医師になってから65年になります。いつのころからか私は医学書から得る知識よりも、日々接する患者さんから学ぶことが多くなっていました。同じ病気であっても、患者さん一人ひとり痛みの実感は違います。病気によってもたらされる不自由さも、患者さんの身を置く環境が違えば当然違ってくるのです。そうして、ことにこの10年ほどは、死が近い患者さんから生きかたを教えられる自分を感じています。人生をどう生きたかは、その臨終の顔にそのまま映し出されるということを、私は十分に知りました。
昨年の秋、聖路加国際病院の緩和ケア(ホスピス)病棟で乳がんが肺に転移したために55歳で亡くなった女性がいました。病は刻々と彼女のからだを冒していましたが、それでも回診で私が病室をたずねると、彼女は笑顔を見せ、生きる気力をも見せてくれました。ある日「北海道へ行きたい」と彼女が言い出したのには私も驚きました。医師の目から見ても、まずそんな気力が湧いてくること自体が信じられないくらい、彼女の衰弱は著しかったのです。10日後、彼女は高校生の娘さんと本当に北海道へ向かいました。
彼女が見たかったのは、娘さんが夏休みのあいだ過ごした牧場とそこの方々でした。娘さんは、牧場での短い滞在のあいだに人間的に成長し、心が開かれて帰ってきたらしいのです。ぜひお礼を言っておきたい・・・・・・。一度は同じことを思いかけたものの、無理だと自分であきらめ取りやめた望みでした。彼女はそれまでの人生を懸命に人一倍気丈に生きてきた人でしたが、一人娘とわかり合うことにおいては十分ではないという思いを抱いていたようで、だからなおさら娘を変えた北海道を知りたいと思ったのでしょう。
5日間の北海道の滞在中、車椅子で戸外に出ることができたのは一度きりで、あとは横に伏せたままだったと聞きました。夜8時過ぎ、彼女の帰りを病院で待っていた私は、想像以上の消耗ぶりを目にしましたが、憔悴しきったその顔には満足の色が見えました。そして、その2日後、彼女は永遠に旅立って行ったのです。
私はたまたまみなさんに語るこのような連載の場をもっていますから、私が間近にした患者さんのターミナルをお話しするのですが、なにもその方々だけが特別だと思っているわけではありません。実に多くの人が肉親や友人の美しい最期を心に留めていらっしゃることも、その反対に、残された者としては悔やみ切れない臨終を見届けざるをえなかった方が大勢いらっしゃることも承知しています。ただ、こうしてたくさんの方々の生きかたを語り合い共有していくうちに、私たち自身の生きかたを見つめなおすことができればいいと願っています。
考えてみれば、私たちの誰一人として、生まれたいと自分で願ってこの世に生まれてきたわけではありません。私たちは生まれた瞬間から、「与えられた人生をどう生きるのか」と自分に向かって問うボールをすでに放られているのです。そのボールを、過去に遡ってなかったことにすることもできなければ、放物線を描きつつあるボールの動きを途中で止めることもできません。私たちにできることはただ、生きていく一瞬一瞬のなかで「答えていく」だけです。生きることそのものが「応答」なのです。
「なぜ私だけがこんな苦しい目に遭わなければならないのか」、そんな受難に対してさえ、私たちは「なぜ」と問うのではなく、むしろつねによきキャッチャーとして、その受難をどのように受け止めるかを行動で表し、さらに人生を前進するよりほかありません。受難もその受け止めかた次第で意味は違ってきますし、自ずと人生のさまも変わってきます。存分に人生を生き抜かないでどうするのか、と亡くなっていった患者さんたちが身をもって私に教えてくれるのです。「なぜ」と問うだけでは、その場に立ち尽くすばかり、何の解決にもならないのです。

日野原重明(ハルメク2021年11月号)