思い出のプロ野球選手、今回は山本 和行投手です 

 

1970年代前半から80年代末期まで、阪神一筋17年で先発と抑えと両方で活躍し、通算700試合登板に100勝100セーブを挙げた左腕投手です。

 

【山本 和行(やまもと・かずゆき)】

生年月日:1949(昭和24)年6月30日
経歴:広島商高-亜大-阪神('72~'88)

通算成績:700試合 116勝106敗130S 1,817⅔投球回 40完投 6完封 1,252奪三振 防御率3.66

入団:阪神('71 ドラフト1位)

位置:投手 投打:左左 現役生活:17年

タイトル:最優秀救援 2回 ('82、'84)

規定投球回到達:5回 ('77、'78、'80~'82) 

オールスター出場 7回 ('76、'78、'80、'82、'84~'86) 

節目の記録:登板数-500試合登板('83.8.9)、600試合登板('86.4.23)、700試合登板('88.9.17)

      勝利-100勝('85.6.5)

      セーブ-100S('85.5.20)

      奪三振-1,000奪三振('83.7.13)

 

 

個人的印象

阪神の守護神、です。

先発投手として活躍していた頃の記憶もありますが、その後抑えに転向して阪神のストッパーとして君臨していた記憶の方がより残っています。

特に中西清起投手とのダブルストッパー体制で1985年のタイガース優勝を支えたのは印象的でした。先発投手陣がいまひとつな状況でも優勝できたのは、打力が勝っていた事と、この抑え投手陣の強さにあったと思います。

そしてこの写真にもありますが、左腕から繰り出す独特の投球フォームで、足を振り上げている時に左手が下がったままの姿が大変印象的でした。

またこのいつも険しそうな表情も印象的で、険しそうでいながらポーカーフェイス感に図太さのようなものも感じていました。

 

 

プロ入りまで

高校は広島県の名門・広島商業高校で、2年生の夏に甲子園に出場し初戦敗退していますが、この時1学年上の先輩に三村敏之選手がいて、共に甲子園に出場しています。

3年生の夏の広島県予選では決勝で惜敗し、惜しくも甲子園出場を逃しています。

 

大学は亜細亜大学に進学し、ここでは投手タイトルを総なめにして、亜大を初の日本一に導く立役者として大活躍しました。

 

1971(昭和46)年のドラフト会議で、阪神タイガースから1位指名を受けて入団しました。地元広島への入団を希望していましたが阪神入団を承諾し、背番号は25になって、引退まで一貫してこの番号を背負い続けます。

 

 

初期キャリア

ドラフト1位入団した山本投手ですが、1年目から出番を得て28試合に登板し3勝5敗防御率3.42の成績を残しています。100㌄を投げ、もう少しで規定投球回というところまできていました。2完投1完封で1年目にして初完封も達成しています。

当時の阪神は投手王国で、兼任監督の村山実、江夏豊などの名だたる投手が君臨する状況で「えらいところに来てしまった」と感じたそうです。

この1972年は村山実氏が兼任監督をシーズン中に解除し、更に現役も引退し、ひとつの時代の終焉を迎えた時期でもありました。

 

2年目1973(昭和48)年は一転して出番が減り、18試合で0勝1敗で防御率4.07、42㌄のみの投球に終わりました。チームは優勝を争う状況でしたが、そこにはあまり入れませんでした。

 

 

本格的に戦力へ

3年目1974(昭和49)年から本格的に戦力として台頭してきます。

この年は32試合に登板、6勝8敗1S防御率3.38をマーク、125⅓㌄と規定投球回まであとわずか、のところでした。

1975(昭和50)年からリリーフを任されるようになり、49試合登板で4勝6敗3S防御率4.79でした。

それまでは登板数の約半分を先発していましたが、この年以降はしばらくリリーフが中心になっていきます。

 

抑えとして活躍が顕著になったのは1976(昭和51)年からで、この年は実に67試合に登板し6勝3敗18Sをマークし、防御率2.92と初めて2点台を記録しました。初めてオールスターに出場し、以後しばらくは隔年で出場する事となります。

この時代で18Sをあげていて、最優秀防御率のタイトルを獲れていませんが、この年は鈴木孝政投手(中日)が7勝8敗26Sをあげて獲得していました。

 

1977(昭和52)年もやはりフル回転で58試合に登板し9勝5敗9Sで防御率3.71を記録、この年6年目で初めて、ギリギリでしたが規定投球回に到達(130⅔㌄)しました。

タイトルではありませんが、登板試合数とセーブ数はリーグ最多を記録しました。

 

 

先発転向

1978(昭和53)年は先発へ転向し、ここから4年間あたりが投球回的なピークを迎えます。

35試合に登板し5勝10敗1S防御率5.13に終わりましたが162⅔イニングを投球し、2年連続規定投球回に到達し、2年ぶり2度目のオールスターに出場しています。

1979(昭和54)年は49試合で8勝7敗2S、この年は先発のウエイトがかなり低くなって、121㌄とわずかに規定投球回数を割り込みました。防御率は5.43で2年連続5点台と一定の活躍はしますが、パッとしない状況が続きました。

 

1980(昭和55)年、31歳のシーズンでしたがこの年は再びほぼ先発に専念しキャリアハイの221⅓イニングを投げ、15勝11敗2Sの成績で防御率3.26と前年より2点以上改善しました。やはり2年ぶり3度目のオールスター出場を果たし、先発投手として最高の1年になりました。

続く1981(昭和56)年も2年連続2ケタ勝利および200㌄越えで、12勝12敗1S防御率3.30を記録しました。

 

 

抑え再転向、一時代を築く

先発投手として打ち込まれる事が増えた事もあってか、1982(昭和57)年から再度抑えへの転向となり、それまでの阪神の抑えは池内豊投手、中田良弘投手、大町定夫投手などが務めていましたが長続きせず、8Sくらいで絶対的な守護神というのは存在していませんでした。

5月から再び抑えの座に戻った山本投手はこの年から阪神の絶対的な守護神として君臨していく事となりますが、この年は大車輪の活躍で63試合に登板し、15勝8敗26Sと勝利、セーブともキャリアハイで、初のタイトルとなる「最優秀救援」を獲得し、また規定投球回にもこの年が最後となりましたが到達(141⅔㌄)しました。防御率2.41も規定投球回に到達した5回のうち唯一の2点台で、先発に専念した頃とはまた違った形での最高の1年となりました。
 

1983(昭和58)年は5勝9敗8S防御率4.00に終わりますが、この年からは先発はほぼなくなります。節目の記録として通算500試合登板1,000奪三振を達成しています。

 

1984(昭和59)年は10勝8敗24Sと復活し、20S以上をあげた最後の年になりました。2年ぶり2度目の最優秀救援のタイトルも獲得しました。

この年のオフにはメジャー移籍が決まりかけて住処や年俸、背番号まで用意されていたといいます。このオフには江夏豊投手が西武を退団してミルウォーキー・ブリュワーズのテストを受けた事が話題になりましたが、山本投手の場合は球団保有権の関係など当時のメジャー移籍環境が整っていなかったことがあり、叶いませんでした。当時から相当にメジャー志向が強く、活躍できる自信もあり、本気で考えた結果色々な行動に出ましたが、少し早すぎて時代が追いつかなかったという事ですね。

 

 

ダブルストッパーで優勝へ

1985(昭和60)年は中西清起投手とのダブルストッパー体制で阪神のリーグ優勝に大きく貢献しました。成績的には5勝6敗11Sで、中西投手の方が11勝3敗19Sと派手なものでしたが、防御率2.60と安定したものでした。

節目の記録として通算100勝と100Sを同じ年に達成していますが、9月にアキレス腱断裂の重傷を負って戦列を離れ、リーグ優勝にも日本一にも登板はできませんでしたが、日本シリーズでは日本一決定時に優勝貢献者として胴上げに加わりました。

 

晩年、引退

アキレス腱断裂の重傷を負いながらも翌1986(昭和61)年には37歳を迎えましたが見事復活し、11勝3敗15S防御率1.67の素晴らしい成績を残しました。この年には通算600試合登板を果たしています。

 

1987(昭和62)年は2勝1敗9Sで防御率4.31と悪化し、中西投手にクローザーの座を譲る形になり、勝利とセーブはこの年が最後となました。

 

1988(昭和63)年は、新人時代に兼任監督だった村山実氏が新監督に就任しコーチ兼任となりました。久々に4試合先発しましたが結果が出せず、結局22試合登板で0勝3敗、防御率6.46へと跳ね上がり、通算700試合登板を先発で果たした事を花道に39歳で引退しました。

 

この年、掛布雅之選手も33歳の若さで引退し、阪神の歴史が大きく動いた年になりました。

 

その後はABCテレビ解説者を経て阪神ではなく、入団したかった広島でコーチをしていた期間がありましたが、数年で再び解説者に戻り、NHK解説者を長年務めています。

 

 

↓1981(昭和56)年の選手名鑑より。

 前年先発で15勝を挙げた翌年の体制で、この翌年途中から再度抑えに転向する事となります。

 全体的に若い投手陣で、30代は江本孟紀投手と2人だけでした。その江本投手もこの年に「ベンチがアホやから」発言で引退する事となります。

      

 

 

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