背中にかけてを清めていただき、この日の神楽は終わりました。

権現様
翌朝も9時から神楽の上演です
(5)黒森神楽衆による「念仏神楽」
(6)黒森神楽「舞立ち」
そして、10時からはシンポジウムでちょっとお勉強。
その後、午後にはもう一つの「鵜鳥神楽」の公演がありました。
二種類の神楽を比較してみると:
黒森神楽は洗練され、きれいにまとまってショーアップされているという印象。
鵜鳥神楽は少し規模が小さいけれど、土臭さがあって野趣あふれる力強さが強く感じられました。
そして、ふたつの神楽衆を見ていて興味深かったのは:
どちらも若いメンバーがお互いに競い合っているらしいということ。
黒森神楽の公演の時には鵜鳥神楽のメンバーが、
そして、鵜鳥神楽の公演の時には黒森神楽の若いメンバーが、
会場の片隅で鋭い視線でライバルの芸を見つめているのです。
まるで敵の陣地にもぐりこんで様子を偵察する若い兵士みたい。
ああ、いいなあ。こんな感じ。
こうやって、お互いに技を高め合っているんですよね。
三陸の伝統芸能。しっかり生きています。
実は、この公演の企画を聞いた時、最初に私の心に浮かんだのはこんなことでした。
↓
公演の機会がなくなってしまえば、神楽の伝承も廃れてしまうのだろう。
だから、少しでも公演の機会を作り、シンポジウムで人々の関心を高めなくてはいけないのだろうな。
うっかりしたら、大震災の被害で大切な郷土芸能が長い歴史を閉じてしまうだろうから。
ところが、会場で実際に神楽や念仏剣舞などの公演を目の当たりにして痛感したのは:
↓
貴重な芸能の保存のために、遠くに住む私が何らかの手助けをする?
何と言う思い上がりでしょう!
一体何ができるというのでしょう。
だって、ここの地域の人たちにとって神楽は日常生活の一部としてこれまで存在してきて、
人々は今でもそれを楽しみに待っているのです。
神楽を見る生活が戻って来るということ = 日常が戻って来るということ
これらの芸能は、地域の信仰や社会生活に根付いて生きている芸能だということを、
今回あらためて確認することができました。
日本の多くの地域では、そして世界の多くの地域でも、
伝統民俗芸能は消滅の危機にさらされているために「保護」され、「保存」されようとしているのですが、
三陸地方では、社会がそれを必要とし、その結果若い世代が自ら積極的に関わろうとしている。
見る人たちは厳しくも優しいまなざしで見守り、
演じる人たちはライバルよりも少しでも良いものを演じようと真剣になっている。
そして何より、その根底には生活と社会を守ってくれる権現様の存在を信じる謙虚な気持ちや、
亡くなった人々を弔ってくれる権現様の力を尊ぶ心が脈々と受け継がれているようです。
恥ずかしながら、私はインドネシアの芸能には結構詳しいと自負していたのですが、
自分の生まれ故郷であるニッポンの伝統民俗芸能にはあまり関心を払ってきませんでした。
これまで、ジャワやバリの社会には「目に見えない大いなる力」を信じる清らかで謙虚な心があって、
それが伝統芸能と密接な関係をもって受け継がれてきたということを盛んにアピールしてきたのですが、
実は自分の足元のニッポンにもそれが当たり前に存在してきた社会があるじゃありませんか。
この「大いなる力」と共に日常を暮らす社会と、そこに密接に関わってきた芸能、
震災を機に綿々と続いてきた日常が損なわれてしまわないことを切に祈ります。
宮古の人たちの日常が一日でも早く回復されますように。
そして、その日常のなかで、ますますカッコいい神楽を是非、また見てみたいと思います。
**黒森神楽や鵜鳥神楽は、You Tubeでも見ることができます**