「空調ヒストリー」



2002年、都内某所にて、空調を著しく取り乱すという事件が起こった。


空調とは、別名、「空気調節」とも言われている。


その発端となったのは、当時、空調協議会の空長に就任していた


ク・チョウセイ氏の突飛な発言であった。


「我々は、空調をつける時、果たして電源を入れる必要があるのだろうか?」


これを聞きつけた空調担当の営業マンは、事態を重く見た。


本社ビルでは、空調課長の顔色が真っ青になったとされるのは、


記憶に新しい。


2003年、いよいよ両氏の溝が深まり、これによってク・チョウの蜂起


勃発する。これまで余年に渡り、空調を担当していた営業マンも積極的に


蜂起に加担し、社内マニュアル「室外機の令」を発令した。


しかし、この令によって、蜂起が収まることはなかった。


民は、10月に空調が故障したことに取り乱し、空気が調節できないと


いう理由で、電車通勤を避けた。


これによって大幅に列車ダイヤが乱れる(列車ダイヤの乱 2003-2003)


一方、受付城でも、空調がきき続ける状態であることは、


家臣の過信であった。


また、即位していた納涼天皇は、世の安泰を求め、漢の国へ使者と風を


送ることを決意する。後に呼ばれる、「送風の件」である。



乱世は暫く続いたが、2年後に「ブレーカーの変」が起こり、寺院にも


影響が及ぶこととなる。


この動きに対して、空海と最澄の愛弟子とされる、空澄(1990-2005)は、


天下泰平を求め、雑木林に逃げ込むことになる。


しかし、半年後、悟りを開き、都内・新大久保に室外寺を建立する。


2004年には、自らの法典「ガンダーラ空調」を発行する。売れ行きもまず


まずであったため、これに気をよくした空澄は、翌年、室内機取付集を発表。


室外機と室内機の微調整が、度々遅れた社内ではあったが、


ワンタッチ操作のすゝめ」が普及したことにより、風を自由に送れるよう


になる。


夜になり、寝苦しくなることもなくなったが、空澄に先を越された僧侶、


春風(1992-2005)は、家族から刺客を送り込む。


長女のむゝめ」である。



しかし、後心地天皇(1999-2009)の新操作、ぐっすりタイマーに阻まれ、


深い眠りに就くこととなり、あえなく失敗に終わる。


その後、春風は「弱風の刑」に処される。


ク・チョウセイ氏と課長は、空澄の監視の下、和解が2005年に


交わされ(空調打診条約)、こうして長く続いた戦乱は幕を閉じた。


営業マンは、空調に危機に晒されることなく、元の日常生活に戻り、


歌舞伎町にある「キャバクラ幕府」へ直行したのは、


言うまでもないのである。