『芸術は回る』



河川敷で、友人の稲葉が何やら、神妙な顔で


向こう岸を見つめている。


彼に元気がないのは、恋人に没頭し、考え耽っているせいだ。


僕らは、2年前、偶然にも出会った。


別れて以来、もう2度と会えないんじゃないか、そんな雰囲気だった。


彼は、映画が好きで、よくフェデリコ・フェリーニや


クエンティン・タランティーノの話を僕に聞かせてくれた。


映画に疎い僕にとって、彼は映像や絵画の伝道師だった。


彼は、首を左右に振り、音を鳴らしながら語った。


「大衆性に、負けたら終わりだよ」


僕は、彼が一芸術家であることを悟っていた。


恋に滅法弱い彼だったが、僕はそんな純粋無垢な彼に対して、


リスペクトし、敬意を払っていた。


そして彼は、何より元気が取得で、いつも笑わせてくれた。


僕が、難しい顔をしている時でさえ。


「そんな顔してたら、若くてもインポになるよ」


説教臭いのは、昔からだ。


彼が、エキセントリックに振舞うとき、次第に語気が強くなり、


決まって全身を使って説明し始める。


流暢だが、たまに滑稽。


僕は、そんな姿に見とれているうちに、彼の持つ不自然な世界観に


うっかり引き込まれてしまう。


まるで、空中ブランコをするピエロだ。


サーカス。彼自身が、サーカスの主役でもあるような気さえしてくる。


僕は、彼の俯いた表情を危惧し、話し掛ける。


「でも、最近、元気ないじゃん。彼女と上手くいってないの?」


彼は、ははは、と腹に力を入れず笑う。


河原の流れを目で追っている。


水音が、きゅるきゅると彼の言葉を遮る。


彼は、徐に小石を手に取り、立ち上がる。


手裏剣のように小石を投げると、飛び跳ねながら、水面に波紋を作り出す。


最後に向こう岸に行き届いたのを確認すると、彼は僕を振り返って言った。


「来年、結婚するんだよ。でも、自由がない」


自由。


彼の言葉が、何を意味をしているのか、僕にはすぐに解かった。


自由は、雲1つない青空にある。淀みのない川の流れにある。


彼は、束縛から逃れたい。そう言ったのだと思う。


けれど、僕は、その時、「別れて、1人になるしかないんじゃない?」と


言い出せなかった。


彼が恋人を本気で好きだったのも知っているし、今更引き返せないのだ。


男としての強い責任感。


追求したい自由。


少なからず、誰しも持っていることなのかもしれない。


僕は、彼の表現が自由だったのをよく知っていた。けれど、彼は


その芸術性や才能までを手放してまでも、結婚を選んだのだ。



僕は、何も言い出せず無言のまま、彼の次の言葉を待った。


彼は苦笑いしながら、言った。


「今、話しても仕方ないから、やめよう」


そう言って、立ち上がり、乗ってきた車の方へと歩き出す。


バンパーが光っている。


空に描いた夢。


熱く語った映画。


太陽と同化した、彼の恋愛。


僕は、それも彼らしいのかもしれないと思った。


帰り際、小石を無造作に蹴り上げる。


タイヤに当たり、虚しくコツ、と響く。



新車なのに・・、そう僕が呟くと、彼は天を仰いだ。


僕の中で。


彼の笑い声は、高々と響き渡り、木霊する。


それ以来、僕は彼と会う機会がなくなった。



今、僕の部屋には、びっくりするほど丸い球体の石が置いてある。


彼が、こっそり僕のバックに忍ばせたらしい。


見れば、見るほど丸い石。


地球が、現実が、丸い。


あとは、どこを見るかだ。


人によって、見方は違うかもしれない。


僕は、彼と同じ部分を見ていない。


けれど、2人で見てきた夢は、同じ一点を指していた。



指で、石をなぞると、妙な触り心地で胸騒ぎがする。


僕は、彼の選んだ道を見つける。