兵器が無くなれば戦争は無くなるのか | 大学中退者のその後の後

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現在もウクライナ侵攻が続いております。

 

SNSで今回の戦争は、ウクライナ側にも問題が有ったと取れる意見を述べた著名人が何人か居て、炎上していました。

 

確かにロシア側は国際法に反する、一方的な現状の変更を行っています。

しかし戦争はその本質から、どちらか一方のみの問題にはなりません。

ウクライナ側も、均衡を崩して侵攻を許した責任が必ず有ります。

 

では、どんな責任が有るのかを考察してみたいと思います。

兵器が無くても戦争は起きる

兵器らしい兵器が無かったような紀元前の遺跡から、大量の遺体が見つかったという事例が有ります。

 

おそらく飢饉で食料が無く、部族同士での奪い合いが起きて、こん棒などで殴り合い、大量虐殺に至った結果だと思います。

 

太古の昔には、ネアンデルタール人とデニソワ人という、現人類以外にも2種類の人類が共存していました。

これら2種の人類を滅ぼしたのは、言うまでもなく現人類です。

 

人がこぶしを振り下ろすことが出来る限り、争いが有れば必ずそこには暴力が発生し、それが集団化すれば戦争に成ります。

 

人と人とが争う限り、暴力は無くならないし、戦争も無くならないと、筆者は考えます。

 

人間は、他の動物と比べて細かい意思の疎通が出来て、話し合いで諍いを収めることが出来ます。

だから互いに理性的でさえあれば、暴力も戦争も無くせそうにも思えます。

 

しかし、人類は太古から、理性と打算で暴力を振るってきました。

互いに物理的な存在である限り、必ず暴力は問題解決の選択肢の一つに成る

争い事が起こり、それが絶対に譲れないもの(自分や家族の存続に関わるなど)だった場合、人はどんな手を使っても勝とうとします。

 

例えそれが非人道的な行為だとしてもです。

それは生存本能で、永遠に無くなることは無いでしょう。

だから暴力と戦争は無くならないのです。

 

この本質的な問題を理解しないと、戦争を未然に防ぐことは出来ないと考えます。

 

ウクライナは、経済的困窮から多くの兵器を売り(現代戦の主役の空母を中国に売ったり)、防衛のための戦備が手薄な状態でした。

 

さらにそれを補うためにNATOに加入し、西側諸国に守ってもらおうとしました。

 

国境を接する隣国が敵対勢力に加入することは、ロシアにとっては脅威でした。

 

さらには過去にNATOから、「これ以上東側に勢力を拡大することは無い」との約束を、ロシアは取りつけていました。

これが破られたことも、ロシアが戦端を開くきっかけだったと思います。

 

戦争は無くならない、兵器を捨てても相手の脅威に成れば攻め込まれる、これらをきちんと理解せずに行動したことが、ウクライナ側の落ち度だと思います。

永世中立国スイスにも有る軍隊

スイスは憲法で「永世中立国」であることを宣言しており、世界大戦中も現在も、西側にも東側にも属さずに中立を保っています。

 

敵が居ないのだから、戦争をしかけられることも無く、戦備も必要無いように思えます。

 

しかし、スイス人は上記のような戦争の本質を良く理解しており、国軍を有しています。

国境のアルプス地帯には強固な塹壕が多数作られていて、いつ攻め込まれても防衛できるよう、備えています。

 

今はだいぶその勢力も減っていますが、かつて日本では左寄りの政党や団体がたくさん有りました。

 

彼らは自衛隊が憲法違反だとして、自衛隊の廃止を訴えていました。

 

自衛隊廃止論が廃れた大きな理由は、阪神淡路大震災での自衛隊の活躍とその後の災害活動が有ったからだと思います。

 

しかし、それだけでは無く、北朝鮮の挑発行為などで、ずっと平和ボケだった日本人も、ようやく戦争の本質と向き合った結果だとも思うのです。

 

暴力と戦争の持つ本質。そして人間が持つ本能。

 

これらを十分考慮することで、戦争を防ぐことが出来ると思います。

さらには犯罪やいじめやパワハラの予防にも役立つでしょう。

 

学校教育に取り入れて頂きたいと思います。

 

次回はこういった人間の持つ本質を知り、考えることで、犯罪を予防することについて考えたいと思います。