デカルト意識を発見した後、意識身体(物体)は別々に存在していると考えました。けれどもスピノザはこの考えに疑問を持ちます。

なぜなら意識と身体が別ならば、たとえば意識が悲しいと思ったときに身体から涙が出る理由が説明できないからです。

この問題を解決するために、スピノザは私たちの意識も身体も自然もすべてひっくるめて1つの神と考えます。

スピノザによると私たちは自然の一部です。そして自然は神がつくったものではなく、神そのものなのです(神即自然)。つまり、その中に含まれる私たちの精神と身体も神の一部です。こう考えると精神と身体はつながっているので、悲しいときに涙が出ることに矛盾は生じません。

神と世界は同一であるという考え方を汎神論といいます。

心と体は別というデカルト二元論に対して、スピノザはすべては1つの神という一元論を唱えました。この考えは、神を人格的存在と考えるキリスト教と相容れないため、キリスト教からバッシングを受けました。


スピノザは人間には自由な意志はないと考えます。人間は神の一部なので、神の考えの下に動いています。そして私たちはそのことに気づいていません。

自分の行動が自分の意志によるものと思うことは、石ころが誰かに投げられているのに自力で飛んでいると思い込んでいるようなものだとスピノザは考えます。

身に起きていることは自然現象の一部であり、永遠の中の1コマにすぎません。けれども、その1コマはあなたがいないと成り立たないのです。スピノザはこれを永遠の相の下(もと)と表現しました。

それでは、あなたが何をするために、神はあなたに自然の一部を確保しているのでしょうか?スピノザはそれを考えることが人の幸せであると主張します。


続哲学用語図鑑  中国・日本・英米分析哲学編  (プレジデント社)