最近、小中学校の先生や母親の集会で話をする機会が増えた。そこで、子どもたちがなかなか登校できず、マスクで対面の付き合いができなくなっていることへの懸念が話題になった。この状態のまま成長して、まともなおとなになれるだろうかという不安である。
そういえば、私たちおとなも正常な社交ができていない。マスクをして出勤し、同じ職場にいてもオンラインで会議をする。食事の際はマスクを外すが、黙食で沈黙を守る。これでは集まる意味がない。
人間の社会を運営するには三つの自由を駆使する必要があると私は思う。動く自由、集まる自由、対話する自由である。人間以外の動物にはこの自由がない。私が長年調査してきたゴリラも、動く範囲は決まっているし、自分の群れをなかなか離れることができない。言葉を持たないから、伝える情報も限られている。私たちは日々自由に動き回り、さまざまな集まりに顔を出し、言葉を使って対話をする。そこに新たな気づきが生まれ、未来へ向かうイメージが湧き、自分の歩む道を修正できる。
今から30年ほど前に、私は家族でアフリカのコンゴ民主共和国の片隅に暮らしたことがある。街から遠く離れた村で、どこにも店がなく、買い物も一日がかりという生活だった。しかし、毎日のようにどこかで市が立ち、人々が頭に野菜や穀物を乗せてやってくる。ここで、人々は日がなおしゃべりに興じ、持参した物を売るとともに、自分の必要なものを買って家路に着く。人々は売り買いを通じてつながり、他の地域のことや世間の事情を耳に入れる。どんな物でもやがては人の手にわたるし、売れ残れば自分が使うことになる。
私が子どもの頃の日本でも、こういった光景はあちこちで見られた。店で人々は話を交わし、なるべく捨てるものが出ないように気を使って売り買いした。「もったいない」が日本の常識だったのである。
子どもたちはこういった話の輪に潜り込み、大人たちの会話を聞いていた。そこで商品がどうやって作られ、ここにやってきたか、そしてそれらをどう扱うべきかを学んだ。重要なのは、物が人と人をつなぐ社会の仕組みである。さらにそこでは、誰それがどんな活躍をしたとか、どういった失敗をしたかが話題になる。それを聞いて子どもたちは、社会でどういう振る舞いをしたらいいかを自然に覚えていく。市場や店は人々の集いの場であり、子どもたちが道徳を学ぶ場でもあったのである。
今回の新型コロナウイルスによるパンデミックは、市場の賑わいを停止させてしまった。しかし、振り返ってみると、私たちはすでに物を売り買いする場で話をしなくなっている。値段が表示されているパッケージを手に、レジでお金を払ってそれで終わりである。ネットで購入すれば、それを売る人の顔すら見えない。もはや、物を通じて人と人のつながりはなくなっているのだ。これでは、物の大切さとか、物を作る人々の気持ちとかが伝わるはずがない。かわりに子どもたちが集うのはネットの世界であり、そこでは常識外れの活劇が演じられる。これでは、学校でいくら道徳を教えても身に着くはずがない。
売り買いの現場は社交の原点である。この機会に大量生産・大量消費の時代を見直し、物を媒介にして人がつながれる社会を構築すべきではないだろうか。それにはマスクを外さないまでも、三つの自由を駆使できる市場の賑わいを復活させることが不可欠だと思う。
山極 寿一 (総合地球環境学研究所長)