”暴走老人”の言う大同小異は、実に身勝手な大同小異
大同小異
※小さな違いはあっても、大体が同じであること。また、そのさま。
身勝手な理由で任期途中に都知事をお辞めになった”暴走老人”は、こう言って第三極の集結を目指している。
具体的には、中央官僚体勢の打破を大きな目標とし、原発政策や消費税、TPPなどの小さな問題(?)には目をつぶるというのだが、単なる数合わせの屁理屈。
目をつぶるというそれらの政策の違いは、決して小さな問題ではないからだ。
特に今後原発をどうするかは、福島第1原発事故を今まさに体験中のオレら国民にとって、最大の関心事である。
そもそも「原発推進」と「脱原発」という政策の違いは、アクセルかブレーキと言った全く真逆の政策なんだわ。
とてもじゃないが小さな違いとは言えまい。
百歩譲って、大同小異で第三極が集結することを許そう。
しかし、その中に小沢が代表を務める「国民の生活が第一」が入ってない。
それも”暴走老人”の「小沢は嫌い!」という理由で。
これのどこが大同小異なんだ?
原発政策の大きな違いに目をつぶれる人が、人の好き嫌いには目をつぶれないという矛盾。
やはり、”暴走老人”はおかしい。
実に身勝手な大同小異である。