仮にものすごい真理が解明されたとします。けれども「そんなこと言ったって、そもそもこの世の中はすべて夢かもしれない」と言われたら返す言葉がありません。そうならないためにも、デカルトはこれだけは絶対に確かといえる原理を探そうとします。

そこでデカルトは「この世は夢かもしれない」と意図的に疑ってみることにしました(方法的懐疑)。そうすると、目の前に見える風景も、本に書いてあることも、数学も、自分の肉体の存在さえも疑わしくなりました。けれどもたった1つだけ疑うことができないものが残りました。それは「夢かもしれない」と疑っている自分の意識の存在です。さらに「夢かもしれないと疑っている自分」を疑っても、最後まで自分の意識は残るのです。

こうしてデカルトは自分の意識の存在は疑いようがないことを発見しました。彼はこれを「我思う、ゆえに我あり」(コギト・エルゴ・スム)と表現します。「我」の存在の確定は数学における 1+1=2 のような定理に相当するので、デカルト哲学第一定理(第一原理)とされました。

=メモ=
近代の哲学は、この言葉から幕を開けた


続哲学用語図鑑  中国・日本・英米分析哲学編  (プレジデント社)