老子は、宇宙のあらゆるものを成り立たせる存在を仮に道(タオ)と呼びました。道は見たり触れたりすることはできません。また、「道はこういうものだ」と言葉で表現することもできません。特定できない以上、名前がつけられないので、老子は道のことを無(無名)とも呼びました。
道(無)は天地ができる前から存在し、有を生み出し続ける混沌だと老子は言います。万物は道(無)から生まれ、常に変化し、やがて道(無)に帰っていきます。
道徳や文化(たとえば正義、礼儀、名誉、財産、文明、知識)などの人間が作った価値も例外ではなく、この法則に従ってつねに変化し、やがて消滅します。道はその消滅の様子を黙って見守るだけです。
絶えず変化して、いずれ消滅する道徳や文化などの価値にとらわれていては、幸せにはなれません。それよりも自然の法則を見習いながら生きることを老子は勧めます。つまり「道に従う」という生き方です。
賢明に生きるためには、水の性質を見習うべきだと老子は考えました。
水は、こだわりなく形を変え、争うことはありません。
また、水は人の嫌がる低い方に流れ、そこにとどまります。
水は弱く柔和ですが、水を攻撃してもビクともしません。
水はあらゆる人の役に立っていますが、それに驕ることなく謙虚です。
水は静かで自分の功績を何も語りません。
水がこのような性質だからこそ、大切にされ、尊ばれるのだと老子は説きました(上善は水のごとし)。
=メモ=
老子は、水こそ最も道(タオ)に近いと考えた
続哲学用語図鑑 中国・日本・英米分析哲学編 (プレジデント社)