どんなに恵まれた環境に生まれ育ったとしても、その後ずっと順風満帆な人生を送れるかといえばそんなことはない。 生きていれば、人生の行く手を遮る様々な困難に直面しないわけにいかない。
その避けて通れない困難の中には、解決できることとできないことがある。
一つは、人間として生きている限り、必ず直面する困難である。人間は誰も例外なく必ず死ぬ。 フロムは、死について何を知ったとしても、死が生の意味のある部分ではないという事実を否定することはできず、人間は生きることとは相容れない死を受け入れるしかないという(Man for Himself)。生と死という「実在的な二分性(矛盾)」の中に生きている人間は、死の問題を解決することはできないのである。
しかし、解決できないからといって、人間はただ死を恐れ何もしてこなかったわけではない。哲学者は魂の不死を証明しようとし、宗教家は来世の存在を説いた。そうすることで、死の恐れから人間を自由にしようとしてきた。
ローマ皇帝のマルクス・アウレリウスは次のようにいっている。
「お前自身には成し遂げ難いことがあるとしても、 それが人間に不可能なことだと考えてはならない。むしろ、人間にとって可能でふさわしいことであれば、お前にも成し遂げることができると考えよ」 (『自省録』)
病気になっても若い時であればすぐに治ると思えるかもしれないが、歳を重ねると、 死のことを考えないわけにはいかない。
アウレリウスは、「お前」 と自分に語りかけている。 病気や老いに直面することは耐え難い苦しみであっても、自分だけが初めて経験するわけではない。先人が乗り越えてきたことであれば、お前にもできないことはないといっているのである。 
いずれの考え方も誰もが直ちに納得できるわけではないが、死ぬのがわかっているのになぜ生きなければならないかという解くことの難しい問題を前にした人間は、死がやってくるのをただ待って生きることはできない。
もう一つは、人間が作り出した困難である。人間が作り出した困難は必ず解決できる。 すぐに解決できないことはあるが、時間がかかっても解決できる。
例えば、 科学技術は人間の生活のあり方を大きく変えた。 それまでは不可能だったことができるようになった。 かつて不治だった病がもはや不治ではなくなった。 科学技術から多くの恩恵を受けてきた人間は、もはや後戻りすることはできない。
しかし、この技術は人間の平和と幸福のためだけに使われているのではない。核兵器は人類を瞬時で滅ぼすことができる。 フロムは、このような現代の矛盾を先に見た「実存的二分性(矛盾)」と対比して、「歴史的二分性(矛盾)」 と呼んでいる(前掲書)
フロムはこのような困難は解決しうると考えている。 人間は困難に直面した時、 それを何とかして解決しようとし、 そのことが人類を進歩させてきた。解決できるのに、解決しなければならないのに、困難を前に何もしないのは、勇気と知識を欠いているからだとフロムはいう。
それにもかかわらず、解決できないと思いこんでしまう人がいる。勇気と知識を欠いた人は解決できないと思わないといけないのである。解決できる困難であれば、それは人間が作り出したのであり、人間に責任があることになるからである。
困難を前に何もしようとしない人は、二つの矛盾をあえて混同し、解決できる問題を解決できないと思いたいのである。 そして、「あってはならないことはありえない」という。どれほど不条理に見える出来事であっても、起きた以上、それはあってはならな いことではないと考えるのである。
災害は避けることはできない。 地震を正確に予知することはできない。 東日本大震災の時は、地震が起きれば津波もくると誰も考えなかったわけではないが、多くの人の想定をはるかに超えるものだった。
しかし、原発事故は天災ではなく人災である。 地震と津波が起きなかったら事故は起きなかっただろうが、そもそも原発を作らなければ事故は起きなかったのである。 安全に電力を供給するはずだった原発から漏れた放射線は人類に大きな害を及ぼし、過去に大きな負の遺産を残すことになった。
目下世界を席巻する新型コロナウイルスの感染拡大は不可抗力ともいえるが、 適切な対処をできなかったことが依然収束の気配がないことの原因であることも否定できない。
先に引いたアウレリウスは、 次のようにもいっている。 「本性上耐えられないことは誰にも何一つ起こらない」
「起こることすべてを難儀なことに思えても喜んで受け入れよ」(前掲書)
アウレリウスがここでいう 「難儀なこと」 は、 人為的な困難、人が作り出した困難ではない。そのようなことについて、手を挟いているということがあってはならない。
ストア哲学では、 起きるこを権内にあるものとないものに分ける。「権内」というのは、自分の力が及ぶ範囲内にあるということである。
権内にないものを求めても甲斐がない。いつどこに生まれるかは自分で決めることはできない。偶然にこの世界の中に投げ込まれ、そして、またいつか偶然にこの世界から引き離される。
しかし、この人生をどう生きるかは決められる。もちろん、なりたい自分に必ずなれるわけではない。 人生の行く手を遮る困難があまりにも多いからだ。しかし、権内にあるのに、初めから諦めてしまい 、困難を解決する努力をしない人は多いように思う。
どんな逆境にあっても自分を見失わない不退転の強さは必要だが、それは決して忍従することではない。権内にあるのであれば、行く手を遮る人や権力に殺然として声を上げ、状況を改善するために自分でもできることをしなければならない。

岸見一郎
(毎日が発見  2022年4月号)