何にでも「さん」をつける人。
今回は映画『君の膵臓をたべたい』から、
「僕」こと、志賀春樹が、
「君」こと、山内桜良に、
「女の子を好きになった事は?」と聞かれた時の回答を金言としてご紹介します。
原文『何にでも「さん」をつける人。本屋さん、店員さん、漫画家さん。
食べ物にまでジャガイモさんとかつけてさ。
いやなんか、僕にはそれが、
いろんなものに敬意を忘れないってことだと思ったんだよね。』
体調を壊し、ブログをお休みました。その間、寝ながら久しぶりに
この映画「君の膵臓をたべたい」を見ました。厳密に言うと、CMで小栗旬さんを見かけて、
そう言えば長い事見てないなと思った次第で。また引っ張り出して寝ながら見ました。
この映画の中でも、私が一番のお気に入りのシーンのセリフというか、
二人のやり取りを今回挙げました。
「君」と「僕」と呼び合っている二人が、第三者の「彼女」を素敵な人だと思う事。
二人とも「高校生なのにそこまで大人の感覚を持てる?」って思うと同時に、
「高校生って意外と色々覚える時期だし、色々考えているよね。」と思うシーン。
私が高校生の時、こんな感情を持てたとは到底思いませんが、
友達の中には変に大人びた事を言う子もいて。
このシーンは例えば二人が大学生や社会人になって言うなら、なんとも思わないと思うんです。でもこのとき高校生ですからね。
やっぱりそうは言っても子供で、
ましてや「死」という重いものを背負うには大人になるしかないというか。
嫌でも大人にされてしまうんじゃないかなぁと思ったんです。
だって死ぬってわかっているのですから、
その告知された短い時間をどれだけ密度濃く生きようかと思った時、
ある程度のことは諦めなくてはいけないでしょう?
また、それに哀れみも同情もせずに付き合ってくれるレベルの人間は、
自然と目に入るようになるのだと思うんです。
それが「君」が見つけた「僕」だった。
感情の機微がまるで上皿天秤に板分銅を少しずつ乗せていくくらいの微妙な感じというか。
感情の広がり方は凪いでる湖面に木の葉が落ちて、でもその波紋はすごく広く広がる感じ。
語彙が無さすぎて表現の説明が長くなりましたが。
なんてことないこのやり取りに、変なヤッカミとか嫉妬ではなく
互いの感情を向ける方向は違えど、
(君→僕にたいして僕→彼女にたいして)
同じように素敵だなぁという答えになる事が
見てるこちらからすると
「お前らが素敵だ」
と思ってしまう訳です。
私はこの作品はありきたりな、ただのラブストーリーなんだろうと思って
期待せずに見ました。(でも・・・見ちゃうんだって思いますよね)
元々ラブストーリー自体あまり見ないんですけど
「君に読む物語」を見た時以来、いい話だなぁと思って
BRを買いました。
この話を見てこんな恋をしたいとは思わないでしょう?
でも凄く羨ましい輝きをくれますね。
見た後、テレビの電源が付いたまま寝ていました。
やっぱり疲れていたのだと思うんですけど
心の埃が取れたようで
目覚めがすごくよかったです。
因みにですが、私も物や人に「さん」ではなく「ちゃん」をつける癖があります。
お疲れちゃんとか。