思い出のプロ野球選手、今回は永淵 洋三選手です。

 

水島新司氏の野球マンガ「あぶさん」のモデルになったという酒にまつわるエピソードの多い、現代には絶対いないタイプの野球選手でした。。

 

【永淵 洋三(ながぶち・ようぞう)】

生年月日:1942(昭和18)年5月4日
経歴:佐賀高-東芝-近鉄('68~'75)-日本ハム('76~'79)

通算成績:1,150試合 打率.278 962安打 109本塁打 409打点 134盗塁

タイトル:首位打者 1回('69)

     最多安打 1回('69) ※当時表彰なし

表彰:ベストナイン 1回('69)

オールスター出場 3回('69、'70、'72)

節目の記録:出場-1,000試合出場('77.7.17)

      本塁打-100号('77)

 

 

●個人的印象

日本ハムのベテラン選手という印象でした。

姿かたちをリアルであまり記憶していませんが、こんな選手がいた程度には知っていました。

個人的にナガブチ姓で初めて認知した有名人でした。(当時まだ長渕剛さんを知らなかったので)

 

●あぶさんのモデル

冒頭書いた通りであまりにも有名ですが、あぶさんの主人公・景浦安武のモデルとなった選手ですが、景浦のモデルは彼だけでなく何人かの選手がモデルとなり、色んなところがミックスされた格好で、景浦の酒好きなところはこの選手がモデルになっている、といった具合です。

 

●デビューは二刀流

佐賀県の進学校てある佐賀高校出身というのはなんだか意外?ですが、その後社会人の東芝へ進み、都市対抗などで注目され、近鉄へはテストながらドラフト2位で入団しています。

その際に溜まりすぎた飲み屋のツケを払うためにしかたなく球団の条件提示を飲んで入団したといいますが、彼より下位の選手より契約金はかなり安かったそうです。
 

そして投手として入団し、この年1968(昭和43)年は12試合に登板し、0勝1敗で防御率2.84の成績が残っています。しかしこの新人の年には109試合も出場しており、登板時以外は打者として出場し、がっつり「二刀流」でのデビュー年でした。打では、74安打を放ち、5本塁打30打点と、もう少しでレギュラーというところで、6月以降は完全に打者としての出場でした。

 

●最良の年

2年目1969(昭和44)年が現役最高の年となりました。

規定打席に初めて到達し、その初めての年に打率.333で首位打者のタイトルを獲得、これが唯一のタイトルとなりました。162安打で最多安打も記録していますが、当時はタイトルと認定されておらず、首位打者が立派な勲章となりました。

この年はオールスターにも初出場(計3回選出)し、また唯一のベストナインもこの年に獲得しています。

 

●レギュラー期

この最良の1969年から暫くはレギュラーとしてキャリアを重ねました。

1970(昭和45)年こそ惜しくも.295に終わりましたが、翌1971(昭和46)年から2年連続で.300をマークし安打数も実に高水準で推移していました。

1972(昭和47)年は503打数とリーグ最多を記録し、全試合出場こそしていませんが、128試合に出場し自己最多の22本塁打を記録しています。

また意外にも?現役初期は盗塁も多く、1969年から3年連続で20盗塁以上をマークしています。

 

●近鉄後半

1972(昭和47)年まではバリバリのレギュラーで.300をマークするほどの大活躍を続けていましたが、その時既に30歳を迎えており、翌1973(昭和48)年は規定打席をわずかに割り込みましたが、打率は.231へと急降下し、本塁打・打点等は新人の年とほぼ同等の数字でした。

その後は故障や若手の台頭などもあり、出番が急激に減っていき、1975(昭和50)年には僅か35打数5安打の打率.143で入団以来初の0本塁打に終わり、既に33歳もはやこれまでかと思われました。

 

●日本ハムへ、そして引退

1976(昭和51)年、トレードで日本ハムへ移籍しました。

20代でレギュラーを張っていましたが既に34歳で、常時出場という訳にはいかず、毎年のように200台の打席数でそこそこの実績を残すという感じで、1977(昭和52)年の100試合出場10本塁打41打点というのが日本ハムでの数字としては最高で、この年が実に5年ぶりの2ケタ本塁打でした。そんな中で安打数は年々少しずつ減り、また毎年低打率にあえいでいました。

1979(昭和54)年はすっかり出番がなくなり21打数3安打で、近鉄最後の年と同じ打率.143に終わり、この年37歳で引退しました。

 

100本塁打は1977年に達成していますが、1,000安打まであと38本を残しての引退は残念でしたがプロ入りしたのが26歳になる年の高齢入団だったので、ここまで実績を残せたのは素晴らしいですし、2年目1969年に最良の年を過ごし爪痕を残したと思います。

しかしこの選手の場合は、酒にまつわるエピソードが数知れず、2日酔いで試合に出たなど、今の選手ではありえないいかにも昭和のパ・リーグの野球選手だったな、というところですね。

 

ちなみに現役時代の写真でカラーのものがほとんど見当たらず、ここでもモノクロのものを載せました。

 

 

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