大学中退者のその後の後

大学中退者のその後の後

フリーランスです。仕事の合間の息抜きツブ。

このブログのテーマ通り、筆者は大学中退です。

 

そして、中退ではありますが、普通に卒業するより長い期間、大学に在籍していました。

 

しかも、ゴリゴリの学問マニアで有りながら、落ちこぼれて挫折して中退に至る、「ゴリ中」でもあります。

 

どのくらいゴリ中かと言いますと、1年生のうちから4年生と知り合いに成り、ゼミにお邪魔するくらいには、学問に熱中していましたが、あっさり単位は落としました。

 

そんな「物理学ゴリ中」の筆者ですが、ずっと研究している分野が有ります。

それは「死」です。

物理と死

まず、この分野、「物理と死」の第一人者と言えば、ノーベル物理学賞受賞者であるロジャー・ペンローズ博士です。

 

彼は80年代に、人間の脳のニューロンネットワークの中に有る微小管内が、量子力学的な揺らぎの影響を受けていて、人間の意識は量子的揺らぎが作り出しているという仮説を立てます。

これを「量子脳理論」と呼びます。

 

しかし、この説は証明のしようが無く、論文には出来ずに、書籍という形で、世に出ます。

 

賛否は有りますが、筆者は直観的に真実であると思いました。

 

そしてこの理論は、死の瞬間にも触れています。

ペンローズは、人は死の瞬間、意識が宇宙にまで広がるという仮説を立てています。

 

この仮説が正しければ、我々は死の瞬間、宇宙から地球を眺めることに成るでしょう。

物理と記憶

この「量子脳理論」を宇宙側から見た時に、人間の記憶が宇宙のどこかに転写されているという考えも有ります。

 

抽象的な意味でなく、宇宙の全歴史がどこかに記録されているのでは、という理論が有り、その中に、人間の記憶も含まれるというわけです。

 

これはもはや「死後の世界」を予言しているようなものです。

人が死んでも、その記憶がどこかに残っているからです。

 

これらは、本当に宗教的な話では無く、宇宙論と量子力学の議論の中から出てきたものです。

 

死後の世界は、あらゆる宗教に出てくる考えです。

それを裏付けるような理論が、物理学から出てくるとは・・・

 

これは本当に偶然なのでしょうか?

 

筆者には、そうとは思えません。

幽霊のニュース

筆者は幽霊の存在を信じています。

それは先述の「宇宙に記録される人間の記憶」の仮説が元に成っていますが、それ以外にも理由が有ります。

 

それは、過去にいくつもの、幽霊の目撃例としか思えないニュースを目にしたからです。

 

それは心霊写真的なものでは無く、実際の目撃事例がニュースに成ったものです。

 

紙の媒体では無く、ネットでニュースを読むように成ったのが、およそ20年ほど前から。

ネットニュースの特徴は、1日単位では無く時間単位で更新されることです。

そのために、紙の媒体では出づらい、小さなニュースも目にする機会が有ります。

 

例えば、東京メトロの銀座線が、現在停止中というニュースが、ある日流れました。

原因は、走行中の列車の運転手が、線路上を歩く人影を見たというもの。

すぐに全列車を停止させて、当該路線の駅間を捜索しましたが、結局誰も居ませんでした。

 

おわかりでしょうか。

場所は地下鉄の線路上です。どこにも逃げ場は有りません。

運転手が見た人影は何だったのでしょうか?

 

その他にも、震災後に被災者の相談に乗った僧侶の話で、被災住民の多くが、海上を歩く人や、死んだはずの人を目撃したそうです。

 

こうした、幽霊としか思えないニュースが、世の中には実は溢れています。

 

死後の世界。そして幽霊。実在しそうだと思いませんか?

物理と生

生命の起源の研究が進んでいます。

その中で、最近支持を集めているのが「パンスペルミア説」です。

 

この説では、生命の起源と成るRNAが、宇宙から来たものだとしています。

その理由として、地球上で数億年という短時間でRNAが出来る確率が非常に低いということが有ります。

 

従来の地球上説では、RNAの元となるアミノ酸や塩基などが、雷や地熱などで結合して出来たとされていました。

 

しかし、実際に実験で太古の地球の海を再現して、放電などの刺激を加えてみましたが、何千時間経とうとも、RNAのかけらすら出来ませんでした。

 

その後、量子化学計算が発達し、アミノ酸や塩基などがRNAに成る確率が計算されます。

 

それは、とんでもなく低い数値に成りました。

 

よくその表現として用いられる例で言いますと、「ガラクタの上を竜巻が通過したら、ジャンボジェット機が出来ていた」くらいの話です。

 

この確率でいうと、宇宙の年齢138億年と全宇宙の星の数では、全く足りない、つまり、現在の宇宙に生命は存在しないことに成ります。

 

宇宙初期に、インフレーションという現象が起きたとされています。

宇宙空間が、光速を超えて膨張した時期が有ったそうです。

そのインフレーションを加味すると、実際の宇宙の大きさは900億光年にも成るそうです(観測出来るのは138億光年まで)。

 

その実際の大きさで計算すると、やっと一つのRNAが出来る確率が現実的な数値に成ります。

しかし、観測できないということは、因果関係も無いということに成ります。

量子もつれを使って、何とかこじつけられる感じです。

 

それでも、奇跡的な数字であるのは変わりません。

どう考えても、地球上に生命が存在し、我々人類が存在すること自体が不自然なことだと言わざるを得ません。

物理学が提示する神秘的世界

このように、人の生と死を物理学で見てみると、人間がとても不思議な存在であることが分かります。

 

科学理論だけでは、説明出来ないものが存在しそうな気さえします。

 

最近、「不完全性定理」を拡張して、完璧な理論は存在しないことが証明されました。

それでも「メタ理論」を使って、科学的な記述は可能だということ。

 

今後の科学のさらなる発展を期待したいところです。

 

ひょっとすると、とんでもない世界が見えてくるかも。

最近あるSNSの書き込みで、OLさんが昼休みにどうしても飲みたく成って、ノンアルコールビールを飲んだところ上司にとがめられて、小一時間ほど説教をされた、何が悪いのか分からないという嘆きが見られました。

 

それに対して見られたのが、圧倒的に多くの否定的なリプライです。

 

「ノンアルと言えど、アルコールが完全に0では無い」

「普通に考えて非常識」

「仕事の合間に飲むものでは無い」

などの意見です。

謎ルール

筆者も実は一度、残業時間中に飲んだことが有ります。

その時は、同僚から冗談ぽく「ビール飲んでた」といじられた程度でした。

 

しかし後ほど、また別な職場でその話をしたところ、ドン引きされた経験が有ります。

 

何となくは分かるんですよ。

「ノンアルと言えど、ビールはビール。仕事が終わった後や休日に飲むもの」という意見ですよね。

 

まず「アルコールが含まれる」とする意見ですが、ノンアルは基本、アルコール分0.00%、つまり最大で0.004%以下です。

1L飲んでも、アルコールは4ml、飲酒運転の基準から見ても、全く問題は無いです。

 

そして、一番売れている栄養ドリンクはアルコール分1%です。

アルコール含有率で言えばこちらの方がはるかに多いのですが、こっちは飲んでも誰も何も言いません。

ビールとノンアルビールは別物

ノンアルビールの中には、ビールと同じ製法で、後からアルコールを抜くものも有りますが、そのほとんどが、ビールと全く違う製法で作られています。

 

つまり、通常の清涼飲料水と変わりません。

 

だとすると、「ノンアルと言えど、ビールはビール」の根拠は、もはや味が近いということしか有りません。

 

味が近いと、何が起こるというのでしょうか。

仕事への影響で言うと、医学的には何も有りません。

 

もはや、単なる言いがかりです。

 

なのに、なぜ多くの日本人はそう思ってしまうのでしょうか。

何となくで作られる日本のルール

ノンアルビールの問題も、このように冷静に考えると、その明確な根拠は無く、理不尽なものだと分かります。

 

実は、同様なルールが非常に多いことに、皆さんお気づきでしょうか。

 

例えば、駅のエスカレーターの左寄りルール。

これはすでに安全面でも、保全面でも、メーカーから止めて欲しいという要望が出ていて、禁止に成っている自治体も有ります。

 

にも拘わらず、相変わらずみんなやっています。

 

それから、30分前出勤ルール。

これも最近SNSでアルバイトを派遣するサービスを利用したところ、3分前に来られて、頭にきて帰らせたという店主の書き込みが物議をかもしました。

 

これも業務のための準備時間も業務時間に含まれると、労働法で定められているにも関わらず、業務開始前に来て準備を済ませるのが当たり前に成っています。

 

例えば、9時から業務開始で、準備に20分以上かかるのが分かっているなら、出勤時間を8時半にする必要が有るんです。

 

先のアルバイトの話にしても、そもそも単発で入るのだから、準備にどのくらい時間がかかるなんて、事前に分かるわけが有りません。

準備時間を加味した出勤時間を設定しないといけないのに、とんでもない理不尽です。

 

そして、20年以上30分前出勤をさせた挙句、その分の早出残業代を払わなかったとして訴えられ、数百万円もの支払いを命じられた例も有ります。

明確な基準が無いルールは盛大な無駄を作る

ノンアルビールの場合、飲むのを我慢したところで、何の効果も得られず、それどころかストレスにより、仕事の効率を落とす結果に成りかねません。

 

エスカレーターの左寄りも、寄ることで歩いて上る人が出てきて、危険が生じる。

機構的にも、片側に負担がかかることで、エスカレーター自体の寿命が短く成り、交換のために生じる費用を、利用者が負担することに成り、製造の際には、余計なCO2を排出する。

 

30分前出勤はもはや言わずもがな。

その分の残業代を払わなければ、法律違反、犯罪です。

残業代出す気も無しに言ってる人は、犯罪者です。

何十年も繰り返して訴えられ、数百万もの支払いをしなければならなくなったら、零細企業には死活問題です。

 

明確な基準の無い無駄ルールは、損しか生みません。

 

今すぐ止めましょう。

最近家族と話していて、ふと気づいたのですが、家でメンチカツを食べていないと。

 

メンチカツって、ミンチ肉を使うわけですが、ミンチを料理すると成ると、どうしてもハンバーグに成ってしまう。

手間ひまも有って、メンチカツまでたどり着かないんです。

 

外食以外だと、自然とメンチカツは購入して家で食べることに成るわけですが、最近その機会が無いのです。

 

実家が個人商店でも有る筆者が、いろいろと思い至ったことが有るので、ここに記してみます。

地方に美味しいメンチカツが無いわけ

美味しいメンチカツと言えば、商店街のお肉屋さんの作るやつです。

 

そして、地方ではすでに商店街が廃れてシャッター通りに成ってしまっています。

 

自然とスーパーのお惣菜のメンチカツに成るわけですが、これが実は美味しくないのです。

 

もちろん、美味しいところも有りますが、ほとんどのスーパーのメンチカツが美味しくない。

 

それはいったいなぜなのでしょうか。

スーパーのほとんどが元八百屋

スーパーのもととなった商店というのが、その多くが八百屋さんです。

 

なぜそうなのかというと、個人商店でも、八百屋が売り場面積が圧倒的に広かったために、スーパー化しやすかったからです。

 

肉や魚は、切り身にして売るのが基本です。

そうすると、商品自体が小さいために、売り場面積は狭くてすみます。

 

野菜は今でこそ1/2カットなどでも売っていますが、昔は包装と言えば新聞紙くらいしかなく、野菜のカット売りという概念が無かった。

そのため、大きな白菜や大根をそのまま並べる必要が有った。

 

また、単価の違いも大きな理由です。

肉や魚は100gあたり100円~200円ですが、野菜は100gあたり数十円が相場です。

 

なので、八百屋さんは大量の商品を売らないと商売に成らない。

売り場も自然と大きく成ります。

なぜ八百屋なのか

ここで疑問に思うのが、売り場面積も小さくて済み、商品単価も高い肉屋や魚屋に、なぜ成らなかったのでしょう?

 

それは、肉も魚も特別なルートでしか手に入らないからです。

米や海苔も同様です。

 

肉は「屠殺」という作業が必要です。

「屠殺」とは、家畜を殺してさばき、肉にする工程です。

この作業は自治体による許可が必要で、特別な業者さんしか出来ません。

 

そしてその業者さんが提供する精肉市場の競りに参加するには、これも許可が必要になります。

 

魚は漁協が開催する市場の競りで買いますが、これも漁協から許可をもらった一部の業者しか参加できません。

 

というわけで、肉屋と魚屋は一部の特別な人しか出来なかったわけです。

 

一方野菜は、JAが大々的な集荷を始める前は、個人間の取引が中心でした。

だから、誰でも農家から直接買い付けて、八百屋を始めることが出来たのです。

 

戦後、たくさんできた街の八百屋さん。それが現在のスーパーの原型です。

衰退がはじまった商店街

こうして、売り場面積の広い八百屋さんが、肉や魚も売るように成り、スーパーマーケットが出来ます。

 

今では、スーパーも市場で買い付けをしていると思いますが、始まった当時は、それが出来なかったために、肉は肉屋さん、魚は魚屋さんで、元八百屋が買って店頭に並べていたことでしょう。

 

街の商店を守るために「大店法」というのが70年代に出来て、大型スーパーは出店先の規制を受けました。

にも関わらず、結局街の商店街は衰退を始めます。

 

たぶん、団塊世代が子育てを開始したころが、商店街が一番にぎわったと思います。

 

団塊世代はいわゆるベビーブーム世代で、世界大戦が終わった直後に、お父さんたちが復員したことで、世界中で起こりました。

 

しかし、日本は直後にGHQに占領され、配給制度が始まります。

人々の生活は苦しく、出生率は下落します。

 

団塊世代の子育てが一段落すると、商店街の客足は大幅に少なく成り、閉店する店も出てきます。

八百屋が作るメンチカツ

こうして、街の商店街の衰退がはじまりました。
 
その中には惣菜を売る店も含まれており、商店街の代わりを務めるスーパーで総菜を求める声が出てきます。
 

さらに、1998年に「大店法」が廃止されます。

街で買い物することが出来なくなったために、政府が消費者の声にこたえた結果です。

 

よく、イオンの出店が商店街の衰退を招いたという声が聞かれますが、実はそれより先に商店街の衰退は始まっていました。

 

こうして、街の惣菜屋さんの代わりを一手に引き受けることと成ったスーパー。

 

しかし、残念ながら、元八百屋さんには、おいしいメンチカツを作るノウハウは有りませんでした。

 

こうして、地方ではおいしいメンチカツは消えました。

多様性が必要な理由

コロナ渦において、個人商店を守るべく、補助金が出ました。

 

その理由の一つは、多様性を守るためでも有ります。

 

地方において、おいしいメンチカツが失われたのは、多様性が失われた結果です。

 

他に選択肢が無いから、美味しくないと思いながらも買う人が居る。

そうすると、商品の改善も行われません。

 

そして、一番の問題は、スーパーでも飲食店でも、ごく少数のチェーンだけが生き残った場合、他に選択肢が無くなる。

そしてそのチェーンが、何か問題を起こしたとたん、選択肢がゼロに成る事です。

 

多様性は、市民にとって死活問題なのです。

 

商店街が衰退した今、新たな出店に頼るしか有りません。

 

多様性を守るためにも、個人の挑戦を後押しし、補助する制度を充実させる必要が有ります。

神戸で、男が見ず知らずの女性を刺殺しました。

 

動機は不明ですが、専門家によると、性的な接触を目的としていたのではないかということです。

 

過去にも、面識の無い女性に付きまとうなどの事件を起こしています。

真面目と評判の犯人

この事件の犯人の周囲の人がインタビューに答えていましたが、皆一概に「彼は真面目」だと証言しています。

 

無口で、仕事は真面目でギャンブルもせず、酒を痛飲することもなく、女遊びもしなかったと。

 

そんな人間が、なぜ突然、女性を襲ったのでしょうか?

 

そもそも彼は本当に真面目な人間だったのでしょうか?

真面目に見えるだけの人

この犯人は婚姻歴も無く、お付き合いする女性も居なかったようです。

 

しかし、起こした事件から見ても、女性には興味が有ったのは事実です。

 

でも夜遊びもしなかったのは、単にお金が無かったのか、女性とコミュニケーションを取るのが苦手だったのか。

 

一つ言えるのは、こんな悲惨な事件を起こさずとも、女性と気軽に遊べる方法はいくらでも有ったはずです。

 

多少はお金が必要ですが、日本には女性と遊べるお店はたくさん有ります。

 

普通だと、そんな遊びをする方が不真面目だと言われますが、人殺しをするよりは、はるかにマシです。

 

また、女性とコミュニケーションを取るのが苦手な人にとっても、良い練習の場だと思います。

素人を口説くクズ

既婚者でも、恋人が居る人でも、浮気をする男というのが居ます。

 

大抵が、職場の知り合いが相手だったりします。

 

毎日顔を合わすうちになし崩し的に、なパターンも有りますが、大抵が男性が口説くパターンだと思います。

 

そして、パートナーが居ることを隠して、SNSで口説くことも有ります。

まさにクズです。

 

パートナーにバレれば、当然修羅場に成り、多くの人間が傷つきます。

 

既婚者で有れば、民事で損害賠償を請求されますし、既婚で有ることを未婚の浮気相手に隠していた場合は、不同意性交に問われる可能性も有ります。

 

そんなことに成るくらいなら、夜のお店で遊んだほうがましです。

 

「それも浮気だ」という意見も有りますが、クラブママとの不倫を問われた男性が、ママ側が商売の一環としてお付き合いしたと裁判で認定されて、損害賠償請求が棄却された例が有ります。

 

法的には、お店の娘と遊んでも不倫では無いとされています。

紳士、錦鯉渡辺

キャバクラ好きとして有名な芸人と言えば、錦鯉の渡辺氏です。

おさわりも口説くことも、利益に成らないアフターに誘うことも無く、大枚をはたいて遊ぶ姿は、キャバ嬢からは「神客」と呼ばれているそうです。

 

そんな彼のトークを見ましたが、若いころ、お付き合いしていた女性から養われていたことが有り、ネタを作ることもせず、バイトもせず、彼女からお金をもらって遊んでいた時期が有ったそうです。

 

その女性とも別れ、気持ちを一新し、ネタ作りに精を出してM-1王者にまで上り詰めます。

 

そんな彼も今や中年。お付き合いする女性も居ないと。

でも、キャバクラで潔く遊ぶ姿は、むしろ真面目だと思います。

 

そんなこともせず、素人のスタッフに手を出して問題化し、テレビから姿を消した、かの元アイドル達と比べても。

一途なのが一番だが・・・

既婚者が、妻に一途で、浮気も夜遊びもしないのが、一番良い形だとは思います。

 

しかし、大抵の男性が浮気心を持ち合わせているのではないでしょうか。

 

浮気するつもりは無くとも、ある日出会った女性に魅力を感じてしまう人も多いでしょう。

そんな時、グッと浮気心を抑えた経験が有る人も居るはず。

 

その練習の場が「キャバクラ」です。

 

若くて綺麗なキャストが揃うキャバ。

そんなキャバクラで楽しく遊べば、ストレス発散、浮気防止にも成ります。

 

また、女性とコミュニケーションを取ることが苦手な人も、良い練習の場にも成ります。

 

紳士の社交場「キャバクラ」。

 

むしろ利用する人は真面目だと思います。

筆者の世代は、就職氷河期世代の先頭です。

そしてその世代は10年下まで続きます。

 

この世代の特徴は、婚姻率の低さと、出生率の低さです。

婚姻率と婚姻数の推移

この図のように婚姻率と婚姻数は推移してきました。

当然ですが、婚姻率と婚姻数はリンクしています。

 

統計開始直後の最大のピークが、「団塊世代」が生まれたころ。

70年代前半のピークが、筆者も該当する「団塊ジュニア」が生まれたころです。

 

この分布図から見て取れるのは、バブルの開始とともに、下がっていること。

90年ごろから始まるで有ったろう、3つ目のピークが無いこと。

そして、2000年ごろを最後に、ずっと下がり続けて現在に至っていることです。

景気が良すぎても悪すぎても婚姻率は下がる

バブル期に婚姻率が下がりました。

理由は、女性が強かったからです。

 

当時、女性はそのほとんどが一般職でしたが、それでも給与は高く、結婚を焦る必要は有りませんでした。

 

また、男性も学歴などにかかわらず皆高収入だったために、女性は相手を選び放題。

ますます結婚から遠ざかりました。

 

そして、バブルの崩壊。

1~2年ほどで、世の中の様相は180度変わります。

 

大卒の就職率は60%ほど。

大卒でも就職出来ない人が、半数近くにのぼりました。

 

就職出来なかった人は、派遣などの非正規雇用者になっていました。

男性でも低収入の人が多く、そんな人は結婚どころか、恋愛をする余裕も無い。

今度は男性が弱すぎて婚姻率が下がりました。

Z世代の親は救われた氷河期世代

就職氷河期が終わると同時に、婚姻率は一旦上昇します。

これが、不景気過ぎると婚姻率が下がる、何よりの証拠です。

 

就職氷河期世代でも、半数は仕事にありつきました。

もちろん、本来なら大手に就職出来た人が、中所企業勤めに成ったり、就職出来た人にも影響は有りましたが、彼らは収入が安定し、結婚して子供をもうけます。

 

その子供がZ世代です。

実は恵まれないZ世代

Z世代の親は、ギリギリ救われた氷河期世代で、その収入は救われなかった同世代よりは上のはずです。

 

よって、Z世代は比較的恵まれた環境で育ったはずで、大学進学率も高いのです。

現在の大卒就職率はほぼ100%で、救われなかった就職氷河期世代よりは収入は上です。

 

にもかかわらず、なぜ婚姻率が下がっているのか。

 

その理由は、「実質賃金」に有ります。

 

給与の金額自体は高いのです。

しかし、それに対して物価の上昇が大きく成りすぎて、「実質賃金」は下がっています。

 

「実質賃金」とは、1ヶ月あたりの平均生活費に対する平均賃金を表したもので、たとえ平均賃金の金額が上がっていても、それを物価が上回っていると、「実質賃金」は下がり、生活は苦しく成ります。

 

すでに4年連続で下がっている「実質賃金」。

株価が戦後最高額を更新している今、景気が悪いとは誰も思いませんが、Z世代は、生活の苦しさを、肌で感じているのです。

 

婚姻率、婚姻数が下がる要素は他にも有ります。

例えば、平均結婚年齢はずっと上がり続けていますが、それは医学的要素によると言われています。

 

しかし、婚姻率を下げる直接の要因は、生活の苦しさです。

 

まずは給与を上げて、「実質賃金」を上げる必要が有ります。