思い出のプロ野球選手、今回は「土井 正三」選手です。

 

やはり巨人V9時代のレギュラーメンバーですが、小技を利かせた「業師」で、派手な活躍は少ないものの、要所をきっちり締めて、つなぐ野球に欠かせない存在として活躍しました。

 

【土井 正三(どい・しょうぞう)】

生年月日:1942(昭和17)年6月28日

没年月日:2009(平成21)年9月25日(67歳没)

経歴:育英高-立大-巨人('65~'78)

通算成績:1,586試合 打率.263 1,275安打 65本塁打 425打点 135盗塁

タイトル:なし

主な表彰:ベストナイン 2回('68、'69)、Gグラブ賞 1回('78) 

記録:、オールスター出場4回('67~'69、'73) 

 

●ドラフト前夜入団

1965(昭和40)年に立教大学から巨人へ入団しましたが、彼の入団したオフからドラフト会議がスタートした為、ドラフト前最後の世代として入団しました。

 

入団から背番号「6」を与えられ、スター選手の扱いが窺えました。立教大学というと長嶋茂雄氏の後輩にあたり、7年上の先輩と同じ巨人の内野手としてレギュラーとして、揃い踏みしていく事となります。

 

●レギュラーへ

 

1年目から活躍しましたが、規定打席には少し足りない成績で、ホームランもゼロでした。しかし100試合以上出ており、1年目がV9の初年でいきなり優勝を味わう事もできました。

 

2年目からはすっかり二塁の定位置を確保し、規定打席にも到達しました。打率は.245と低かったものの、最多犠打をマークしています。このブログシリーズで初めてといっていいほど、無冠の選手を紹介していますが、最多犠打だけは下表の黄色帯が示すとおり、何度もマークしており、現役最終年までマークしているほどでした。

 

3年目1967(昭和42)年には、打率.289を、翌1968(昭和43)年には.293をマークするなど、打撃面ではこの若い頃がピークだったかもしれません。また1968、1969年はベストナインも受賞しており、彼がベストナインに選出されたのはこの2回だけです。

 

●奇跡のホームイン

 

V9戦士として活躍しながら、長嶋・王という他の追随を許さない大スターが君臨していた巨人において、土井選手に一躍スポットが当たった瞬間がありました。

 

1969(昭和44)年、阪急との日本シリーズで、本塁突入のスチールで見せた「奇跡のホームイン」でした。阪急の捕手が完璧にブロックしていた、かと思われたその股間をかいくぐるかのように、足でベースを捉えていて、今の時代なら「ビデオ判定」モノかもしれませんが、確かに審判のジャッジ通りに足がホームベースを捉えた写真が各紙に載ったといいます。当時を生では知りませんが、巨人に土井ありを見せつけた瞬間だったのでは、と思いました。

 

●激しいポジション争い

 

意外にも?ずっとレギュラーを張っていた訳ではなく、途中で規定打席に届いていない年が何度もありました。

 

特に1970年代に入ってからは、規定未満になる事が多く、1971~1977年の7年間で規定到達は2回だけです。

巨人初のメジャー出身選手の外国人・ジョンソン選手や、若手の河埜選手など事ある毎にライバルとなる選手をぶつけられてきました。

 

●犠打と盗塁

 

規定打席に到達した年は大体、最多犠打を記録するくらいのバントの職人で、つなぐ野球に徹してきた選手で、常勝チームには大物打ちの大スターだけでなく、このようなつなぐ選手が絶対必要になる、という事の典型例かと思います。

 

一方で盗塁は、20代では2ケタマークしていて、30代になると1ケタになっているという実に分かり易い推移をしています。

 

●うるさい?とは

 

今回初めて70年代に引退した選手を取り上げていますが、土井選手を知ったのはほぼ引退する年で、当時普通にレギュラーで活躍していたので、引退していたのを知らず、そういえば1980(昭和55)年に王選手、高田選手などが引退する時に、土井選手ってもういなかったんだっけ?となりました。

 

彼が打席に入ると、「うるさい土井がバッターボックスに入りました」とか実況が言っていましたが、当時小2になるかぐらいの自分にはその意味が全然分かりませんでした。

「うるさいって?なんも喋ってないやん?」と親に言った記憶があります。

しぶといとかしつこいとか、そんなような意味で「一筋縄ではいかない」的なものを「うるさい」と称したのでしょうが、とにかく自分の中ではその「うるさい」バッターのイメージが土井選手にはありました。

 

●復活したのに引退

 

1978(昭和53)年は3年ぶりに規定打席に到達し、犠打27はこれまでのキャリアハイでもありました。打率も.285で数字たけ見るとなにも悪くないところで、前述の通りこの年に引退してしまっていた事を正直知らないほどでした。

当時のチーム指導者事情が色々あったようですが、本人はまだまだやるつもりだったのが、半ば強制的に指導者の位置に据えられてしまったようで、この年36歳で現役を引退しています。

自分が野球を見始めたこの頃は、V9戦士でも比較的若手だった選手が残ってまだ活躍していましたが、そんな選手たちの中で初期に引退していった、そんな感じを受けました。

 

後のキャリアの事は色々ありますが、ここでは現役時代にスポットを当てているので、そこには触れません。

 

巨人の節目の試合で晩年集結したメンバーの中にいましたが、車椅子姿で、すっかり瘦せ細った姿で登場したのが衝撃でした。その後程なくして67歳の若さで亡くなられたのは残念でした。

 

 

 

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