第十四章

燃え尽きて灰に(その三)

 

翌朝、ババはブリンダーヴァンに戻って、私たちを大きなバジャンの集まりに招いた。ババがリードして神の讃歌を歌い、続いて私たちコーラスを歌った。そのうちインドラ デーヴィが、多くのアメリカ人がバジャンを知っていますと言った。私自身は、一曲しか知らなかったので、誰かがその歌を歌う前に、ババが私に歌いなさいと言ってくれることを切望した。

ババはその展開を楽しんでいるようだった。そして、私の向かい側に座っている女性を指差して、歌うように言った。私はがっかりした。彼女が私の知っているただ一つの歌を歌い始めたからだ。皆で手拍子を取りながら、深い帰依心から生じた高揚感に満たされて、ババに歌を捧げた。私は、静かにしておこうと思った。壁に溶け込んだように、目立たないでおこう。すると、実に不愉快なことに、インドラ デーヴィが、顔を輝かせて、「サンドワイス博士は、毎週自分の家でバジャン会を開いています。博士もバジャンを歌います」と言った。いや、困った!

ババは私の方を向いて、「どうぞ!」と言った。私は躊躇したが、咳払いをして「ババ、私が知っているバジャンはガネーシャ シャラナムだけで、それはもうみんなで歌いました」と言った。返事がなかったので、私は自分が知っている唯一の歌を歌うことにした。もし心を込めて歌えば、同じ歌でも許されるかもしれない。しかし、歌詞の二番目の言葉が終わった時、ババは、「だめだめ、もう歌った!」と、手振りを添えて、大きな声で言った。私は敗北感に打ちのめされて後ろに下がった。その傷から立ち直るのには、二、三日かかった。私はもっと多くのバジャンを覚えようと心に決めた。

ババは、こうした帰依の歌を歌うことを非常に重視している。それは、私たちの瞑想と霊的態度に素晴らしい影響を及ぼすと言われ、一人がリードして、それを残りの全員がコーラスで繰り返す形で行われる。バジャンの言葉はすべて、さまざまな姿や特性をとって現われた神の、サンスクリット語の名前である。これらの言葉(神の名前)は、その音の中に、それを聞いた人の霊的な中枢を開く波動を持っていると言われている。バジャンの中の多くの言葉は、マントラ(真言。それを唱える音声に神が宿って、人を救う力を持つ定型句)として使われている。

歌が終わって皆が帰り始めた時、ババは長年ババのために働いていたボランティアの一人を脇に連れていった。若いインド人の青年たちがすぐに二人を取り囲み、私たちも、そこに詰めかけた。その時、ババのあの独特の腕の丸い動きが始まり、私たちの目は釘付けになった。それはあたかも、ババが空中で作り出している目に見えない真空の渦に、皆の目が吸いつけられたようだった。そこに美しい腕時計が見えた。贈り物を受け取った男性は、恐れ入り、深い感動と共にそれを両手でいただいた。

中には、これらのバジャンを、ただのショーだと言って笑い、バジャンよりも、祭壇を祀った部屋の静かな一角で瞑想することを勧める人々がいるかもしれません。しかし、このような集まりに参加して、こうしてバジャンを歌うことは、エゴを取り除くのに役立ちます。バジャンを歌うことによって、人は神の御名を呼び求めることを恥ずかしいと思わなくなり、人にばかにされることを恐れなくなります。また、他の人の帰依心にも鼓舞されます。同じような心情を持つ人々との交わりは、小さな帰依の苗木を育て、嘲りの熱で焦がされてしまうことを防ぎます。

例えば、人は、誰も見ていない時に自分の部屋の床を箒で掃きます。しかし、人々が見守る中でそれと同じ行為をするには、ある程度のエゴのコントロールが要求されます。実際、ナーマ サンキールタン(グループでバジャンを歌うこと)は、心を惑わす思いからあなたを引き離してくれますが、一人でバジャンを歌う時は、それらの思いに妨害されることでしょう。ですから、声高らかに神の栄光を歌い、大気を聖なる敬愛で満たしなさい。

神の御名こそは、あらゆる病気を遠ざけておくための、最も効果的な薬です。ですから、言い訳の盾に身を隠さずに、すべてのバジャン会に参加しなさい。もしあなたが病気であれば、バジャンは治療を助けてくれます。言っておきますが、バジャンの最中に神の御名を唇に浮かべながら死ぬ方が、他の時に死ぬよりもはるかにいいのです。

また、娯楽として、ファッションとして、その場限りの一場面として、あるいは毎日果たすべき強制的な日課として、ナーマ サンキールタンに携わってはいけません。ナーマ サンキールタンは、浮世の事物に対する執着を取り除き、あなた自身を清め、強くし、生死の輪廻から、ひいてはあらゆる悲しみからあなたを解放してくれる霊性修行の一環と考えなさい。あれほど恐ろしい(輪廻の苦しみという)病気に対する治療法としては、か細いものに見えるかもしれません。しかし、これは万能薬なのです。

現代人は、定めとなってしまった忙しい活動スケジュールの中で、差し迫った義務を逃れる言い訳として、バジャンのために費やす「時間がない」というのが一般的です。もし断片的な百もの仕事を、それが避けられないからという理由でその重荷を負うことができるのであれば、ナーマ サンキールタンという仕事を一つ加えることが、どれほどの負担といえるのでしょうか?百もの務めをこなす人は、間違いなくもう一つ務めを増やすことができるはずです。

バジャンは、一週間にできるだけ頻繁に、少なくとも週一回は参加しなさい。木曜日の夜か日曜日の夜に行うのが一番いいのですが、これは厳密に守らなければならないというものではありません。というのも、大切なのは曜日ではなくハートだからです。バジャンは、全員が歓迎されるとは限らない誰かの家で行うのではなく、誰でも来て参加できる、交通の便の良いところで開催しなさい。また、競争意識やショー的な要素を差し挟まずに、できるだけ簡素に行いなさい。経費は最低限に抑えなさい。というのも、神は外面の飾りにではなく、内面の切実な祈りに注意を払うからです。受け皿を回したり、会費のリストや献金者リストを回したりして、一銭のお金も集めてはなりません。

神は遍在です。神はすべてのハートの内在者であり、すべての名前が神のものです。ですからあなたは、どのような名前ででも、自分に喜びをもたらす名前で神を呼ぶことができます。あなたは、他の名前や姿にけちをつけたり、狂信的になったり、彼らの栄光に目を閉ざしたりしてはなりません。あなたがバジャンを歌う時は、歌の意味と、それぞれの神の名前と姿が伝えるメッセージを思って、その甘さを舌の上に転がしなさい。

ラーマ : この名前は、彼が体現し自ら示した正義のダルマを思い起こさせるはずです。

ラーダ : この名前は、最高に素晴らしいゴーピー(クリシュナ神の偉大な帰依者であった牧女たち)として彼女が持っていた、心の領域を超え、世俗を超えた愛を想起させるはずです。

クリシュナ : あなたはこの名前で、すべての人を惹きつけた、甘くて力を与える愛を思うべきです。

シヴァ : この名前は、全世界の幸福のために猛毒を飲み干した比類なき犠牲の精神、聖河ガンガーの涼やかな恩寵、三日月の光などを思い起こさせるはずです。

神を称えて歌われるすべての歌は、怠慢の結び目を切り裂く刀であることを覚えておきなさい。それは、すべての人に、彼らを見守ってくださる全能の神に対する義務を思い出させる、素晴らしい社会奉仕です。神の御名を常に唇に保っておきなさい。そうすれば、さまざまな妬みや憎しみの思いがあなたの心の中から消えていくことが分かるでしょう。あなたが自分の真の向上に対する純粋な興味を示しさえすれば、私はあなたを助けて、あなたの努力に成功の王冠で報いる準備ができています。ですから、目的もなく時間を無駄にしてはいけません。すべての瞬間をバジャンにしなさい。一切の重要でない会話を避けなさい。バジャンの目的を知って、それに心を込めて打ち込みなさい。あなたに与えられた歳月から、最大限の恩恵を引き出しなさい。

 

SAI RAM NEWS  No.129  2009年 11・12月号  

(Sathya Sai Organization Japan)