先日、昭和女子大学理事長の坂東眞理子さんと対談させていただく機会があって、人生の後半は「あいうえお」はやめて、「かきくけこ」を合言葉に、というお話を伺いました。やめるべき「あいうえお」は、「あきらめる、いじわる、うちむき、えんりょ、おくれた」で、「かきくけこ」は「感動、機嫌よく、工夫して、健康、貢献・交流」だそうです。実は私自身は、人生の前半とか後半とか年齢を意識して行動したことがないので、人生のすべてを「かきくけこ」で考えてみました。「感謝・気合・苦難・経験・好奇心」です。
前回までにお話したように、これまでの人生は、なんで私ばかりにこんなことが起きるのか、地団駄を踏んで悔しがったり、怒りに燃えたり、「苦難」の連続でした。それらをとにかく「気合」と「好奇心」で乗り越えて、いろいろな「経験」をさせてもらってきたのですが、振り返ってみると今はもう「感謝」の言葉しかありません。今まで起きたことには全部意味があったのだと。例えば、大学を卒業した後、すべての採用試験に落ちなかったら今の私はありません。
「苦難」といえば、55歳のとき多発性ストレスでダウン。父の死、信じていた人の裏切りによる訴訟問題、私自身の離婚などが重なったのです。体中に力が入らなくなり、立ち上がって歩くこともままならない状態、体重は8キロも落ちていました。そんな折、町づくりで知恵を出し合ってきた北海道のJC(青年会議所)の人たちが私を元気付けようとゴルフに誘ってくれました。医師からは当然ストップがかかり、無謀だと叱られましたが、この状況を変えるきっかけになるかもしれないと「マラソンゴルフ」に挑戦したのです。
1991年(平成3)年6月、午前3時にスタート。思い返すと、このときまで私には「感謝」の気持ちが足りていませんでした。降りかかる苦難を「なぜ私ばかりが」と他人のせいにしていたのです。しかし、ラウンドしているうちに、今、心も体もボロボロなのは「すべて自分が原因なのだ」と気付きました。本当はこれまで出会った人に「感謝」をしなければならないのに。すると不思議なことに、スタートまで一人で歩くこともできなかった私が6ラウンド(108ホール)を回り切り、しかも、その日を境に精神的にも肉体的にも苦しみが消えてしまったのです。
翌年6月には、同じJCの協力で同じゴルフコースで8.5ラウンド(153ホール)を回り、93年版ギネスブックに掲載されました。こう書くと私が超人的な運動神経の持ち主みたいですが、実は子どもの頃からスポーツは大の苦手で、運動会は大嫌いでした。なので一番信じられなかったのは私自身です。
日本初の電話育児相談サービス「赤ちゃん110番」は電話回線がパンクするほどの大反響で、当時の電電公社(現NTT)は、通信料で増益増収。それに引き換え、このサービスを提供している我が社の収入はゼロ。そこで電話料金の半分をバックしてもらおうと交渉した電電公社の責任者が、作家・遠藤周作さんの兄・正介さんでした。彼からは「仕事する女は嫌いだ、特に女性社長は大嫌いだ」とひどいことを言われ、門前払いをされ続ける「苦難」。しかし、「日本の法律では、課金は禁じられている」という規則を教えてくださり、最後には「法律を変えるよう俺が郵政省や国会に掛け合ってやる。だが最低でも2年はかかる。それまで耐えろ」と言ってくださったのも彼でした。実際に法律が改正されるのは約20年後なのですが・・・・・・(笑)。
あとで聞いたところによると、遠藤さんは、「電電公社に36万人も社員がいて、こういう提案をしてくる社員がなぜ一人もいないんだ!」と怒っていたといいます。「女のくせに」と言われ続けてきましたが、「赤ちゃん110番」は、私たちが「普通の女性」だからこそ思いつけたサービスで、苦しんでいる女性たちのためには 絶対に続けなければならないと、がんばることができたのだと思います。今生きている世の中や暮らしの中で、こうあってほしいとみんなが願っていることが何かの理由で妨げられていたら、「しょうがない」とあきらめてしまうのはもったいない。自分の身の丈で「何でこうなっているの?」「こうすればいいのでは!」と思うなり、素直に言葉に出し、行動することが大切です。
政治家や学者、評論家などよりも、自分の身の丈で真剣に生活している人しか気付けないことがいっぱいあります。自分のためでも、子どものためでも、孫たちのためでも、何でもいい、普通の生活を送っている人にしかわからない知恵や思いを発信していけば必ず、少しずつ不便なことも変わっていくのです。
私は経営者になる勉強をしたこともありませんし、ましてや政治家でも学者でもありません。大学を卒業しても、この国で働く場所すら与えられなかったのに、起業に踏み出すことができ、電電公社の優秀な社員の方たちも考えつかないアイデアを提案できました。それは、身の丈で暮らしてきた「好奇心」に素直に行動したからだと思います。
創業期のこと、私が友人から譲り受けたオンボロ車をバタバタ運転して、営業に駆け回っていたとき、通りがかった森の中から妙な声が聞こえてきたのです。車を止め、声のする方に行ってみると、小っちゃなダンボールに小っちゃな猫がカラスにでも突っつかれたのか、血まみれになって鳴いていました。
私はその子猫を抱えて動物病院に駆け込みました。でも医師は「1時間もたない。処分するから、その辺に置いていきなさい」と言い放ちました。私は「処分してもらうために、連れてきたんじゃありません!何とか助けてください!お金はちゃんと払いますから!」と懇願しました。しかし彼は「専門家の目で見て1時間もたないんだ!ミルクを飲む力もないんだから」と。
私は「それでも医者か!」と、子猫を連れて帰り、仕事そっちのけで、ミルク、脱脂綿、スポイトなどを買い集めて、子猫にミルクを飲ませようとしました。しかし、スポイトでも脱脂綿でもダメ。ついには自分の口にミルクを含み、その小さな口に口移しで飲ませようともがきました。そうして疲れ果てて眠ってしまった夜明け、唇にかすかな気配で目を覚ますと、なんとその子猫がペロペロと私の口元のミルクをなめていたのです。
ダイヤル・サービスからとって「ダイちゃん」と名付けたその子猫は、猫の平均寿命をはるかにクリアして、23年も私のそばにいてくれました。その後は病気もけがも一切せず、美しく賢い猫に育って生涯を終えました。
人前では絶対に泣かないと決心していた私でしたが、深夜に疲れ果てて帰って来ると、目に滲むものはあります。そんなとき、ダイちゃんは駆け寄って来て、かわいい肉球で一生懸命、その滴を拭き取ってくれました。当時、会社と私の自宅は、同じマンションの中にあって、社員みんなでダイちゃんをかわいがり、逆にダイちゃんの存在が、私たちを支えてくれました。本当に感謝です。医師がダイちゃんを一瞬で見捨て、それを何の知識もないのに、私なら生かせるのでは、という好奇心と気合がパワーを生んだのでしょう。
身に降りかかってきた苦難や経験には感謝し、好奇心を持って気合を入れて前に進む。そうすれば、実現できないことなどないと思います。誰かや何かのために「死んでいる暇なんかない」と言えるようなことがきっと誰にでもあります。年齢など気にせずに、強い使命感を持って生きるのと、いつお迎えが来るのかなと余生を生きているのでは、これからの人生も自ずと大きく変わってくるのではないでしょうか。

今野由梨さん(ハルメク2022年2月号)