いのちとは自分の使える時間です。私がその考えをもつようになったのは、10年ほど前、それまでは私も、寿命というものは、何年生きるか、その「何年」という数字のことであり、医学の助けと自分自身の節制によって保たれるものだと考えていました。でも、"健康"というものが、病気やケガがない状態を指すのではなく、自分が健康だと感じることのできる状態のことだと気づいたように、いのちも限られた時間そのものではなく、今の時間をどう使うかということなのだと気がつきました。
そしてまた、お金も同じではないかと思うのです。財産というものは、お金の額ではなく、そのお金をどのように使うか、ということなのではないでしょうか。
みなさんの中には、定年を迎え収入がなくなった方、あるいは間もなく収入がなくなる方が多いと思います。65歳前後の年齢は、自分が稼いできたお金、あるいは両親や親族から譲られたお金をどのように使うかを考えるのには、ちょうどよい時期です。時間の使いかたを考えるのと同じように、第2、第3の人生のお金の使いかたを考えましょう。
なるべく自立した生活をして子どもたちや他人様(ひとさま)には面倒をかけたくない、という方はとくに戦略的に考えたほうがいいでしょう。終(つい)の住まいや自分が病気になったときのことを考えるのはとても重要です。とくに病気になったときに、いったいどれだけ費用がかかるのか心配だという方は多いでしょう。ホスピスに入るのにいくらかかるのか、がんになって長期入院することになったらどうすればいいのか・・・・・・。
漠然とした不安が先に立って、なるべくお金を使わないようにして貯めこむ人もいますが、医療費や施設に入るための費用は、調べればわかることです。やたらと心配するのではなく、一度、意を決して自分のお金の計画書をつくってみることをお勧めします
そして、それぞれに自分がもっているお金の何割ずつを当てるのか、作戦を立てるのです。そのとき、自分のことばかりでなく、次世代の子どもたちの役に立つようなお金の使いかたはないかということを考えてください。
自分の財産のことは死後、子どもたちに任せたい、という人がよくいます。でもそれでは、せっかく働いて得たお金に意味がなくなります。まだ生きているうちに、自分でお金の使いかたを考えること、これも「よく生きる」ために必要なことです。
私は、死ぬまでにお金はすべて使い切りたいと思っています。54年前に留学した米国のデューク大学に寄付を行っており、そこから「ヒノハラファミリー基金による奨学金」ができました。大学の行事に出席すると、学生が「私はドクターヒノハラの奨学金で勉強しています。ありがとうございます」と、みなの前で挨拶してくれることもあります。基金の元金が減ってくると、大学から連絡がくるのですが、自分の出したお金が、ちゃんと生かされていると実感しているだけに、やはり補填しないと、という気持ちになります。
「次世代に役立つ使いかたを」というとむずかしいことのように思えますが、世話になった学校や母校に寄付することは、わかりやすくもあり、また意味のある使いかたです。でも日本の場合、母校への愛情が少ないようです。私の知人のある看護師の教師ががんになり、もう勤められないから退職させてほしいと言って、退職金を母校の看護学生の奨学金に寄付しました。でも学校は、その人の名前を奨学金に冠したりしませんし、彼女のお金がどのように使われているかも、積極的には公開しませんでした。せっかく、彼女が若い世代のためにした行動なのに・・・・・・。
みなさんもぜひ、100歳まで生きるとすれば、自分のためにどのくらいお金がいるのか、計算してみてください。もしいくらか余ったら、自分以外の誰かのために使うように計画してください。

日野原重明(ハルメク2020年11月号)