田辺元は、個人である個と、人類である類は、民族や国家である種を媒介しないと成立できないとする種の論理という説を唱えました。この説は、当時の田辺の意に反して、民族や国家を絶対視する戦前の国家至上主義の正当化に貢献してしまいました。
田辺は戦後、みずからの哲学を反省し、山奥の隠遁生活の中で懺悔道としての哲学を生み出します。
懺悔道は自分の行いを反省することから始まります。反省とはとことん考え抜くという意味です。限界まで考え抜き、これ以上考えが及ばないという地点に到達したとき、人は無になってしまいます。けれどもその無は、自分の力ではとうてい思いつかなかったであろうヒラメキをもたらすと田辺は考えます。このヒラメキ、つまり反省に対する救いの道や、考えに対する答えは、誰にでも必ず訪れると彼は言います。
自然(神)が個人に与えた力は、個人の努力で出し切らなくてはいけません。全力を尽くすことは個人の義務でもあります。けれどもその後、人は個人の力の限界を知ります。すると最後の最後に、絶対無である他力が新しい道を切り開いてくれます。この自分の努力による反省と、他力による救いの繰り返しが、真の自分の発見につながると彼は説きます。
続哲学用語図鑑 中国・日本・英米分析哲学編 (プレジデント社)