今回は1997(平成9)年のヤクルトについてお送りします。

 

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この年といえばヤクルトがセ・リーグペナントレースを制し、西武との日本シリーズも制し2年ぶりに日本一に輝きました。

 

ヤクルトのリーグ優勝も2年ぶりでしたが、1990(平成2)年から長期政権を誇る野村克也監督の体制下で、この年が最後の優勝となりました。いわば「強いヤクルト」の最後の時期ともいえました。

 

▼打撃陣

 

タイトル-MVP:古田 本塁打王:ホージー

 

規定打席到達は、池山・古田・ホージー・飯田・稲葉と実に6人を数え、安定戦力と共にベテラン若手がうまく作用したと思います。

 

古田は打率.322でMVPを獲得、打点も86をマークし、司令塔としても不動の活躍で、やはりチームの顔として存分に活躍したといえます。

 

チームで古田と共に打率3割をクリアしたのが飯田で.306をマークしており、それまで2割9分台を3度マークしながら届かなかった3割の壁を4度目の正直でようやくクリアしました。ただ残念なのは規定打席到達はこの年が最後で、この年終盤に骨折し日本シリーズに出られず、翌年にも骨折し、ケガとの戦いが顕著になってきます。

 

ホージーは来日初年で38本塁打を放ち本塁打王を獲得しました。打点も100をマークしましたが、タイトルは112打点を記録した広島・ロペスが獲りました。当初はプレーが目立たず、明るいキャラクター先行の感がありましたが、意外に?研究熱心で成績を上げていきました。

 

宮本は3年目のこの年に初めて規定打席に到達し、以後主力として長きにわたり活躍を続けていく事となりますが、前年に同姓の宮本賢治投手が引退した為、この年初めて「宮本慎」から「宮本」表記となりました。

 

池山は宮本の台頭で三塁に回ったりしながら、ほぼフルに働き、球団の順位も彼の成績に左右されることが多く、ここまで彼が規定未達の年は優勝を逃し、到達すると優勝しています。ケガに悩まされ、度々ポジションを変えられながら、重度の腰痛になり晩年はかなり痛々しかった覚えがありますが、まだこの時はほぼフルに出ていました。

 

今年日ハムのGMに就任し新庄「ビッグボス」とのタッグが注目されている稲葉はこの年3年目で、前年初めて規定打席到達しましたが、この年初の20本塁打超えで、広沢の抜けたヤクルトにあって「和製大砲」誕生かと期待されましたが、いい意味で安打製造機としてキャリアを積んでいったと思います。

 

 

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ここからは規定未達選手ですが、

移籍2年目の大ベテラン辻は39歳を迎えるシーズンで、前年は移籍初年でも規定打席をクリアしていましたが、この年から規定未達となり、年々成績を顕著に落としていく事となります。それでもまだこれだけの成績を残せていたのは素晴らしく、また目に見えない部分での貢献度はさらに大きかった事と思います。

常勝西武で何度も日本シリーズを戦い抜いてきた辻ですが、この年ヤクルトでは初めて優勝を経験し、両リーグで日本一を経験する事となります。

 

広島から移籍してきた小早川は、この前年わずか8打数1安打のみで、既に35歳を過ぎ、果たして戦力になるのか??というところでしたが、開幕戦で巨人・斎藤雅から3打席連続ホームランを放ち、いきなり度肝を抜きました。もちろんこの時点ではホームラン王でした。結局、野村再生工場での典型的な活躍で、わずかに規定打席には届かなかったものの、4年ぶりの2ケタ本塁打(12本)を放ち、見事な復活を果たしました。

 

学年が小早川のひとつ上の大野もまた生え抜きでない移籍組で、打者の年長3人はすべて移籍組でした。大野はこの年が実質的な最後の活躍で、翌年は安打・打点もなく引退を迎えます。

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生え抜き野手最年長35歳の秦ですが、前年より成績を大きく落とし始め、この年も急降下。安打も僅か11本で、戦力とは言い難い状況になっ来ていました。

 

佐藤真はダイエーからの移籍組で、前年よりヤクルトに移り、少し出番を増やしてこれまた野村再生工場の効果あり、この年はかなり出番を減らしたものの日本シリーズで本塁打を放ったりして活躍しています。

 

テータムは途中入団で、解雇となったオルティスの実質後任的な形でしたが51試合で.309で13

本塁打と好成績を残したものの、翌年入る外国人(ムートン)の枠の関係ではじき出され、この年限りだったのが残念でした。

ここに載ってませんがオルティスの成績は20試合.172(29-5)で0本塁打7打点と散々で早々と二軍落ちし戻る事はありませんでした。

 

わずかに規定不足だったのが土橋でした。打率.301で107安打を記録しながら、規定未達に終わり、400打席越えで自己ただ一度の3割超えであり、打点61もキャリアハイでした。何度も規定到達していますが、未達のこの年がキャリアハイになるのもなんか不思議でこの選手らしい記録とも感じました。

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その他目立ったところては真中がケガの飯田に代わり本格的に台頭してきて、250打席で.338の高打率を残しています。翌年から規定打席到達しますが、その足がかりをつかんだ年といえます。

 

また、ここには載っていませんがシーズン途中に馬場がオリックスよりトレード移籍し、75試合で.254(169-43)3本塁打18打点を残しています。馬場といえば強いオリックスの内野守備の要の選手で野村監督が惚れ込んで獲得に乗り出したといいますが、ほとんどホームランを打たないのに移籍してくるや連発してた覚えがあります。

 

捕手陣は相変わらず古田絶対体制で、野口、青柳など他球団ではレギュラー張れそうな面々が軒並み出番に恵まれず、野口はトレード志願するも控えが育っていないことを理由に慰留されたりしたそうですが、このオフにようやく日本ハムへのトレードが決まり、案の定レギュラーを張りキャリアを積み重ねていきます。尚、この年カツノリが2年目にして一軍デビューし本塁打も1本記録しています。

広永は馬場とトレードでオリックスへ途中移籍してしまいます。長打力の魅力にあふれ、毎年のように期待された大器でしたが、なかなか完全開花する事なく、勿体ない選手の一人と感じます。

また、後に楽天監督になる三木肇がこの年一軍デビューしています。弟・仁も近鉄に入団しましたが、共に現役キャリアはあまり積み重ねられずでしたが、肇選手がまさか監督になるとは思いもしませんでした。

 

▼投手陣

 

タイトル-なし。 ※ノーヒットノーラン:石井一

 

投手陣は石井一がノーヒットノーランを達成した以外タイトルホルダーがなく、また規定投球回クリアは吉井、田畑のみでした。

2人とも移籍組で、ヤクルト生え抜きでは伊藤智が復活して抑えで活躍してカムバック賞を受賞していますが、ノーノーを達成した石井一も10勝は挙げたもののわずかに規定未達に終わりました。

 

野村再生工場の象徴的存在として前年12勝を挙げた田畑はこの年も15勝を挙げ、2年連続2ケタを達成、一発屋的なものを払拭した格好となりました。

吉井は移籍3年目となりましたが、3年とも2ケタをクリアし、満を持して翌年よりメジャーの世界で活躍を続けていきます。


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この年は115~120回とわずかに規定投球未達の投手が多かった年でもありました。

 

石井一は肩の手術の影響で戦列を離れており、途中から戻った為10勝したものの規定未達でした。

川崎は前年0勝から復活した年となり7勝を挙げ、ブロスは同じ7勝でも他球団に研究されたのか95年の勢いがなく、年々防御率を1点以上落としていき、この年を最後に西武へ移籍する事となります。

 

あと、100回越えでは山本が105回1/3を投げています。中継ぎのイメージが強い投手ですが、前年とこの年は先発もこなしていました。

 

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抑えは高津が不調に陥り、伊藤智が抑えに回り19Sを挙げ、カムバック賞につながりましたが、翌年はまた先発へと戻りました。

また加藤も抑えを務めた時期があり、高津が絶対的守護神であったヤクルトにおいて自己最多6Sを挙げ、実に60試合に登板、自己最多でありチーム最多でもありました。

 

加藤に次ぐ59試合登板と活躍したのがダイエーから移籍してきた廣田でした。やはり高津の不調で色んな投手がセーブを挙げた中の一人でしたが、ダイエー時代それほど活躍できず、ここで中継ぎ抑えで本格的に活躍できた感がありました。

 

32歳の野中はこの年がプロ初勝利でした。

84年にドラフト1位で阪急に入団し背番号18と大きな期待をかけられましたが芽が出ず、同期でドラフト下位だった星野がエースに成長するのを見ながら、ついには打者転向も一軍に上がれず一度引退しています。

その数年後台湾球界に渡り、中日で復帰する事ができ一軍登板もできそこそこの活躍ができたものの、初勝利はまだできずにいました。そしてこの年からヤクルトでプレーし2勝を挙げ、結局通算でもこの2勝だけでしたが、プロ入りから14年目で掴んだ涙の初勝利でした。

 

前年近鉄から移籍の木下はこの年で引退、前年は3勝2敗と活躍しましたが、この年は戦力にならず、95年よりオリックスから移籍の山内も2勝0敗の成績を挙げましたがこの年限りで引退しています。

 

93、94年と連続2ケタ勝利を挙げた名セットアッパー山田は肘の故障で0勝0敗、この年を最後に広島へ移り、91年新人王岡林は2年ぶりの勝ち星をあげたもののわずか1勝1敗、この後ほぼ目立ったキャリアがなく、95年に16勝を挙げた山部も0勝と、華々しいキャリアを誇った生え抜き組が全く機能しなくなっていました。いずれも故障が大きかったと思いますが、またそれだけ世代交代時期だったという事ですね。

 

 

世代交代のさなかで、再生工場がうまく機能して掴んだ優勝、そんな感じを受けますが、野村ヤクルト最後の優勝、そして日本一。それが1997年のヤクルトでした。