今日、昔撮った写真を見つけました。


5年前9月、上高地→から沢山荘→穂高山荘→から沢→上高地

という行程を一人でこなした時の写真です。


その時もすでに体力がなかったので、本当に疲れて、脚も帰宅してから

パンパンで大変でした。


アップロードの順番を間違えたので、行程と反対の順序となっております。


『上高地-穂高』
>>スライドショーで見る



「今年は久しぶりに山に行こうかな~」と思うこの頃です。



久しぶりの更新です。


今日は職場に包丁を鞄に入れて持ってきて、「今からここで死にたいと

思います。」と一言言いつつ、取り出そうとした方みえて焦りました。

知らずうちに体が動いて、包丁を取り出す前にその方の手首を押さえる

ことができました。


おそらく本気でなく、僕に止めてもらいたかったんだと思うのですが、

心臓に悪く、後から考えると怖い状況だったと思いました。


今日は他の用事もあったので、その一件の処理でかなりストレスを

感じたのですが、なんとかなってほっとしました。


数日前にもホラーの世界のようなことを平然と言ってくる人などもいて、

最近はなかなかオカルトな日々を送らせていただいております。


オカルト、ホラー系は昔から大嫌いなので、これくらいで勘弁してもらい

たいと思うのですが、、、。


世の中、いろんな人がいるのはわかっているつもりなんですが、、。


いや~、疲れますわ(><)







以前、花灯路を京都に見に行った時に撮った竹林。



高台寺 竹 1
高台寺 竹林


高台寺 竹&茶店
高台寺 竹林と茶屋



久しぶりに愛機EOS10Dを持って写真を撮って来ました。


ブログに載せるのは初めてで、やり方がよくわからないまま記事を書いて

ます。


よく見ると、手振れしてます。やっぱり夜景には三脚が必要だと感じました。



清水寺 遠景
清水寺 塔 遠景


清水寺 灯篭
清水寺 灯篭


清水寺 奥の院
清水寺 奥の院


清水寺 舞台
清水寺 舞台


清水寺 塔 月
清水寺 塔&朧月


清水寺 塔 中景
清水寺 ライトアップ





常日頃から思うことがある。


タイトルにも書いたが「人に自分が思っていることを自分が伝えたいように

きちんと伝えること」ってすごく難しいこといなんだと。


直接、面と向かって伝えることは、表情や態度なども含めて話すことが

できるからそういったやり方がよいと思い、僕はこれまでそういうふうに

努めたこともある。しかし、そうすると逆に相手にとって嫌な感情が混じる

ことがあって、これまたよろしくない状況になることがある。


それではいかんということで電話やメールといったやり方で、極力感情を

切り離して理性的に伝えようとするのだが、それでも伝わらないことがある。


で、振り返ってみると、理性的なやり取りを始める前にすでに負の感情を

伝えてしまっていると、その後どんなに理性的な対応をしてもその負の

感情が残ったままでは、相手にとってその後の理性的な対応さえも

腹の立つものとなることになるのではないかと思い至る。


で思う、


「感情」ってやつは人生を楽しく、豊かにもしてくれる半面、悪い方に働くと

理性的な判断や理解を受け付けなくするところがあるのだと。


物事には常に2面性があるが、どんな物事も極端だと人は混乱するし、

悪い面が強く表立つとトラブルに発展することが多くなる。


男女の関係の中でいうと、やはり男性はどちらかというと「理性的」で、

女性はどちらかというと「感情的」と言われてきたと思う。
でも結局のところ、男性も女性も「感情が理性に対して優位に働く人」だと

その感情に負けて、理性的な判断ができなくなることがあるっていうこと

ではないかと思う。


「大人になる」ってことはいろんな要素があると思うが「感情をコントロール

する術を身につける」的要素が結構大きいのではないかと最近思う。


ここで、「感情をコントロールする」っていうことに抵抗を感じる人がいるかも

しれない。


「コントロールできないから、感情じゃない!」という考え方もあるだろう。


確かにそうかもしれない。だから賢い?人は、自分が良くない感情を抱く

ようなシチュエーションを避ける努力を日々しており、その結果感情の

安定を図っているのかもしれない。


ただ、人間同士の距離が縮まるとどうしても、それぞれの人の考え方の

違いや感じ方の違いから、負の感情が高まってしまうことがあると思う。


だから、結婚して様々なことを夫婦として乗り越えていかないといけなく

なったり、他の人と重要な仕事を共にせざるを得ない状況にある人達は

必然的にそれぞれの人との距離が縮まり負の感情が高ぶるような状況に

陥ることがあるのだと思う。


そうした時に重要となるのは、やはりどれだけ自分と向き合い、自分の感情を

コントロールできるように取り組めるかどうかではないかと思う。


感情は人にとって欠かす事のできない大切な心の動きだと思う。


でも、それに自分が振り回されて自分の行動や人生が悪い方向に導かれて

しまうことがあるってことも常に頭に入れておかないといけないのだと思う。


負の感情を感じ取る能力は、最近よく言われるKY的人間にならない為にも

大事なセンサーの役割をしているのだと思われるから、これまた否定する

ものではなく、逆にやはり絶対に必要なものだと思う。


くどくなるが、要はいかに感情をコントロールできるかということではないかと

思う。



タイトルテーマに戻ると、


感情に支配されてしまったまま物事を相手に伝えようとすると、言葉足らずと

なり、自分が言いたいことを自分が思っている通りに伝えられなくなることが

ある。


同じように、


感情のコントロールできないまま人と向き合っても、理性的に話している人が

語ることをきちんと理解したり、その言葉を心にとどめることができなくなって

しまうことがある。


そして、


感情のコントロールができないまま、自分と向き合おうとしても向きあえる

ものではなく、向き合えないままひたすら負の連鎖に陥ってしまうことになる

のではないかと思う。

ひょっとすると、これが自分自身にとって一番怖いことなのかもしれない。



さて、いつもながらの内省的まとめに入ると、、、


よい方向に感情をコントロールすることが僕にできているのであろうかと、

自分に問うてみる。


う~ん、、、努力はしているってことで、、、。