大学中退者のその後の後

大学中退者のその後の後

フリーランスです。仕事の合間の息抜きツブ。

ドラマ、”じゃあ、あんたが作ってみろよ”がはじまりました。

その反響がすごいことに成っています。

 

筆者は実はドラマ版はまだ観ていなくて、原作マンガだけ読みました。

ですので、内容は分かります。

人気の俳優さんのダブル主演で、観る人も多かったようです。

 

男性優位主義者の主人公と、彼に振り回された挙句に別れを告げる女性の話です。

(以下、若干のネタバレを含みますが、本当に導入部のみです)

「筑前煮男」にうんざり

SNSなどに、ドラマの反響がたくさん寄せられています。

 

その多くが「こんな男嫌だ!」というもの。

それはそうでしょう。

主人公はSNS上で、別名「筑前煮男」と呼ばれています。

 

彼女に振られた直後に合コンに参加しますが、そこで主人公は「女性は筑前煮を美味しく作れなければならない」と繰り返し力説し、女性たちにドン引きされます。

 

実際に彼女に筑前煮を作らせた挙句、「もうちょっと彩が有ったほうが良い、君のために言っている」というセリフが、回想シーンに出てきます。

 

この筑前煮というのが、パワーワードとしてバズったわけです。

 

筑前煮はご存知とは思いますが、九州地方の名物料理で、鶏肉や根菜などを煮たものです。

数多くの材料が必要で、切り分け、皮をむき、長時間煮込んで作ります。

 

非常に手間暇がかかる料理ですが、これを好物とするのは比較的に高齢者が多いので、若い女性はまず作ることは無いでしょう。

 

これを交際相手、結婚相手に要求することに、うんざりする女性が多いようですね。

反響の内容に衝撃

そして次に多い反応が、「うちの旦那そっくり」です。

 

これに筆者は衝撃を受けました。

筆者も男ですが、「こんな男が実在するのか!しかも少なくない数!」と思いました。

 

よく既婚女性の愚痴として聞く機会は有りましたが、そんなに数は多くなく、いくつかは作り話ではと思っていたくらいです。

 

だって、令和ですよ!

居たとしても、高齢で、その奥様も高齢だから、SNSなどやらないだろう、だからSNSに出てくるのは、ごく一部の話だと決めつけていました。

 

しかし、このドラマへの反応を見ると、その数は少なくなさそうです。

受け継がれる昭和イズム

このドラマの主人公のような男性が、いまだに多い理由を考察してみます。

 

こんな男を育てるのは、もちろん昭和のお父さんと昭和のお母さんです。

 

高度経済成長期に婚期を迎え、社会的要求に応える形で、男性は遅くまで働き、女性は皆、家庭に入りました。

 

そんな両親のもとで育ったのが、団塊ジュニア世代です。

男性は、当然自分もそうなると思って育ちます。

 

妻はかいがいしく世話を焼いてくれて、家事は全てやってくれる。

朝から晩まで台所に立ち、数々の料理をふるまってくれる。

筑前煮も、当然出てくるわけです。

 

そしてその伝統は、ついにZ世代にまで達したわけです。

否定される昭和イズム

一方、女性はというと、家庭に縛られ奴隷のように扱われる母親を見て、「自分はこう成りたくない」と思う人も出てきます。

 

男女雇用機会均等法も出来て、女性の社会進出も進みます。

しかし、産休、育休制度が浸透するまでは、多くの女性が、結婚出産のタイミングでキャリアを絶たれていました。

 

それを悔しく思う女性も少なくなかったでしょう。

そんな女性は、娘にはそんな思いをさせたくないと思ったことでしょう。

 

そんな思いが、今の共働き率7割に至っています。

 

そして共働きが当たり前に成った今、男性の家事育児分担が求められているわけです。

男性が変わるチャンス

ドラマ、”じゃあ、あんたが作ってみろよ”は、現在”TVer”で無料で見逃し配信中です。

 

今後、主人公たちは、自分の生き方や考えを見つめ直し、光明が見えて来る見ごたえが有る物語でも有ります。

 

亭主関白気取りの旦那さんをお持ちの方、そんな旦那そっくりに育ちつつある息子さんをお持ちのお母さん、ぜひそんな旦那さんや息子さんにも、見せてあげてください。

 

 

現在ポストシーズン中のメジャーリーグ。

大谷さんが所属するドジャースも、順調に勝ち上がっています。

 

相変わらず大谷さんを誹謗中傷するような小物たちや、「大谷ハラスメント」と嘆く無関心派は一定数居ます。

 

他人の活躍を素直に称賛できないのは、残念なことです。

自分の事のように喜べる人は、それだけで幸福度は増しますから。

 

野球そのものに興味が無い(ルールも知らない)人も、残念では有りますが仕方の無いことです。

 

しかし、すでに大谷さんの影響は、巨大なものに成っています。

WBCの視聴率

最近はコンテンツの種類が多く、特に若い世代はテレビを見ません。

 

ドラマだと、10%を超えればヒットとされます。

そしてすでに平日のナイター中継はほとんど有りません。

 

最高視聴率を取るのは「紅白歌合戦」で、トリの人気歌手の時でも30%ほどです。

 

それに対して、WBC2023のゲームは、最高視聴率48%をたたき出しました。

それ以降、これを超える視聴率は出ていません。

 

そしてWBCを観戦した人のほとんどが、大谷さん目当てだと思います。

事実、最高視聴率を出した日本対イタリア戦の日本の先発は大谷選手でした。

 

このように、まずテレビの歴史を変えてしまいました。

初めて増加に転じたリトルリーグ

2016年の17万人をピークに、リトルリーグの新規参加人口は減り続けていました。

 

野球関係者は、このままだとプロリーグの存続も危ないと危惧していました。

 

毎年、1万人ほど減り続け、2023年には10万人にまで減少。

少子化による自然減も含まれますが、それでも減少率は高く、野球離れが顕著でした。

 

ところがWBC後の2024年、微増では有りますが、実に8年ぶりに増加に転じています。

 

これもどう考えても大谷さんの影響です。

例のグローブを日本の全小学校に送った影響も大きいでしょう。

 

そして、日本だけではなく、アメリカなど世界中で野球の競技人口が増えているそうです。

 

とんでもない影響力と言わざるを得ません。

史上最高額の契約金

ドジャースへの移籍時に、当時の契約金としてはスポーツ史上最高額の10年、1015億円(その後、ソト選手が15年、1162億円でトップ)で契約しました。

 

まず日本人が史上最高額をたたき出したことに驚きです。

 

そして、その金額。日本人の平均収入額が微増したと言われています。

 

そしてこれは、世界中にニュースとして駆け巡ります。

 

それまで大谷さんを知らなかった人もこのニュースで認知することに成り、一気に知名度が上がります。

 

2022年にタレントの野沢直子さんが「アメリカでの知名度はそこまででは無い」と証言して炎上していましたが、こんどこそ、誰もが知る人物と成りました。

WBC2026の放映権料

来年予定されているWBCの日本放映権を、Netflixが独占したことが話題と成っています。

 

地上波でリアルタイムで見れないことにショックを受けている人が多いようです。

 

こうなった最大の原因は、放映権料の高騰です。

前回は全試合で30億円に設定され、TBSとテレ朝がそれぞれ払っています。

 

それに対して、今回は150億円!に設定されました。

 

さすがに日本の放送局では、手が出る金額では無かったようです。

そこで手を挙げたのがNetflixです。

 

Netflixは世界的な有料サブスクリプションです。

資金は潤沢で、日本でさらに会員数を増やすチャンスでもあるために買収に踏み切ったのでしょう。

 

これほど高騰したのは、先述した視聴率を見て、WBCの運営が決断したものと思われます。

つまり、これも大谷さんの影響が大なわけです。

 

大谷さんとしては多くの人に見てもらいたいでしょうから、本意では無いでしょう。

しかし不本意ながら、彼こそが放映権料高騰の原因で、これまたとんでもない影響力です。

ポスト大谷の恐怖

昨年の世界のスポーツ選手の年収ランキングで、多くのサッカー選手がランク入りするなか、大谷さんも149億円で9位にランクインしています。


実はこれも驚きの事実で、契約金は1000億ですが、そのほとんどが契約終了後に支払われる予定だそうです。

理由は、球団に資金的な余裕を与えて、戦力の増強に使わせるためと言われています。

つまり、実際の野球選手としての収入は、おそらく数億円程度なのです。

 

にも拘わらず、これだけの収入が有るのは、広告出演などの報酬です。

つまり、広告業界や小売業への影響も多大なのです。

 

大谷さんと言えど、いつかは引退を迎えます。

 

これだけの影響を、野球界、コンテンツ界、広告業界、そして社会に与え続けている大谷さん。

 

彼の代わりは、おそらく今後永久に現れません。

 

彼が去った後には、草も生えないでしょう。

このブログのテーマ通り、筆者は大学中退です。

 

そして、中退ではありますが、普通に卒業するより長い期間、大学に在籍していました。

 

しかも、ゴリゴリの学問マニアで有りながら、落ちこぼれて挫折して中退に至る、「ゴリ中」でもあります。

 

どのくらいゴリ中かと言いますと、1年生のうちから4年生と知り合いに成り、ゼミにお邪魔するくらいには、学問に熱中していましたが、あっさり単位は落としました。

 

そんな「物理学ゴリ中」の筆者ですが、ずっと研究している分野が有ります。

それは「死」です。

物理と死

まず、この分野、「物理と死」の第一人者と言えば、ノーベル物理学賞受賞者であるロジャー・ペンローズ博士です。

 

彼は80年代に、人間の脳のニューロンネットワークの中に有る微小管内が、量子力学的な揺らぎの影響を受けていて、人間の意識は量子的揺らぎが作り出しているという仮説を立てます。

これを「量子脳理論」と呼びます。

 

しかし、この説は証明のしようが無く、論文には出来ずに、書籍という形で、世に出ます。

 

賛否は有りますが、筆者は直観的に真実であると思いました。

 

そしてこの理論は、死の瞬間にも触れています。

ペンローズは、人は死の瞬間、意識が宇宙にまで広がるという仮説を立てています。

 

この仮説が正しければ、我々は死の瞬間、宇宙から地球を眺めることに成るでしょう。

物理と記憶

この「量子脳理論」を宇宙側から見た時に、人間の記憶が宇宙のどこかに転写されているという考えも有ります。

 

抽象的な意味でなく、宇宙の全歴史がどこかに記録されているのでは、という理論が有り、その中に、人間の記憶も含まれるというわけです。

 

これはもはや「死後の世界」を予言しているようなものです。

人が死んでも、その記憶がどこかに残っているからです。

 

これらは、本当に宗教的な話では無く、宇宙論と量子力学の議論の中から出てきたものです。

 

死後の世界は、あらゆる宗教に出てくる考えです。

それを裏付けるような理論が、物理学から出てくるとは・・・

 

これは本当に偶然なのでしょうか?

 

筆者には、そうとは思えません。

幽霊のニュース

筆者は幽霊の存在を信じています。

それは先述の「宇宙に記録される人間の記憶」の仮説が元に成っていますが、それ以外にも理由が有ります。

 

それは、過去にいくつもの、幽霊の目撃例としか思えないニュースを目にしたからです。

 

それは心霊写真的なものでは無く、実際の目撃事例がニュースに成ったものです。

 

紙の媒体では無く、ネットでニュースを読むように成ったのが、およそ20年ほど前から。

ネットニュースの特徴は、1日単位では無く時間単位で更新されることです。

そのために、紙の媒体では出づらい、小さなニュースも目にする機会が有ります。

 

例えば、東京メトロの銀座線が、現在停止中というニュースが、ある日流れました。

原因は、走行中の列車の運転手が、線路上を歩く人影を見たというもの。

すぐに全列車を停止させて、当該路線の駅間を捜索しましたが、結局誰も居ませんでした。

 

おわかりでしょうか。

場所は地下鉄の線路上です。どこにも逃げ場は有りません。

運転手が見た人影は何だったのでしょうか?

 

その他にも、震災後に被災者の相談に乗った僧侶の話で、被災住民の多くが、海上を歩く人や、死んだはずの人を目撃したそうです。

 

こうした、幽霊としか思えないニュースが、世の中には実は溢れています。

 

死後の世界。そして幽霊。実在しそうだと思いませんか?

物理と生

生命の起源の研究が進んでいます。

その中で、最近支持を集めているのが「パンスペルミア説」です。

 

この説では、生命の起源と成るRNAが、宇宙から来たものだとしています。

その理由として、地球上で数億年という短時間でRNAが出来る確率が非常に低いということが有ります。

 

従来の地球上説では、RNAの元となるアミノ酸や塩基などが、雷や地熱などで結合して出来たとされていました。

 

しかし、実際に実験で太古の地球の海を再現して、放電などの刺激を加えてみましたが、何千時間経とうとも、RNAのかけらすら出来ませんでした。

 

その後、量子化学計算が発達し、アミノ酸や塩基などがRNAに成る確率が計算されます。

 

それは、とんでもなく低い数値に成りました。

 

よくその表現として用いられる例で言いますと、「ガラクタの上を竜巻が通過したら、ジャンボジェット機が出来ていた」くらいの話です。

 

この確率でいうと、宇宙の年齢138億年と全宇宙の星の数では、全く足りない、つまり、現在の宇宙に生命は存在しないことに成ります。

 

宇宙初期に、インフレーションという現象が起きたとされています。

宇宙空間が、光速を超えて膨張した時期が有ったそうです。

そのインフレーションを加味すると、実際の宇宙の大きさは900億光年にも成るそうです(観測出来るのは138億光年まで)。

 

その実際の大きさで計算すると、やっと一つのRNAが出来る確率が現実的な数値に成ります。

しかし、観測できないということは、因果関係も無いということに成ります。

量子もつれを使って、何とかこじつけられる感じです。

 

それでも、奇跡的な数字であるのは変わりません。

どう考えても、地球上に生命が存在し、我々人類が存在すること自体が不自然なことだと言わざるを得ません。

物理学が提示する神秘的世界

このように、人の生と死を物理学で見てみると、人間がとても不思議な存在であることが分かります。

 

科学理論だけでは、説明出来ないものが存在しそうな気さえします。

 

最近、「不完全性定理」を拡張して、完璧な理論は存在しないことが証明されました。

それでも「メタ理論」を使って、科学的な記述は可能だということ。

 

今後の科学のさらなる発展を期待したいところです。

 

ひょっとすると、とんでもない世界が見えてくるかも。

最近あるSNSの書き込みで、OLさんが昼休みにどうしても飲みたく成って、ノンアルコールビールを飲んだところ上司にとがめられて、小一時間ほど説教をされた、何が悪いのか分からないという嘆きが見られました。

 

それに対して見られたのが、圧倒的に多くの否定的なリプライです。

 

「ノンアルと言えど、アルコールが完全に0では無い」

「普通に考えて非常識」

「仕事の合間に飲むものでは無い」

などの意見です。

謎ルール

筆者も実は一度、残業時間中に飲んだことが有ります。

その時は、同僚から冗談ぽく「ビール飲んでた」といじられた程度でした。

 

しかし後ほど、また別な職場でその話をしたところ、ドン引きされた経験が有ります。

 

何となくは分かるんですよ。

「ノンアルと言えど、ビールはビール。仕事が終わった後や休日に飲むもの」という意見ですよね。

 

まず「アルコールが含まれる」とする意見ですが、ノンアルは基本、アルコール分0.00%、つまり最大で0.004%以下です。

1L飲んでも、アルコールは4ml、飲酒運転の基準から見ても、全く問題は無いです。

 

そして、一番売れている栄養ドリンクはアルコール分1%です。

アルコール含有率で言えばこちらの方がはるかに多いのですが、こっちは飲んでも誰も何も言いません。

ビールとノンアルビールは別物

ノンアルビールの中には、ビールと同じ製法で、後からアルコールを抜くものも有りますが、そのほとんどが、ビールと全く違う製法で作られています。

 

つまり、通常の清涼飲料水と変わりません。

 

だとすると、「ノンアルと言えど、ビールはビール」の根拠は、もはや味が近いということしか有りません。

 

味が近いと、何が起こるというのでしょうか。

仕事への影響で言うと、医学的には何も有りません。

 

もはや、単なる言いがかりです。

 

なのに、なぜ多くの日本人はそう思ってしまうのでしょうか。

何となくで作られる日本のルール

ノンアルビールの問題も、このように冷静に考えると、その明確な根拠は無く、理不尽なものだと分かります。

 

実は、同様なルールが非常に多いことに、皆さんお気づきでしょうか。

 

例えば、駅のエスカレーターの左寄りルール。

これはすでに安全面でも、保全面でも、メーカーから止めて欲しいという要望が出ていて、禁止に成っている自治体も有ります。

 

にも拘わらず、相変わらずみんなやっています。

 

それから、30分前出勤ルール。

これも最近SNSでアルバイトを派遣するサービスを利用したところ、3分前に来られて、頭にきて帰らせたという店主の書き込みが物議をかもしました。

 

これも業務のための準備時間も業務時間に含まれると、労働法で定められているにも関わらず、業務開始前に来て準備を済ませるのが当たり前に成っています。

 

例えば、9時から業務開始で、準備に20分以上かかるのが分かっているなら、出勤時間を8時半にする必要が有るんです。

 

先のアルバイトの話にしても、そもそも単発で入るのだから、準備にどのくらい時間がかかるなんて、事前に分かるわけが有りません。

準備時間を加味した出勤時間を設定しないといけないのに、とんでもない理不尽です。

 

そして、20年以上30分前出勤をさせた挙句、その分の早出残業代を払わなかったとして訴えられ、数百万円もの支払いを命じられた例も有ります。

明確な基準が無いルールは盛大な無駄を作る

ノンアルビールの場合、飲むのを我慢したところで、何の効果も得られず、それどころかストレスにより、仕事の効率を落とす結果に成りかねません。

 

エスカレーターの左寄りも、寄ることで歩いて上る人が出てきて、危険が生じる。

機構的にも、片側に負担がかかることで、エスカレーター自体の寿命が短く成り、交換のために生じる費用を、利用者が負担することに成り、製造の際には、余計なCO2を排出する。

 

30分前出勤はもはや言わずもがな。

その分の残業代を払わなければ、法律違反、犯罪です。

残業代出す気も無しに言ってる人は、犯罪者です。

何十年も繰り返して訴えられ、数百万もの支払いをしなければならなくなったら、零細企業には死活問題です。

 

明確な基準の無い無駄ルールは、損しか生みません。

 

今すぐ止めましょう。

最近家族と話していて、ふと気づいたのですが、家でメンチカツを食べていないと。

 

メンチカツって、ミンチ肉を使うわけですが、ミンチを料理すると成ると、どうしてもハンバーグに成ってしまう。

手間ひまも有って、メンチカツまでたどり着かないんです。

 

外食以外だと、自然とメンチカツは購入して家で食べることに成るわけですが、最近その機会が無いのです。

 

実家が個人商店でも有る筆者が、いろいろと思い至ったことが有るので、ここに記してみます。

地方に美味しいメンチカツが無いわけ

美味しいメンチカツと言えば、商店街のお肉屋さんの作るやつです。

 

そして、地方ではすでに商店街が廃れてシャッター通りに成ってしまっています。

 

自然とスーパーのお惣菜のメンチカツに成るわけですが、これが実は美味しくないのです。

 

もちろん、美味しいところも有りますが、ほとんどのスーパーのメンチカツが美味しくない。

 

それはいったいなぜなのでしょうか。

スーパーのほとんどが元八百屋

スーパーのもととなった商店というのが、その多くが八百屋さんです。

 

なぜそうなのかというと、個人商店でも、八百屋が売り場面積が圧倒的に広かったために、スーパー化しやすかったからです。

 

肉や魚は、切り身にして売るのが基本です。

そうすると、商品自体が小さいために、売り場面積は狭くてすみます。

 

野菜は今でこそ1/2カットなどでも売っていますが、昔は包装と言えば新聞紙くらいしかなく、野菜のカット売りという概念が無かった。

そのため、大きな白菜や大根をそのまま並べる必要が有った。

 

また、単価の違いも大きな理由です。

肉や魚は100gあたり100円~200円ですが、野菜は100gあたり数十円が相場です。

 

なので、八百屋さんは大量の商品を売らないと商売に成らない。

売り場も自然と大きく成ります。

なぜ八百屋なのか

ここで疑問に思うのが、売り場面積も小さくて済み、商品単価も高い肉屋や魚屋に、なぜ成らなかったのでしょう?

 

それは、肉も魚も特別なルートでしか手に入らないからです。

米や海苔も同様です。

 

肉は「屠殺」という作業が必要です。

「屠殺」とは、家畜を殺してさばき、肉にする工程です。

この作業は自治体による許可が必要で、特別な業者さんしか出来ません。

 

そしてその業者さんが提供する精肉市場の競りに参加するには、これも許可が必要になります。

 

魚は漁協が開催する市場の競りで買いますが、これも漁協から許可をもらった一部の業者しか参加できません。

 

というわけで、肉屋と魚屋は一部の特別な人しか出来なかったわけです。

 

一方野菜は、JAが大々的な集荷を始める前は、個人間の取引が中心でした。

だから、誰でも農家から直接買い付けて、八百屋を始めることが出来たのです。

 

戦後、たくさんできた街の八百屋さん。それが現在のスーパーの原型です。

衰退がはじまった商店街

こうして、売り場面積の広い八百屋さんが、肉や魚も売るように成り、スーパーマーケットが出来ます。

 

今では、スーパーも市場で買い付けをしていると思いますが、始まった当時は、それが出来なかったために、肉は肉屋さん、魚は魚屋さんで、元八百屋が買って店頭に並べていたことでしょう。

 

街の商店を守るために「大店法」というのが70年代に出来て、大型スーパーは出店先の規制を受けました。

にも関わらず、結局街の商店街は衰退を始めます。

 

たぶん、団塊世代が子育てを開始したころが、商店街が一番にぎわったと思います。

 

団塊世代はいわゆるベビーブーム世代で、世界大戦が終わった直後に、お父さんたちが復員したことで、世界中で起こりました。

 

しかし、日本は直後にGHQに占領され、配給制度が始まります。

人々の生活は苦しく、出生率は下落します。

 

団塊世代の子育てが一段落すると、商店街の客足は大幅に少なく成り、閉店する店も出てきます。

八百屋が作るメンチカツ

こうして、街の商店街の衰退がはじまりました。
 
その中には惣菜を売る店も含まれており、商店街の代わりを務めるスーパーで総菜を求める声が出てきます。
 

さらに、1998年に「大店法」が廃止されます。

街で買い物することが出来なくなったために、政府が消費者の声にこたえた結果です。

 

よく、イオンの出店が商店街の衰退を招いたという声が聞かれますが、実はそれより先に商店街の衰退は始まっていました。

 

こうして、街の惣菜屋さんの代わりを一手に引き受けることと成ったスーパー。

 

しかし、残念ながら、元八百屋さんには、おいしいメンチカツを作るノウハウは有りませんでした。

 

こうして、地方ではおいしいメンチカツは消えました。

多様性が必要な理由

コロナ渦において、個人商店を守るべく、補助金が出ました。

 

その理由の一つは、多様性を守るためでも有ります。

 

地方において、おいしいメンチカツが失われたのは、多様性が失われた結果です。

 

他に選択肢が無いから、美味しくないと思いながらも買う人が居る。

そうすると、商品の改善も行われません。

 

そして、一番の問題は、スーパーでも飲食店でも、ごく少数のチェーンだけが生き残った場合、他に選択肢が無くなる。

そしてそのチェーンが、何か問題を起こしたとたん、選択肢がゼロに成る事です。

 

多様性は、市民にとって死活問題なのです。

 

商店街が衰退した今、新たな出店に頼るしか有りません。

 

多様性を守るためにも、個人の挑戦を後押しし、補助する制度を充実させる必要が有ります。