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きっしーのブログ

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 麦に生える麦角(ばっかく)というものがある。麦角とは、麦角菌の菌核(菌角)で、麦の穂に黒っぽい爪のような角のような、黒紫色の毒っぽいものが生えていることがあり、これはカビの一種で、麦角アルカロイド(バッカクアルカロイドはカビ毒の一種)と総称される物質が含まれており、人体や動物に影響を与える。英語ではergotで、エルゴタミンなど複数の成分があり、本来は毒だが、薬にも用いられ、触ると幻覚を見せるLSDは人工的に生成された麦角の成分である。アルカロイドというのは、アルカリのようなものという意味で、窒素を含む塩基性の化合物であるようだ。

 麦角が生えるのは、小麦や大麦、ライ麦、家畜用の飼料になる穀物で、最もライ麦に多くつく。日本ではライ麦の消費は殆どないと思うが、食パンなどに入っているものがある。そんなに味はしなかった気がする。

 日本で麦と呼ばれるものは、農林水産省の定義では、小麦であるwheatと大麦であるbarleyの数種類を指しており、ほかは雑穀扱いになる。ライ麦とは英語のryeに麦をつけたもので、似たようなのにエンバク(オーツ麦)がある。ハトムギは麦の仲間ではないらしい。

 イラクあたりが麦の原産地で、そこから世界に広まったとされる。ライ麦は小アジアあたりが原産地で、もとは小麦に混ざって生える雑草だった。北の寒い地域では小麦があまり育たないため、これが作物に昇格した。ドイツ、東欧、北欧、ロシアなどで現在でも生産されており、アメリカの小説でも、ライ麦畑でつかまえて、というのがある。消費量は下がっているようだが、健康志向で見直されてもいる。

 アルプスの少女ハイジではハイジがペーターのおばあさんに白パン(小麦のパン)を食べさせてやりたい、というのがあるが、黒パンがライ麦のパンで、栄養価が高く日持ちはするが硬い、イーストではないものを使っており酸っぱいらしい。小麦とライ麦の混ざったのもある。

 自分は穀物はいくら食べてもいいものだと思っていた。肉や魚は、植物性のものもあわせて食べるように、と言われるけれども。麦角は古代オリエントの文献でも知られているようで、有毒であるとされて食べなかったし、ペルシア人、ギリシア人、ローマ人もそうだったが、ヨーロッパ人になると、ライ麦パンによる麦角中毒が発生することがあり、病名は聖アントニウスの火という。症状は手足に血液がいかなくなり、壊疽を起こして手足を欠損したりする。あとは痙攣を起こしたり、精神にくると幻覚をみたり、妊娠中の女性では流産や死産をする。例えば堕胎に使われたり、または出産を早めるとか、産後の止血に使われたりする。

 ライ麦パンによる麦角中毒の疑いがあるものに、17世紀のアメリカのセイラムの魔女裁判という事件がある。魔女の疑いをかけられた人が別の人をあの人は魔女ですと告発をすれば刑を免れた。否認を通すと魔女とされたが、誰かが故意か過失で麦角の混入したライ麦粉やパンを作ったものと思われる。その人は、意図しなかったのかもしれないが、真の魔女ということになる。

 ほかには死の舞踏(dancing mania またはdancing plague)というものがヨーロッパであった。美術様式の死の舞踏(danse macabre 仏)はペストと関連づけられるが、別の病気のようだ。不確かではあるが、麦角中毒で手足が痙攣したり意識不明になったり飲まず食わずで死に至ることを連想する。

 魔女の秘薬というのは、この麦角菌(ドクムギ)のほかに、アルカロイドを含むナス科の植物やケシなどが使われるようだが、毒性もある薬物を処方するのは犯罪のような気もする。今でも魔法を使った、などの罪で国によっては処刑されたりして、だいたいは誤解や言いがかりだろうけど、そもそも例えば人が狼に変わってまた元に戻る人狼(werewolf)とか、変身の魔法などは薬物を使っていた可能性があるようだ。


 日本人は人も人間も、男も女も含まれると日本の言葉ではそうなっているから、そのように思っているけど、実際には、人間という言葉の意味するものは男性だけだ。人間とは男性のことで、通常は人という言葉は男という言葉でもあり、女性は女という別の言葉が使われる。それがただちに優劣を意味しないけれども、人類の普通の言葉では日本語を除いて、そのようになっているのが実情のようだ。

 男は計算ができた方がいいと思うんだ。文系理系は関係なくて、こうしたらこうなる、ということ。こうしたらこうなるという可能性の範囲内で物事は起きているのであって、それは越えたことは起こらない。いくら神様に祈っても、そのようになる。可能性が少しでもあれば、例えば3割実現するのなら、神様に祈ればその3割が実現するかもしれない。しかし、100万分の1の可能性は、実際には人類の時間の長さからすると、全く起きないと考えていいようだ。人は、1%でも可能性があればそれに賭ける、などと勇ましいことを言うことがあるが、100分の1の確率が最初の1回で起きることは100人に1人しか起きないのだから、まず起きないので、100分の99はだめだということだ。でも100回やればいつかは起きるのである。これが100万分の1になると、1日1回挑戦できたとして、1年365日とすると2740年程度で一巡するのだから、人の寿命は長くても100年程度であることを考えると、人が一生をこれに費やしたとしても、100万分の1の確率が実現できるとは言い難い。100万分の1の確率は人一人の一生の長さに比定すると、限りなくゼロであり、実際はゼロと同一と考えた方がいいようである。これに超自然的な力が働いて実現できるというような一種の信仰や幻想を抱いたとしても、やがては時が来れば自分が誤っていたことを知るだけのことになる。

 計算ができることが男もしくは人類の優れた部分なのかなとは思うから、そういう方向が優れている方がいいのではないか。

今の時代、女はこうだ男はこうだなどというと嫌がられることがある。女だから、などというと拒絶反応を示す人がいる。最近では、元総理の森さんが東京オリンピックの組織委員会会長を辞任した。これに対し、各国から女性蔑視であるとして糾弾されていたが、女性の現役アスリートからはそれほどコメントはなかった。

発言の趣旨は女は話し出すと長い、などというもので、確かに女性のがお喋りなのはやむをえないと大学時代の教授も言っていた。なので、お喋りであると非難されているのだから、あえてコメントしないのかなと思っていたが、そうでばかりもないように思える。たいして気にしていないのだ。

人は図星を突かれると、受け入れられなくて拒絶したり反論したりする。髪の薄い人にはげというのと、髪の毛のいっぱいある人にはげというのとでは、本人の受け取り方は違う。女性であるがゆえに、精神的であったり身体能力であったり、経済的であったり、劣っている自覚がある人に女だからという理由で特別扱いをすると、逆に自分が貶められているという感覚をもつ。

身体能力が高くて普通の男より強い女だと、女であることをハンデにしていないから、そんなことは気にならない。漫画では、進撃の巨人の女型の巨人は、人間の状態で身体能力が高いので、巨人になっても女性の姿をしているという設定。自分に自信があるとそうなる。普通の巨人は、女性であっても巨人化すると醜い中年男性のような姿になるらしい、自分が望ましいと思う容姿になるわけだ。

例えば人間からみて猫がどのように見えているかは人によるだろうけど、猫はたぶん、猫はすごい、と思っている。身体能力が高いと、例えば大坂なおみとテニスをしても、普通の男性では勝てないだろうから、女であることはハンデにならない。勉強とか頑張っても、精神面で男と女では違いがある。男と男では、身体能力の優劣だけで決まらないのは、のび太とジャイアンでもそうだけど、女でもすごく強いと女だからといわれても意に介する必要がないから、かえって自分らしくすることができて、女らしい女になる気がする。

スポーツで上を目指すのは敷居が高いが、例えばダンスが上手いとか、そういうのでもいい。